恋人の仕事場にしけ込んで、朝を迎えてしまうことも、そのまま、『職場』である空軍基地へ赴くことも、良くある話だったから。
何時の頃からか、このマンションにも置いておくことにした、自身の軍服へと、セッツァーが着替え終わった時。
「セッツァー……。これって……」
やはり、手渡された物──セッツァーと揃いの、空軍の制服へと着替え終わったエドガーが、不安げな声で、話し掛けて来た。
「軍服だ。空軍の」
「それは、見れば判る。判る……けど。私にこんなもの着せて、どうしようって?」
「……憂さ晴らし」
「憂さ晴らし……と云われても」
「いいから。ほら、向こう向け」
恋人の疑問に、さらっと答え、背中を向けさせるとセッツァーは、エドガーの金髪を掬い上げ、手櫛で梳き、簡単に編み。
ポン、と、仕上げだと、頭に制帽を乗せた。
「あの……それで……何処へ?」
「サウスフィガロ」
こんな格好で赴かせる目的地は何処だ、と問う眼差しに、簡潔に答え。
空色の軍服を着込んだエースパイロットは、にかわ仕立ての空軍々人を連れて、その部屋を後にした。
良く晴れた、その日の午後。
フリーウェイを抜けて、海岸線をsuper sevenでひた走り。
二人連れの『軍人』は、サウスフィガロの軍港近くにある、海兵隊の訓練基地ゲートを潜った。
「大人しくしてろよ。ばれたら、大騒ぎになるからな」
駐車場にて、愛車から降り立った途端、セッツァーはエドガーに、そんな忠告をする。
大騒ぎになるようなことなぞ、最初からしなければいいのに、と、ぶつぶつ零れたエドガーの呟きを無視し。
まるで、新兵を従えている風な態度で、空軍一のエースパイロットは、テリトリー外である筈の、海兵隊基地を歩き出した。
──所属を違えようとも。
軍人としては型破りの長髪を翻す、激しい問題児の彼は、顔が知れているのだろう。
顔を見るなり、こそこそ、噂話を始める者達や、軽く、会釈をして来る者達、戦友なのか、親しげな調子で話し掛けて来る者達を、それなりにいなして。
セッツァーは、正体がばれぬようにと俯き加減で歩くエドガーを連れ、訓練場に出た。
屋内の、人工の灯りの元より、陽光の下へと不意に出され、にわか軍人は、眩しそうに空を見上げる。
雲一つない青空を、制帽越しに暫し見詰めて、ほら、と、微笑みつつ云ったセッツァーの促した方角に視線を向ければ。
そこには、一機の、戦闘機があった。
「これは……」
「ダクラス・グラマン社製造、F-14A・艦上戦闘機。俗称、トムキャット。全長:19.10m、 全幅:19.54m、重量:18191kg、最高速度:2485km/h。F/A-18・ホーネットが開発されるまで、世界最高の艦上戦闘機だった機体だ。──エドガー、お前、スカイダイビング、したことあるか?」
F-16・ファイティングファルコンとは違う、眼前の戦闘機を見遣り。
何だ、とエドガーが問い掛ければ、セッツァーからは、流れるような説明が返され。
何故か、スカイダイビング、と云う単語が飛び出た。
「経験は、皆無だけど。………………まさか、セッツァー……」
だから、嫌な予感を覚えて、ちろっと、彼は紺碧の瞳で恋人を見上げる。
「フン……。まあ、いいか。万に一つも有り得ねえからな。──多分、そのまさか、だな。載せてやる、こいつに。そりゃーーあ、いい憂さ晴らしなるぞ? 何せ、空軍一のエースパイロットが操縦する、アクロバット飛行が体験出来るんだ。楽しみにしとけ」
すれば、思った通りの回答が返され。
クラっとエドガーは、眩暈を覚えた。
……故に。
「空の旅は嫌いじゃないが……。どうして、戦闘機に……」
「残念ながら、ジャンボジェットは、俺には操縦出来ないからだが。セスナじゃ、俺がつまらねえしな」
「海兵隊の、訓練基地まで来た理由は?」
「トムキャットの定員が、ニ名だからだ。云ったろ? 艦上戦闘機だと。家の航空隊には、ファルコンしかねぇんだよ。あれは単座で、定員は一名」
「だからって……」
「平気だ。マッシュに話は付けさせてある。パイロット候補生の研修の一つだって、嘘付かせてあるから、大丈夫だ」
「そういう問題じゃないんだが……」
「気にするな。気絶しないように、手加減はしてやる。ま、そうだな…マッハ超える程度なら、問題ないだろ」
「セッツァーっ!」
延々、最後には、声を張り上げるまで、エドガーは云い募ったが。
愉快そうに笑いながら、セッツァーはそれを退け。
「じゃあ、頼む。俺達は支度してくるから」
トムキャットの周囲で、整備をしていた者達に声を掛けると。
「ちょ、…一寸待て、セッツァーっ!」
「正体がばれるから、騒ぐなっつったろうが」
喚き散らす恋人を引きずり、訓練兵の為のロッカールームへと消えた。
「今更だが……。お前、顔ちいせえなー……」
「そんなこと云うくらいなら、戦闘機なんかに乗せようとしなきゃいいだろうっ!」
──パイロットスーツに着替え終え、戦闘機に搭乗する為に必要なヘルメットと、エドガーの顔を見比べて。
セッツァーが、大声で笑い出した。
盛大な笑い声に、エドガーは憤慨したけれど。
やっぱり、腕を引かれて彼は、トムキャットの傍らに、立たされてしまう。
「おら。行くぞ」
そうされても、かなりムスくれている恋人の腰を、ぱしりと叩いて乗り込ませつつ、セッツァーは、オフィサーに向けて、指示を出した。
「大尉殿。候補生苛めですか?」
彼等のやり取りが、ちらりと耳に入ったのだろうオフィサーは、管制塔への許可を仰ぎながら、ニヤリとエドガーにとっては不吉以外の何ものでもない笑顔を見せた。
「ま、そんなトコだな」
「貴方がトップガンクラスの教官も兼ねるようになってから、訓練時、同乗者が気絶してぶっ倒れる回数が激増したって噂、聴いてますよー。今日の候補生は、まーた、簡単にイきそうですなあ。手加減してやらないと、不憫ですよ、大尉」
「……手加減してたら、訓練にならねえだろうが。戦闘機がどんなものか教えてやる為に、俺の後ろに載せてやってんだぞ? ──じゃ、頼むわ」
そして、複座の後ろに乗り込んだエドガーに、脂汗を掻かせるような会話を二人は交わし。
「セッツァーっ! 話が……──……っ…」
『一応』は、国家元首である彼の苦情が全て吐き出される前に、トムキャットのエンジンが点火された。