「…………え……?」
──内心。
それを教えられたことすら、恋人は忘れているのではないだろうかと。
そう疑うことがない訳でもなかった、自身の『もう一つの名』を。
突然、響くように耳許で囁かれて、ぴくりと、エドガーは肩を揺らした。
「何を、言って…………。だって、私はもう、君のモノだろう……?」
恋人の囁く、静かで、穏やかで、染み渡るような声で、ロニ、と呼ばれ。
欲しい、と言われ。
疼き、というものを、覚えて。
でもそれを誤摩化すように彼は、笑みを振り絞った。
「お前の言うような意味ではな。……お前はもうとっくに、俺のものだな」
だが、時折耳朶に触れる程近付いた、セッツァーの唇が遠退くことはなく、疼きを覚える甘い声は、耳許で囁かれ続けて。
「…………お前が悪い」
「……悪い……?」
「俺に、全てを差し出せるし、差し出すし、差し出した……なんてな。そんなことを言う、お前が悪い。……ずっと、『普通』でいいと思ってた。俺がお前を想うように、お前も俺を想っていてくれた、それだけで充分だと想ってた。お前に想われて、お前を抱くこと許されて、『普通』の恋人同士のように、過ごせれば。……それで、いいと思ってた」
「……? ……セッツァー……?」
「お前が俺を好きになったと言ったように。俺も、お前が好きだった。俺がお前を受け入れた時、お前の世界の色が変わったような気がしたように、お前が俺を受け入れてくれた時、俺の世界の色も変わったような気がする。……でもそれでも。お前は男の身で。王という身の上だ。…………だから、『普通』に。そう思っていたのに。何も彼も差し出す、そう言うから。…………『本当』に、俺はお前が『欲しくなった』」
「…………本当に、って……?」
「……ロニ…………? 俺に、秘密の名をくれたように。本当に、お前の全てをくれ。色が変わったような気がする世界だけじゃなくて。朧げなままある、お前の世界も。…………なあ、ロニ……? お前の全てが、俺は欲しい。だから、ロニ。……何も彼も。この先辿る、行く末の全て。俺のこの手に、寄越せ」
──…………己が、声が。
ロニ、と、秘密の名を呼ぶ声が。
耳朶を掠めていく度に、もう隠しようがない程、エドガーの躰を振るわせていると判っていて。
セッツァーは、囁きを続けた。
己が囁きが一体、恋人の中の何処まで染み渡っていくのだろう、それを試すように。
薄い、笑みを浮かべて。
甘く、唯ひたすらに甘く。
エドガーが、抗えないように。
否も応も無く、己が望みを受け入れるように。
そして、そうしながら。
そんな、卑怯な囁きを続けながら。
少しずつ、少しずつ、指先に蠢きを持たせ始めて。
何時の間にか、一糸纏わぬ姿にさせてしまった恋人を、セッツァーは追い詰め始めた。
指折り数えられる、数度の逢瀬を交わす内に、セッツァーに追われることに慣れてしまったエドガーの躰は、なす術もなく、崩れていくばかりで。
指先に追われ、舌先に追われ、熱を高められて。
開かれた躰の、奥の奥を晒された時には、もう。
エドガーは、耳許から離れていかないセッツァーの声と。
僅かずつ与えられるセッツァーの欲を、唯、その身に受け入れるしかなくなったように。
セッツァーの望みも、黙って受け入れる以外、路が見えなくなって。
僅かに『自身』が残った胸の片隅で、微かな罪悪を覚えなくはなかったけれど。
持てる全てを、あの男(ひと)に還すのだから……と。
『朧げ』さえ失ってしまった世界に、その腕を広げた。
好きになってしまった人がいる。
男の身でありながら。
王という身の上でありながら。
好きになってしまった人がいる。
男の身で、想いを寄せた、あの男(ひと)。
王の身の上で、想いを寄せた、あの空賊(ひと)。
あの男(ひと)は、世界をくれた。
朧げだった世界に、確かな象りをくれた。
あの男(ひと)そのもの、と言う形、の。
あの(ひと)は、世界の形と想いをくれた。
………………だから。
世界をくれた、あの男(ひと)に。
世界の形と想いをくれた、あの男(ひと)に。
全てを、還そう。
あの男(ひと)がくれた、世界の象りと、想いの代わりに。
持てる全てを、あの男(ひと)に還そう。
何を望まれても良い。
何を指し出しても良い。
全てを、投げ打ってでも。
捕われろと望むなら、それに応えよう。
『世界』を渡せと言うのなら、全て与えよう。
所詮、世界に『世界』を還すだけのこと。
……遠い、遠い遠い昔。
それを知られると、『良くないこと』が起こるから、誰にも教えてはいけないよ、と。
そう教えられた『秘密の名』すら、惜しげもなく差し出したのだ。
『良くないこと』が起こるかも知れない、そう判っていて。
…………そして、言い伝えは本当になった。
でも、それでも良い。
『良くないこと』が起こっても。
構わない。
好きになってしまった人がいる。
世界を象ってくれた人がいる。
想いをくれた人がいる。
……全て、好きになってしまった、あの男(ひと)。
………………だから。
あの男(ひと)の中へ。
『良くないこと』が起こっても。
持てる全て、還しても。
秘密の名を囁く、あの男(ひと)の声を聴きながら。
全てを還して、全て差し出し。
あの男(ひと)の、中へ。
End
後書きに代えて
前書きの方にも書きましたが、このお話は、セツエド同盟の方の企画の、『お題投稿』の方に寄稿させて頂いた作品です。
──これは確か、チャットやってる最中に書き出して。
書き始める直前の私の目論みは、もう一寸、エッチい筈だったんですけども。
何でこんなに温くなったのかな。
何がいけなかったんだろう……。
それでは、宜しければ御感想など、お待ちしております。