爆音轟く中、所謂、空の旅、をする時とは、比べ物にならない、強い衝撃を受けた後。
 身を竦めて、固く瞼を閉ざしていたエドガーは。
『エドガー。生きてるか?』
 冗談にしては悪趣味な、通信機越しのセッツァーの一言で、恐る恐る、目を開いた。
 そうすれば、目の前に、シートの背と、少し震える己の膝が見え。
『……痛い…』
『何が?』
『体がっ! ──戦闘機が発進する時の衝撃って……痛い……』
『……ああ。素人には、痛いのかもな。そんな感覚、とっくの昔に俺にはないが』
『全く…………』
 飄々とした答えばかりを返して来る恋人に、ぶつくさ文句を洩らし。
 多少、骨が軋みはすれど、それ以上の痛みはないし、気分も悪くはないし、と、漸くエドガーは、余裕を得て。
 何時しか大空に飛び立っていた機体の、風防の向こうに広がる、雲一つない、晴天の空を見渡した。
『……綺麗……』
 乗り込んだトムキャットの頭上は、当然、強化ガラスで出来た風防で被われていたから、そこに広がる景色は、飛行機の中から見遣る空とは全く違って。
 天上を眺めても、左右を眺めても、恋人の肩越しに広がる、正面の空を眺めても。
 音速に限り無く近い速度で流れていく、蒼だけがそこにはあって。
 けれど世界は、何処までも広がる蒼だから。
 何も彼も、留まっている風にも、感じられて。
 まるで、この空の直中に、一人、漂う心地すら、エドガーは覚える。
『気分、いいだろ? 見渡す限りの、空。この、蒼一色の世界が、自分だけのものになったようにすら思える。……病みつきになる。ここから、離れるのが、嫌になる』
 綺麗だと、一言呟いたきり。
 沈黙してしまった彼に、再び、セッツァーの声が掛かった。
『ああ……。そうだね……』
『こんな風にな、雲一つない日は…──。よっと。…捕まってろよ』
 素直に頷いた恋人に、くすりとパイロットは笑い。
 『警告』を促すと、鮮やかに、操縦桿を操った。
『え? 嘘…。セ、セッツァーっ!!』
 ふっ……と、パイロットシートの向こうで、セッツァーの腕が動いた途端。
 機体は、弧を描いて反転し、ついには、天地逆さまになり。
 悲鳴を上げたエドガーの『頭上』には、紺碧の海が広がった。
『空も、海も。何処までも、蒼一色になる。こんな、天気のいい日にはな。──ここには、眩暈がする程、蒼一色の世界しかない。時には、幻影さえ見える程、鮮やかだ。…………気に入ったか?』
『き……気に入ったけどっ。出来れば、その……天地を元に戻して貰えると有り難いんだが……』
 くるくると、きりもみにされたかのようなアクロバット飛行を続けながらも、余裕たっぷりに告げる恋人に、エドガーは何とか、同意だけは示した。
 確かに、彼の云う通り。
 見せられた風景は、眩暈さえ覚える程、蒼一色の世界だったけれど。
 別の意味での眩暈を、彼は引き起こしそうだった。
『悲鳴を上げる程、危ない操縦はしてねえぞ? 序の口なんだが。載せてるのがお前じゃなくて、本当の候補生だったら、わざと海面すれすれに飛んで、心臓止めてやってる処だ』
 そんな恋人の懇願に、セッツァーは又、笑う。
『悪趣味……』
『悪趣味、じゃない。訓練だ。──仕方ねえな……。ほら』
 だが、いきなりのこの仕打ちは、さすがに不憫だとでも思ったのだろう。
 もう一度、操縦桿を操って、セッツァーは機体を上向けた。
 トムキャットの鼻先が天を指し、エンジンから噴き上がる炎が、機体を空へと押し上げる。
 グっ……と、強く、体をシートへと押し付けるGが掛かった後。
 大空に半円を描いて、トムキャットは元の姿勢に戻った。
『……腐った気分は晴れたか? 機嫌は、直ったか…?』
 正しい天地に、ほっと息を吐いて、再び、『蒼い景色』を眺め出したエドガーに、セッツァーは云う。
『うん……。有り難う。すっきりした』
 通信機越しの静かな声に、エドガーも静かに、感謝を述べれば。
『なら、上等だ。──最後に、音速の壁突破の体験ツアーでもして、帰還すると致しますか? My Load.』
 穏やかな笑いが返され、おどけたような、台詞は続いた。
 ────が。
『音速突破? それ、は……──』
『……中々ない体験だぞ、空の上にいながら、ソニックブームが聞けるってのは。目、廻したら、きちんと介抱してやるから』
『冗談だろう? セッツァー』
『「教官」が、「訓練生」に、冗談を云うと思うか?』
『セッツァー…………』
『うるさい。…ああ、一寸黙ってろよ。管制塔にタッチダウンの許可取るから。──Control tower……こちら……。……で、帰還する。over? ──と云う訳だから。行くぞ、エドガー。精々、楽しめよ』
 楽しい『憂さ晴らし』の締めに、にやりとセッツァーは云い。
『セッツァーっ! 私は嫌だって云ってるだろうっっ!』
 エドガーが、絶叫するのも聴かず。
 ──トムキャットは、音速の壁を超えた。
 

 

 

「……ほんの少々、マッハを超えただけじゃねえか。ぎゃあぎゃあ云うこたねえだろ? お前も、無事だったんだし」
「それは、結果論だろう……。そりゃ、気を失ったりはしなかったけれど……。結構な衝撃だったんだ、あれは…。君にとっては日常でも、私にとっては未知の世界だったんだからね。……心臓に悪いったら。君に教えられる候補生達に、心から同情するよ、私は……」
 ──夕日に照らされる、海岸線沿いの道を、何時もよりも遅い速度で走るsupersevenの中。
 彼等は、トムキャットが音速の壁を超えた後のことで、やり合っていた。
 アクロバット飛行から機体を元に戻す時以上の、強い強い衝撃を感じても、一応、エドガーが気分を悪くする事態は免れたが。
 案外平気じゃねえかと調子付いたセッツァーに、その後、もう一度、航空ショーでもやっているのかというような曲芸を披露され。
 エドガーは心底肝を冷やして訓練基地へと帰還したから、まあ、文句の一つも云いたくなる、彼の気持ちは誰もが理解出来る処だろう。
「何であの時、マッシュが、無事で、と言い残したのか、良く判った……」
「いいだろう? 実際問題、無事だったんだから。お前、俺の腕前を、何だと思ってやがる?」
「…………取り上げたい才能」
「…何だそれは……」
 だが、ドライバーズシートでハンドルを握るセッツァーは、エドガーのそんな態度が、いたく気に召さぬようで。
 折角、憂さ晴らしをさせてやったのに、とか何とか、暫しの間、ぼやいていたが。
 フッ……と、何かを思い出したのか、楽しそうに微笑んで、エドガーの苦情への『苦情』を引っ込めた。
「…………でも。楽しかった、かな……。『空の旅』は、楽しかった。君の腕前が、極上品であることだけは、確かだしね。あんな風景、見たことなかったし。だから、うん……やっぱり。有り難う、と、もう一度、君には云うべきだね」
 故に、エドガーも又、『鉾先』を収め。
 にこりと、夕日を浴びる恋人の横顔に微笑み掛けた。
「又、何時かな」
 恋人の方を見遣ることなく、セッツァーは云う。
「……ああ、又、何時か。……別に今度は、戦闘機じゃなくとも構わないけど」
「爆撃機がいいのか? B52とか。……あの『空の要塞』は、俺にも無理だぞ」
「…そうじゃなくて」
「なら……。そうだな…。ステルス、は…駄目だしな。有人偵察機……ブラックバード……も単座だし…。ああ、あれはお払い箱になったか。だったら……」
「────セッツァー」
「……冗談だ。ま、その内に、『何か』、でな」
 ──そして、彼等は。
 何処までが本気で、何処までが冗談なのか、今一つ、計り兼ねるやリ取りを交わして。
 首都フィガロへ向かう、フリーウェイへと消えた。

 

End

 

 

後書きに代えて

 

 この話、ある意味では、ヤマもオチも意味もない、と云う部類に入るのかも知れませんが。
 ささやか(?)な日常ですので、こういう雰囲気もいいかなあ、と思いまして。書いてみました。
 折角、セッツァーさんファルコンのパイロットなんだし。二人が戦闘機載るシーン、書きたい。あれは、単座だから無理でも、複座のトムキャットならいいじゃないか、と思った海野。
 煩悩に素直に、書きました。はい。戦闘機が出て来るお話。
 ホントはねー、トムキャットってねー、定員二人だけあって、ちょーっと、でっぷりしてる子だから、好き好き大好きっ♪ って機体ではないんですが。まあ、都合です(笑)。
 陛下も、絶叫してくれたことですしね(笑)。

 宜しければ皆様、御感想など、お待ちしております。

 

 

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