「賭? 何の。……悪いが、セッツァー。私には今、君と遊戯に興じている暇は、ないんだ」
面白そうに腕を組み。
執務室の小さな窓の縁に凭れてそう云った恋人の顔を、エドガーはわざわざ振り返って、少しばかり睨み付けた。
「そうか? 悪い話……じゃ、ないと思うんだがな」
ちろり、機嫌の悪そうな眼光を、紺碧の瞳に浮かべられても。
セッツァーは唯々、愉快そうに語り。
手を伸ばせば届く、執務机の上にある、20万ギルの紙屑の一部を見ろと、顎をしゃくった。
「この、腹立たしい紙切れが、どうか?」
「その塵屑、どうせもう、役には立たないんだろう? だったら、ちょいと悪戯に使っても、問題はねえってことだよな」
促されるままに、紙の山へと視線を走らせた恋人に、セッツァーは、それを使っての賭をしないかと、そう申し出た。
「役には立たないが……全て換金するまで、紛失する訳にはいかない」
が、どんな『悪戯』をするつもりやら、とんと見当は付かないが、例え腹立たしい代物であるとしても、怒りに任せて捨てることは出来ないと、エドガーは首を振った。
「何、別に捨てちまったり燃やしちまったりする訳じゃねえよ。ちょいと、それを借りて。お前と『楽しい』賭をするだけの話だ」
だが、セッツァーは中々、提案を引っ込めようとはせず。
「……まあ……そういうことなら構わないが。どうせ、私も煮詰まっているのだし。多少の気分転換になるのなら、付き合ってあげないこともないよ」
だから様々なことに対する溜息を、まとめて吐き出して、ペンを放り出したエドガーはとうとう、賭に同意した。
「フン……」
恋人の頷きを受け、そうでなければつまらない、とでも云う風に、セッツァーは笑って。
執務机の上の紙幣の束を幾つか、取り上げた。
「で? その腹立たしい塵を使って、何の賭をすると云うんだ? 君は」
「説明してやるまでもないくらい、簡単な賭さ。コインの裏表を当てるようなもんだ」
──くすくすと。
何処までも、心底愉快そうに忍び笑いながら。
セッツァーは取り上げた束を、ぽいっと放り投げた。
勢い、それを両手で受け取りつつ、エドガーは訝し気な顔を作る。
「その紙幣の束……──否、別にその中からでなくてもいい。お前が手にしたそれか、机の上のそれか。何処か、お前の好きな所から、紙幣を二十枚、抜き出して。20ギルの束を作りな」
手の中の紙幣と、笑みを湛え続ける恋人の顔を見比べて、益々、訳が判らない、そんな表情を浮かべ。
「……好きな所から、好きな紙幣を適当に抜き出して。二十枚の束を作れってことかい?」
「yes.」
「ふうん……。どんな賭をするつもりなのやら」
云われるままに、彼は紙幣をまとめた束を作った。
「で?」
「出来たか? ──俺達がする勝負は、ここからが本番だ。……その前に。お前は、何を賭ける?」
恋人が、それで? と云いながら首を傾げたのを、準備が整った合図と見定め。
『チップ』の提示を、セッツァーは求める。
「何を、賭けて欲しい?」
恐らく、この場での賭に、金銭のやり取りを求めはしないだろうから。
もしかしたらその胸の内に、何か求めるものが明確にあるのかも知れぬ、とエドガーは尋ねてみた。
「別に」
だが、問い掛けに、曖昧な言葉をセッツァーは返し。
「別に……って」
「何でもいいさ。物でも、物でなくとも。あー……だがそれじゃあ、真剣勝負にゃならねえか。そうさな……。別に、どうでもいいんだが……。──じゃあ、こうしよう。エドガー。お前が勝ったら俺は、お前の我が儘を一つ、聞いてやる。その代わり、俺が勝ったら、お前が俺の我が儘を一つ、聞く。それでどうだ? この程度なら、可愛いもんだろう? 賭の代償も」
「……可愛い、ねえ……。君の我が儘が、『可愛い』と云う程度のものならばね。でも……まあ、いいか。それで構わないよ」
挙げ句、負けた方が勝った方の『我が儘』を一つ、聞き届けることにしよう、と恋人が言い出したから。
確かに『可愛い』賭だ、と、エドガーはそれを承諾した。
「じゃ、始めようぜ」
────恐らくは、性分、と云う奴なのだろう。
恋人と云う間柄の中で行う、些細な勝負を前に。
それでもセッツァーは、執務机を挟んで、椅子に座り続けるエドガーの眼前に立ち。
すっと、紫紺の瞳が放つ光を変え。
「紙幣の通し番号の、下ニ桁、あるな」
そう、切り出し。
「ああ、あるね」
「今、お前が選んだ紙幣の束の中に。下ニ桁が同じ番号の紙幣が有るか否か。それが、賭だ。簡単な話だろう? YesかNoか、答えればいい」
勝負の内容を語った。
「……それが、賭?」
「ああ。それが、『賭』だ」
「成程ね……」
賭の中身を告げられて、エドガーは、悩んだような面をし、僅か眼差しを細める。
「Yes? or No? ……どっちを選ぶ?」
咄嗟には答えを口に出来なかった恋人の眼前に、無表情で立ち続けたまま。
だがセッツァーは、選択を迫った。
「…………。No。選んだのは私なのだし。君の得意なイカサマが介在するとも思えないしね。そもそも、通し番号通りに揃っている束の中から抜き出したのではないのだから。その確率は低いような気がする」
暫しの、沈黙の後。
机の上で肘付き、組んだ両手に頤を乗せて、エドガーは選択をした。
「……俺の答えは、Yes」
彼が答えを決めた瞬間。
作り続けていた無表情を、ふっとセッツァーは崩して、笑んだ。
恋人の、そんな表情を見つけて、エドガーは一瞬、最初から彼は、仕事で煮詰まっていた自分を甘やかしてくれるつもりで、この勝負を持ち出したのではないか、と疑ったが。
「見てみな。その、紙幣の束」
促され、己が作った束の、通し番号を確かめたら。
腹立たしい紙幣達がくれた回答は、賭に勝ったのはセッツァーの方だ、と云うそれだった。
「イカサマ? 確率?」
敗北を喫した事実を知り。
ちろりと、エドガーは恋人を見上げる。
「確率」
だが、答えは簡潔だった。
「無作為で並んだ四桁以上の数字が、二十以上あった時。その中に、下ニ桁の同じ番号が揃う確率は、78%以上。……それだけの話だな。だから、云ったろう? 簡単な賭だって」
「………成程…。そういうこと、か……。賭、と云うか。やはり、騙された、と云うか……」
セッツァーの教えてくれたことを受け、賭をしたと云うよりは、単に、『引っ掛けられた』だけのような心地になって、エドガーは又、深い溜息を零したが。
ふと。
「じゃあ、セッツァー。この勝負に私は負けたから。ちゃんと、君の我が儘を、一つだけ聞き届けるけれど。もう一度、私と勝負をしないかい?」
何を思ったのか、くすりと笑って、申し出た。
「お前の好きなように」
当然のように、セッツァーはそれに答える。
「私が予言したことが当たったら。君も、私の我が儘を一つ、聞いてくれるね?」
「云ってるだろう? お前の、好きなように。……で? どんな『御神託』をお前は俺にくれるんだ?」
「数字、だよ」
「数字?」
「そう。だって君は、紙幣の通し番号で私と賭をしたのだから。目には目を、ってこと。──君がそうしろと云ったように。その紙屑の中から、好きな紙幣を一枚抜き出して、持っててくれないかい? セッツァー」
気分転換に、頭の体操でもしているようにも取れる気軽な風情のまま、エドガーは云い。
投げ出したペンを取り上げると、白い紙に、さらりと何かをしたため、折り畳み、机の脇に退け。
「君、計算、得意?」
ぽいっと、セッツァーへとペンを投げた。
「別に、嫌いでも好きでも無いが」
「じゃあね。君が今、抜き出した紙幣の通し番号の、下四桁。その数字を並べ替えて。最大数と最少数を見つけてくれないか」
「面倒臭いことをやらせるな」
「いいだろう? 唯の遊びなんだから」
受け取ったそれを指先で回し、渋い顔をセッツァーは作ったが。
意趣返しなのだから付き合え、と、エドガーは突き放した。
「見つけたぞ」
「じゃ、それ。最大数から最少数を引いて」
「引いた」
「もう一度」
「何度もやるのか?」
「ま、三回程度」
「はいはい……。──出来たぞ。何度やっても、これ以外の数にはならねえ」
「なら、その数字と。私がさっき、したためた数字。それが、同一のそれだったら。私の勝ちになるかな? セッツァー」
「ああ。そう云うことになるな。──で、『予言』の結果は、どうなんだ?」
ぶつぶつ文句を零しながらも、恋人の云うがままに、セッツァーはペンを走らせ。
己が導き出した四つの数字と、先程エドガーが紙に記したそれを見比べて。
「……どうして、判った?」
首を傾げた。
「君の『賭』と一緒。最初から、同じ数字の並びが、二十枚の紙幣の中に複数存在することを、君が知っていたように。私も、君が導き出す数字を、最初から知ってたんだ。それだけのことさ」
だから、意趣返しなんだよ、と。
僅かばかり、不思議そうな色を浮かべたセッツァーに、彼は笑い掛け。
「四桁の数字って云うのは、カプレカ数って云ってね。同一の数字の並びでない限り、最大数から最少数を引き続けていけば必ず、同じ数字が出るようになってるんだ。──判ったら、セッツァー。私は執務に戻るよ。この、20万ギルの塵を、何とかしなければならないんだから」
ペンを奪い返すと、又、『息抜き』前の時のように、厳しい表情を拵え始めた。
「なあ、エドガー?」
のんびりとした歩調で歩き、執務机の前から長椅子へと向かい。
腰を下ろしながら、そんな恋人をセッツァーは呼ぶ。
「……何」
返された声は、それはそれは冷たかったが。
「お前、どんな『我が儘』を、俺に聞き届けて欲しい?」
恋人の機嫌も厄介な執務も何処吹く風で、彼は問うた。
「今、そんなことを考えている余裕は、私にはないんだが」
「……いいから。云ってみな」
「…………あのねえ、セッツァー? 申し訳ないが、本当に、君の戯れ言に付き合っている暇は、私にはもう、無いんだ。それとも。帝国の連中が残した、この、厄介な唯のゴミ、を、何とかしてくれと云えば、君がどうにかしてくれる、とでも?」
問うて来る声も、態度も。
何処までも、緩慢なそれ、だったから。
とうとう、エドガーは声を荒げた。
「俺、が、その紙屑を何とかしてやることは、さすがに出来ないな」
けれどセッツァーは、それは無理だと云いながらも、唯、くすりと笑うだけで。
「だろう。だったら、少し黙っててくれないか」
「俺が何とかしてやること、は出来ないが。お前が何とかすること、は出来るだろう?」
そう云って彼は、懐から何かを取り出し、ぽいっと執務机の上に放り投げた。
「………これは?」
カッ……と、鈍い音を立て、机の上を転がった品を、エドガーは取り上げる。
セッツァーが投げて来たものは、何処にでも転がっていそうな、かなり大きめの、石、に見えたが……──。
「原……石……?」
良く見れば、それは。
種類までは判別出来なかったが、何か宝石の原石であることが判って。
「珍しい石の筈だぞ。確か、ピンクダイヤだったと思ったな。……好きに使え。お前にやる」
驚きを浮かべた彼に、セッツァーは、事もなしに、やる、と云った。
「ピンクダイヤ? それは、珍しいとかそう云う問題じゃ……。それに……くれる……って……セッツァー……」
「──何時だったか、忘れちまったが。昔、空賊をやってた頃な。冗談半分に、帝国空軍の連中襲った時に、戴いて来たモンだ。その紙屑を拵えてったのは、連中だろう? なら尻拭いも、連中にして貰えばいいさ。お前がそんな難しい顔をして、悩むようなこっちゃない」
「でも……」
恋人の言い出したそれは、確かに有り難い申し出ではあったけれども。
それを甘受することに、エドガーは躊躇いを見せた。
「不満、か?」
「そう……じゃないけど、だけど……」
「なら、いいだろうが、それで。元々、あのジジイの持ち物だったんだ。そのまま、売り払うもよし。加工して捌くのもよし。ま、20万ギル程度には、なるんじゃねえのか?」
「セッツァー……」
「そうすれば、お前の抱えた厄介事は何とかなる訳だし。俺は、晴れてお前との逢瀬を楽しめる訳だし。何よりも、賭……の結果だ。そうだろ? 正当な、お前の権利だ。目の前の紙束を、『俺が』何とかしてやることは出来ないが。お前が何とかする足し程度のことなら、してやれないこともない。……そう云うこと、だ」
が、躊躇う人の背を、軽く押すかの如く、飄々と、セッツァーは。
「……有り難う……。君の言葉に、甘えることにするよ」
「だから。お前の、正当な権利、だ。……後で、俺の『我が儘』も、ちゃんと聞けよ?」
もう一度、同じ言葉を口にすると、腰掛けていた長椅子の上に身を投げ出して、昼寝でもするかと、目蓋を閉じた。
──眠り始めてしまった人の横顔と。
机の上に転がった、賭の『賞品』を見比べて。
正当な権利だと主張しながら、恋人が告げて来る『我が儘』の中身に思い巡らせ。
執務机へと、向き直った。
End
後書きに代えて
大分以前に書き上げて、塩漬けしといたブツを、水洗いして、塩落として来たってのは、一応内緒ですが(←あっっ)。
……一寸、自分で笑っちゃった。
設定を変えてなくとも。書いてる最中、自分で意識した覚えはなくとも。
このお二人さん、少しずつ性格変わったんですねえ、私の中でも。
もしかしたらこれは、私にしか汲めない変化なのかも知れませんが。
…………年月の移り変わりと共に、ヒネたなー、この二人。
セッツァーさん、エドガーさんのことを、ベタベタに甘やかすトコだけは変化ないですけどね。
ま、あれっだけ私に、悪鬼羅刹の如しの扱いされれば、ヒネるか(笑)。
それでは皆様、宜しければご感想など、お待ちしております。