final fantasy VI@第三部

『tsar』

 

前書きに代えて

 

 ついつい、書いてしまいました、猫目石の続編。
 セッツァーvsニャンコ(笑)。
 このセッツァー、結構、精神的に追い詰められてます(笑)。
 では、どうぞ。「tsar」──ツァー。
 
 

 

 不幸や受難、と言うものは。
 一度(ひとたび)陥ってしまうと、中々、その業の中から抜けだせないものである。
 それが、悲しいかな、この世の理だ。
 ──そう、世の中の、一部分の人間は、時に。
 アリ地獄に落ちてしまったかの様な、激しい受難の中で嘆いたりする事もある。

 

 先日。
 ビルとビルの隙間から、エドガー・ロニ・フィガロ二世──この国の、国王陛下の御手によって救われた、小汚かった子猫は。
 恋人同士の甘い週末をぶち壊し、その片割れ、セッツァー・ギャビアーニ空軍大尉殿の、盛大な不興を買ったものの。
 二晩の間に、すっかり情が移ってしまって、手放す事が出来なくなったエドガーの『頑張り』によって──セッツァーを筆頭とする周囲の者達に言わせれば、大変に頂けない頑張りだったのだが──、フィガロ城で飼われる事と相成り。
 野良猫から一転、お城の──正しくは『陛下』の──愛猫と出世した。
 あの猫の性別は。
 男の子だったのだが。
 男の子、だったのだが……『アニー』と言う「愛らしい」名前も付けられた。
 何故、そんな名前になったのか、理由がない訳ではない。
 当初エドガーは、アニーに、『セツ』、と言う、何処からどう見ても、どう聞いても、恋人──世間的には『大の親友』である人物の名前を連想させるそれを、付けようとしていたのだが。
 頼むから、それだけは止めてくれ、と言うセッツァーの懇願を、渋々ではあったが聞き入れ、その代わり、恋人の名字の後半部分を戴いて、順番を入れ替え、命名すると言う手段を取ったので、アニーは、『アニー』なのである。
 だが。
 アニーがフィガロ城へやって来て、そろそろ一ヶ月近くが経とうとしている今では。
 姿形だけは誠に愛らしい白猫アニーの事を、正式名称で呼ぶのは、エドガー唯一人である。
 尤も、その事実を、エドガー『だけ』は知らないが。
 ──顔立ちも良く。少しばかり悪戯好きな処さえ愛嬌になる、鳴き声も可愛らしい『彼』は。
 国王陛下のペット、として、マス・メディアの片隅で取り上げられもして、世間様的には中々評判も良いのだが。
 どう言う訳か、エドガーにしか懐かないし、懐こうとしない。
 猫に、一宿一飯の恩義と言う概念があるとは思えないが……彼にとって、絶対の主人は、救いの手を差し伸べてくれたエドガー唯一人であり、その他の人間は、毎日顔を突き合わせているマッシュであろうと侍従長であろうと女官達であろうと、己よりも格下の『生物』でしかないらしい。
 なので当然、休みの日にしか邂逅のないセッツァーなどに至っては、エドガーが恋しくて仕方ないアニーにしてみれば、『宿敵』以外の何者でもない。
 主人の前では、躾の行き届いた、賢く、聞き分けの良いペットである彼は。
 エドガーが姿を消した途端、誰の言う事も聞きはしない、傍若無人の凶悪猫、と化す。
 まあ、アニーにしてみれば当たり前の事なのだろう。
 自分よりも格下の生物の言う事などに、聞く耳は持てないのだろうから。
 故に。
 最初の内は、恐れながら、と、アニーの傍若無人さを、周囲の者がエドガーに訴え出てもみたけれど、主人の前『だけ』では行儀の良い彼だから、訴えを、エドガーが信じる筈もなく、一笑されて終る始末だったので。
 エドガーのいない所では。
 何時しかアニーは、「tsar」──ツァー、と言う、北の国の言葉で、皇帝を意味するあだ名で呼ばれる様になった。
 根性曲がりの癖に、やたらと賢く、手に負えない『皇帝陛下』。
 それが現在の、正しいアニーの地位であり、俗称だった。
 

 

 不機嫌、を通り越して、蒼白な顔色に至ったセッツァーの瞳を覗き込んで。
「お願いしても構わないかい?」
 と、その日の午後、エドガーは言った。
「断る」
 だが即答で、セッツァーはそれを、拒絶する。
「でもね……私にも事情があって……」
「判ってる。何度も聞いた。それでも断る」
 ──セントラルパーク前のマンションの一室で。
 先程から、三十分近くにも渡って、繰り返されているやり取りを、彼等は再び交わし。
 その時、双方共に、深い溜息を付いた。
 ──何故、彼等が延々、不毛なやり取りをしているのか。
 その真相は、こうだ。
 明日から三日間、エドガーには、国王としての数少ない、けれど重要な公務の予定が入っている。
 ……が。
 城内の者の殆どが、城を空ける間、頼むからアニーを何処かに預けてくれと、エドガーに泣きついて来たのである。
 こんなに手の掛からない猫の、高々三日程度の世話の、一体何が泣く程嫌なのか、彼にはさっぱり理解が出来なかったが、今だかつて、皇子や国王、と言う立場とは関わり合いのない部分での己の頼みを、一度足りとて嫌だと言った事のないじいやさえもが、心底苦痛そうな表情を浮かべたので。
 もしかしたら城内は案外、猫の苦手な者が多いのかも、と、果てしない勘違いをしたまま、それを約束はしたものの、さりとて、ペットホテルに預けるのは偲びなく。
 エドガーは。
 セッツァーにとっては馬鹿猫以外の何者でもないアニーの、三日に及ぶ世話を。
 アニーにとっては宿敵以外の何者でもないセッツァーに、依頼している最中なのである。
 何故、城内の者も、セッツァーも、己の頼みを聞き入れてくれないか、の部分を、深く考える事もなく。
「城の者は皆、猫が苦手なのか……嫌な顔をするし……。かと云って…ペットホテルは私が何となく嫌だし……。何も、一日中相手をしてくれって頼んでる訳じゃないだろう? 君にだって仕事が有るのは私にだって判っているのだから。朝、出掛ける前と、帰って来てからの間だけ、この子の面倒を見てくれないかって云う私の頼みが、そんなに負担かい?」
「別に、負担じゃねえよ。そいつ以外の猫の世話、ならな。あんな性格の悪い猫の面倒なんざ、一時間でも見れるもんか」
「他の猫の世話が負担じゃないなら、アニーの世話だって、大差ないだろう? この子はこれでも、聞き分けの良い子だよ?」
「聞き分け、が、いい、だあぁ? 起きてる内から寝言をほざくな。この馬鹿猫の、何処を見て、聞き分けがいいと言い張るんだ? お前は。たった三日の猫の世話を、どうして城の連中が嫌がったのか、よーーーー……く、考えてみるんだな」
「…………猫が、苦手だから…だと私は思うけど……。私の手前、嫌いとも言えなかったんじゃないかなと……」
「……お前、な…………」
 ──だから、二人の会話は、続いたけれども。
 セッツァーが、何を告げてみても、アニーの正体を、決して信じる事のないエドガーには、何も伝わらず。
 ちぐはぐな会話が、根底で意味している事も当然、気付いて貰える事はなくて。
 げんなりとセッツァーは肩を落とし。
 そして、最終的には。

 

 今日程。
 セッツァーは、空軍官舎の己の部屋が、殺風景極まりない事に、感謝を捧げた事はなかった。
 ──結局、最愛の恋人にほだされて、預かってしまったアニー。
 籐の籠に入れられて、砂場とか餌皿とかキャットフードとか云った、諸々の荷物達と共にやって来た馬鹿猫は。
 エドガーが帰るや否や、先ず、ベッドの下に潜って、出て来なくなった。
 まあ、出て来ない分には害もない、と、皿の中に適当に餌を盛り、これ又適当に水を入れ。
 明日の為にもう寝ようと、シャワールームへと向かい。
 数十分後、さっぱりした表情で戻って来たセッツァーは。
 それが、アニーの『作戦』だった事を知った。
 コットンのローブを羽織って、頭にはタオルを被り、素足で室内を歩き出した彼は。
 幾つもの小石を踏んだ様な感触を、足の裏に覚えた。
 幾ら男所帯とは言え、こんな感触を覚える程、室内を散らかした覚えもないから。
 恐る恐る、床に目を落としてみれば。
 頭を振ったらカラカラと言う音を立てそうな馬鹿犬がトイレをしたとしても、ここまではしないだろう、と言う程、猫トイレの砂が、至る所に散乱していて。
 動物の小水を吸収すると固まる、消臭効果のある人工砂が、べっとりと、水の滴る足の裏に張り付いていた。
「……っの……馬鹿猫……っ……」
 一瞬、固まり。
 散乱する白い砂にくらりとし。
 やっと、こめかみにピキリと青筋を立てた彼は、ゆっくりと室内を見回す。
 すれば。
 作り付けのクローゼットの上にアニーはいて、睨み付けて来たセッツァーに、小首を傾げて可愛らしく、ニャン……と鳴いた。
「にゃん、じゃねえ、この糞猫っっ!」
 拳すら振り上げ、彼は怒鳴ってはみたものの。
 そんなものが通用する筈もなく。
 明らかに、人間の目にさえ、うるさい、と映る表情を拵えて、アニーは、クローゼットの上に陣取ったまま、フカッ……と欠伸を一つすると、金緑色の瞳を閉じて、丸くなった。
 その後。
 両隣の同僚の、うるさい、と言う苦情を退けながら、侘びしく背中を丸め、己の殺風景な部屋に感謝を捧げつつ掃除機を動かし。
 深い、憂鬱な溜息を零してセッツァーは、再び、シャワールームへと戻った。
 因みに。
 その夜二度目のシャワーから彼が戻って来た時。
 床には、キャットフードが散乱していた。

 

 

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