「お前……は……──」
傍らをすり抜け、直ぐそこの自室へと向かおうとしたエドガーの腕を掴み。
セッツァーは、声を絞り出した。
「……ん? 私が、どうかした?」
それが、喉の奥から放った様な、苦し気な声だと、判っている癖に。
まるきり、それには気付かない、わざとらしい様を装った、無邪気な仕種でエドガーは、小首を傾げて微笑んだ。
「着替える……のか……」
相手が、自分に対して憤りを覚えるなど有り得ない、そんな態度を受けて、セッツァーは、放った声音の続きを飲み込む。
「ああ。晩餐の時間も近付いているし。……んーー……。君の格好……華やかだけど、色が少ない衣装だから……。私は、色見の多い衣装の方がいいのかな……。──面倒臭いね、こういう仕事って。……有り難う、付き合うって、云ってくれて」
すれば、エドガーは、相手が思いを飲み込んだ事など、判っているのだと云わんばかりに、意味深く、湛えた笑みの濃さを増し。
銀髪の彼の心に、さざ波を立てる台詞を、吐いた。
だから、セッツァーは。
深い深い……笑みを鮮やかに残して、自室の方角へと踵を返したエドガーの腕を離し。
同じ歩調で、後に付き従い。
ふん? と、訝し気な顔をしつつも、行動を留めようとはしない想い人と共に、王の自室へと滑り込んだ。
「……どうしたんだい? セッツァー」
ぱたり、扉が音を立てて閉められ。
鍵の降ろされる音が、微かに響いても。
疑念など、エドガーは抱いてもいぬ風に、さらりと、軽い糸で織られた上着を、床に落とす。
「…エドガー?」
「……何だい? ……どうしたんだ? セッツァー。今日は随分と、態度が変だけど」
──セッツァーは。
愛していると囁いた『男』の前で、あっさりと着替えを始めたエドガーの背後に、荒々しく近付き。
やはり、自身も、礼装の上着を、脱ぎ去った。
「セッツァー?」
首を振り、背の髪を払い、脱いだ上着を捨て、タイを外し、シャツの前を寛げ。
紫紺の瞳に冷たい光を乗せた相手を、もう一度、エドガーは呼んだ。
「……通用、しない。そんな事は充分承知してる。お前は、確かに『王』なんだろう。……判ってる。俺が愛したのは、そう云う男だ。……判ってる」
柳眉を顰め、心持ち上向いた相手の手首を、セッツァーは、乱暴にカフスの外された袖から伸ばした手で掴み。
「セッツァ……。セッツァー?」
「俺達……俺は。お前に群がるだけの、そんな存在かも知れない。唯、利用されて、命さえ屠られるだけ、の。女王蜂に群がる牡と、同等なのかも知れない。だがな……人は、『それ』を義務付けられた、些末な生き物とは違う。群がる虫達が抱える想いと、人の想いの重さは違う」
「……セッツァーっ! 何…っ……」
想い人が脱ぎ掛けていた服を、悲鳴に聞こえる音さえ立てて引き裂き、石の床を被う敷物の上に、無理矢理、押し倒した。
「離……っ。離せ、セッツァーっ!」
のしかかり、押さえ込んだ王は当然、激しく暴れたけれど。
「断わる」
抑揚もなく告げ、抵抗など、簡単に封じ。
セッツァーは彼の唇を、塞ごうとした。
「嫌だっ! 『接吻される』なんて、冗談じゃないっ……──」
が、エドガーは、逃れられる限界まで面を逃がし、接吻を拒む。
「どうして……? 愚問、だろう? それは。──楽しいか? お前を愛してると云った馬鹿な男の、想いを手玉に取って、利用して。……いや……楽しいも心苦しいも、ない、か。……フィガロの国王にとって、それは当たり前以外の、何ものでも有り得ねえだろうから。ああ、それでも良かったんだろうさ。何も、問題なかったんだろうさ。お前に焦がれて追い詰められても、国王陛下を穢そうなんて考える奴は居ないだろうから? 思う存分、好き勝手に、お前は王として在れたんだろうさ。でもなあ……エドガー。俺は、お上品には出来ちゃいねんだ、残念ながら、な」
接吻を拒むなら、と、セッツァーは、それから逃れる為に仰け反った白い首筋に、噛み付かんばかりに、顔を埋めた。
「だって……。……セッ……。止めろってばっ!」
肌の上に舌を這わせられて、エドガーは、封じられた抵抗を、それでも強めた。
「お前がどんなに足掻こうが、無駄だ。こういう事にはな、俺の方が、一日の長がある。激情故に、誰かを押し倒した事も、押し倒された事も、潔癖な王様には皆無の経験だろう? 接吻さえ……頑に拒む様なお前には、な……。──お前、な。少し、痛い目に遇って、その考え、改めた方がいいと思うぞ? 愛だの恋だのは、計算通りに運ばない事もあるってな。お前の手の中で弄ばれるだけの存在も、思い詰めれば、時に、反旗くらい翻す」
しかし。
やはり、エドガーの抵抗は、抵抗にすらならずに終わり。
冷たいうすら笑いを浮かべてセッツァーは、掴んでいたエドガーの両手を一つに纏めて、フ……と、息を吐いた。
「どうせ思い知るなら、徹底的に思い知ってみるか? エドガー。思い出すだけで死にたくなる程、犯してやろうか?」
「……セッツァー…………」
静かに捨てられた言葉に、エドガーは瞑目する。
「判って……ないだろう……。考えた事も、知るつもりも、ないんだろう……? ──愛してる……。お前を、愛してる……。その意味が……。俺、が……。…………なのに、お前は、期待を持たせて。傾けられる想いをすり抜けて……。愛してる、そう云ったのに。無邪気に、俺の前で肌さえ見せる。躊躇わずに。大それた事なんて、する訳がない。出来る訳がない。……そう想ってたんだろう? それとも、それすら、お前の得意な『期待』か……?」
刹那、瞳を閉ざした想い人の表情に、諦めの気配が感じられて。
セッツァーは、存外に細かった手首を掴む腕に力を緩めて、押し倒した男の胸に顔を埋め、ぼそぼそ、聞き取り辛い声で、呟いた。
「……判って無いのは、君の方だ……」
途絶えた蹂躙に、一先ずの息をエドガーは付き、閉ざした瞳を開き。
「判って無い? ……何を」
「私は、王だから。それ以外の立場で、他人に接する方法など、知らない。……ああ。確かに、人の心なんて、利用する以外に価値がないと、私は何処かで思ってる。……でも、セッツァー。言い訳に聞こえる…のかも知れないが。私は、どんなに睦言を囁いても、どんなに甘い期待を持たせても、国にとって必要な令嬢達に、接吻すら分け与えない。この部屋に、通した事もないんだよ? 知ってるだろう? ……私はね…。愛している、と囁いてくれた者の前で、唯の期待を持たせる為だけに、無防備に肌を曝せる程、子供ではないつもりだよ……」
拘束の弛んだ手首を、取り返すと。
「……だから。それが『期待』だろう? と、俺は云ってる」
「…………そうじゃない」
自由になった両手を、己が胸に伏せるセッツァーの面に添えて。
微笑みを、湛え。
「さっき、私は、接吻を拒んだろう?」
「……ああ」
「無理矢理だったから…。それも、理由の一つではあるけれど。君には、ね……。そう……。醜聞だって……。フィガロの王たる者に、あってはならぬ事だと、思っていたから、出来なかったけれど……──」
ゆるり、目蓋を降ろすと、エドガーは、自ら、セッツァーに接吻を与えた。
「君には……私から、キスをしたかったんだ……」
「……エドガー……」
「判ってるんだよ。私にだってね。……王としてのみ生きて行く事は、どんな人間にだって、不可能だ、と。でも……でも……私はそれを、しなくてはならない、から。今は…これだけで、許してくれないか、セッツァー……。君の想いだけは、弄んだ訳ではないと…そう信じて貰う為には、きっと、足りないんだろうけれど…」
「────いや……。…悪かった……」
だから、セッツァーは。
身を起こし、敷物の上に座り直し、半身を擡げたエドガーを抱き締めるべく、両腕を伸ばした。
抵抗もなく、伸ばされた腕に、エドガーは収まった。
そして、彼等は、抱擁を深め。
────抱き締めた、瞬間。
大人しく、腕の中に収まった想い人が。
くすり、とも、にやり、とも取れる笑みを零したのに、気付いてはいた。
呆れだったのか、したたか、だったのか……それが湛えられた真相は、永遠に、明かされぬだろう笑みを。
想い人が湛えた事に、気付かぬ筈はなかった。
……ああ、『これ』すらも。
接吻も、抱擁も、又。
『大いなる期待』の、延長でしかないのかも知れない。
愛も恋もなく。
唯、屠られていくだけの生涯の、ニ幕目が上がっただけなのかも知れない。
……そう、真実は、判らないけれど。
これは、作られた『期待』ではなく、真の愛なのかも知れないけれど。
──人は、確かに、人で。
己も又、人だけれども。
自分はやはり、小さな羽虫に準えられる、群がるだけの存在でしか有り得ぬのかも知れない。
Queen Beeの様な想い人に魅せられた瞬間から。
貪られるだけの人生が、定められていたのかも知れない。
Queen Beeの傍らで、甘やかな夢を与えられる代償に、己が全てを、捧げ続けて。
後書きに代えて
……こういう陛下も、ありだと云って下さい。
この、『Queen Bee』と云う話は、外伝の部屋にあります『Swallowtail butterfly』と同じ頃に書き上げたもので、私は密かに、昆虫シリーズなどと呼んでおりますが(笑)。
この話の中のエドガーさんが、セッツァーさんの事を、真実どう思っているのかは、秘密、です(微笑)。
それでは、宜しければ御感想など、お待ちしております。