二月八日、当日。
 数日前の深夜電話で、そりゃあ甘ーーーーーく甘く、君の誕生日は、あのマンションで一緒に過ごしたいんだ、いいかな……てなお誘いを、最愛の恋人より受けたセッツァーは。
 だらしなく伸びた鼻の下を、なんとかかんとか引き締めて、ペントハウスの玄関を潜った。
 恋人は今日、生誕の記念日を迎えた己に、一体、どんなもてなしをしてくれると云うのだろう。
 ……そんな想い巡らせ、更なる想像をしたら、崩れてる、と隣人に頬を持ち上げられそうな程、彼の顔はにやけた。
 パターンから云ったら、まあ、茶なんぞ嗜んで、夕食に出掛けるかデリバリーを取るかして、多少飲んだりもして……てな処だろ。
 多分その後、あいつの性格だ、プレゼントか何か、くれるだろうから。
 ……そうしたら、後はもう、『お楽しみ』って奴だ。
 プレゼントなんざ、どうだっていいってのに。
 第一、あいつそのものがもう、プレゼントみてぇなモンだし。
 ちょいとばかり、普段『やったら』逆鱗に触れる様なコトを楽しませて貰えれば、それが一番『楽しい』んだが。
 ──てな風な、想像と言うか、心の声と言うか、妄想と言うか、願望と言うか……、が、その時、鼻の下を伸ばし、顔面を崩して、セッツァーが思った事だ。
 少々、誇大な希望だな、と思ってしまうのは、致し方ないので無視するとして、えー、あー、恋する乙女ならぬ男の頭にお花が咲くと、らりぱっぱでちーぱっぱ……でなくって……んーー……、まあその……恋愛は劇薬、と言うか……兎に角、だ、故国の英雄の仮面の下に、そんな煩悩を隠しているとは、微塵も思えぬ、きりりと引き締まった顔を作って、彼はロビーを抜けた。
 リビングへと向かい、廊下とその部屋を仕切るドアを開け放ち、途端、急く様な足取りをしていた彼は、ぴたりと立ち止まる。
 匂い、がした。
 キッチンから漂ってくる、『独特』の匂い。
 紛う事なく、誰かが料理をしている。
「……エドガー?」
 想い人と、恋人、と言う関係を築いてから、ずっと彼は合鍵でこの部屋に立ち入っているから、今だその訪問に気付いてはいない、そして、恐らくはキッチンにいるだろう愛しい人の名を、恐る恐る、セッツァーは呼んだ。
「あ、早かったね、セッツァー。お帰り」
 ──お帰り。
 そんな、何時も通りの台詞で、エドガーはセッツァーを振り返った。
 本来ならば、いらっしゃい、と出迎えるのが妥当なのだろうが、彼等にとってこのペントハウスは、愛の巣、すいいとほおむ、と言う奴に該当するので。
「あ、ああ……ただいま……」
 故にセッツァーも、違和感など微塵も感じぬ口振りで、勢い、お約束の一言を返した。
 まるで、新婚さんのそれの様であるが、何しろ、すいいとほおむ、であるからして……以下、略。
「お前……何をやってるんだ……?」
 どうやっても、鍋をかき混ぜるおたま、としか思えないブツを握り締めて、己を出迎えた恋人と、間抜けにも、極日常のやり取りを交わした後、エドガーの姿に一瞬、くらりと眩暈を覚えながらも、セッツァーは、何とかそれを尋ねる事に、成功する。
 この場合、覚えてしまった眩暈に任せて、そこに倒れ込まなかったセッツァーを、誉めてはやるべきなのだろう。
 長くて美しい金髪を三つ編みにして束ね。
 シャツの袖を捲り上げ、所々に、調理の最中に汚してしまったらしいシミの出来た、元は純白だった、デザインはやっぱりここでも表現したくないエプロンをきっちり身に付けたエドガーが、おたま片手にひょいっと振り返ったのだから……、一応、衝撃の程は察してやるべきか。
「何って……料理、だけど……?」
 だが、唖然とした声音で尋ねて来たセッツァーに向け、そんな事も判らないのか、と言いたげに柳眉を顰めつつ、エドガーは首を傾げた。
「……いや、それは判る、見れば判る。俺が聴きたいのは、何でお前が料理をしているのかって事なんだが」
 これは夢じゃない現実だ、正気を取り戻せ、しっかりしろ、真実を認めるんだ、セッツァー・ギャビアーニっ! ……と、何とかして、どうにしかして、己に言い聞かせつつ行った、空軍大尉の再度の質問に。
「それは……その……。今日は、君の誕生日だろう? けれど、正直、君に何を贈ったらいいのか、思い付かなくって……。物を贈る代わりに、料理でも、って思って……」
 照れ臭そうに現・国王陛下が答えたから。
「ああ……そういう事、か……。成程、な……」  
 僅かばかり引き攣った様な笑みを、セッツァーは浮かべた。
「御免、君が来るのは、もう少し遅い時間だと思ったから、未だ、全部が出来上がっていないんだ。あ、でも、あらかたは出来上がっているから。リビングで待っててくれないか?」
 恋人の、引き攣った様な笑みに、幸いにも気付く事なくエドガーは言う。
「……ああ、判った…」
 照れるから出て行け、と言わんばかりにキッチンからの退室を促したエドガーに頷き。
 ダイニングテーブルの上に並べられた料理に、ちらりと目をくれ。
 その脇をすり抜けざま、一つの皿の上から、肉の切れ端を一欠片、失敬して。
 セッツァーは、リビングへと戻った。

 

「アニー? アニー? おーい、馬鹿猫?」
 リビングに戻るや否や。
 セッツァーは直ちに、エドガーの愛猫、アニーの姿を探し求めた。
 犬猿の仲の猫を、である。
 恋敵に名を呼ばれて、早々は簡単に姿を現す猫ではないのだが、どう云う訳か、その日に限って、アニーはすんなりと姿を見せた。
「……喰え」
 うるさい、何だ? と、例えるならばそんな表情を湛え、足元にちょこんと座ったアニーに、セッツァーは、くすねて来た肉片を、転がして告げる。
 ……アニーは。
 ひょいっと転がされたそのブツの匂いを、暫しの間、フンカフンカフンカフンカ、嗅ぎ。
 前足で、数度、転がし。
「お前の御主人様が、拵えたんだぞ?」
 と云うセッツァーの声に押されて漸く、ぺろっと、味見をする如く、舌で舐め。
 最終的に、プイっ……と、そっぽを向いた。
「やっぱりな…………」
 普段、こ憎らしい態度ばかりを取ってみせる馬鹿猫のそんな仕種に、セッツァーは、深く深く、肩を落とす。
 ──別に彼は、宿敵である猫との親睦を計ろうと、『餌』を与えた訳ではない。
 リビングに入った刹那に嗅いだ、あの匂い。
 恐る恐る立ち入ったキッチンで、エドガーの背後に見た、鍋の中身。
 未だかつて、エドガーが、『料理』、と云うものをした事がない、と云う現実。
 それらから立てた、一つの推測を元に、セッツァーは、アニーに毒味をさせたのである。
 匂いが、料理を作る時に出るそれであるのは、直ぐに判った。
 あんな、食材が焦げている様な、如何とも表現のし難い匂いなど、例え科学実験をしたとしても、出ないだろう。
 エドガーの背後にあった、もう火には掛けられていなかった、どろりと云うか何と云うか……やはり、表現のし難い物体の入った鍋は、失敗作なのだろう。
 恋人が己の為に、そういう事をしてくれる、と云う事実は、いじらしいと思うし、可愛いとも思うし、このまま抱き締めてやって、閨に突入したい、と思わせてくれなくもない。
 そのいじらしさや、可愛らしさや愛しさに答えてやる為には、一度の失敗にめげる事なく、今、エドガーが作り続けている鍋の中身を、黙って、美味しい、と食べてやる事なのだろう。
 ……が。
 皿に盛り付けてもOK、との判断を下された物が、猫も跨ぐ様なそれとなると……事情は若干、違ってくる。
 恐らく、エドガーの事だから、教本通りに作っているのだろう。
 何故、教本通りに作って、こんな、尋常でない匂い立ち篭める物が出来るのか、どうして、徹底的に鍋を焦がす程の失態をするのか、今一つ理解は出来ないが、それはさておき、教本通り、と云う事は、だ。
 大抵、あの手合いは、四人前の分量で記載されている事が多いから、鍋の中身も当然…………と云う事になって…………。
 この家に、胃薬はあったろうかと、セッツァーは真剣に、チェストの引き出しを漁り始めた。
 と、その時。
「セッツァーっ」
 突然、キッチンからエドガーがひょいっと顔を出して、何処か、詰る様な声で呼んだ。
「…あ? ……ど、どうした?」
 突然の強い声音に、まさか、胃薬を探している事がばれたのだろうかと、どもりながらセッツァーは振り返る。
「駄目だってば。優しくしてくれるのは嬉しいけど、アニーの分もちゃんとあるんだから、皿の上から摘んで与えちゃっっ」
 しかし、エドガーのお叱りは、どうも、完璧に作り上げた皿の上のディスプレイが、若干乱されている事に気付いたが故のそれだったらしく。
「余分にあるから。つまみ食いはなし。いいね?」
 ぴしゃりと云ってのけると、再び、キッチンへと彼は引っ込んだ。
「アニーの分も……な」
 云われた事を復唱し、セッツァーは、足元を見遣った。
「にゃーー…………」
 何処か、困った様な鳴き声が、セッツァーを見上げているアニーからは上がった。
「お前の分も、あるんだとよ、あれ、が」
「にゃ……」
「余分に、あるんだと。どうするよ?」
「にゃう………」
 一人と一匹は、暫し、お互いを憐れむ様な声で、会話にならない会話をしたが。
「逃れる方法は……ねえ、だろうなあ…………。何とか、喰えるもんが出来る事を、祈るのみだな……。──何処の馬鹿だ、あいつに、料理を贈り物の代わりに、なんて入れ知恵しやがったのはっ!」
 どうやっても、どう足掻いても、この夜の、少々恐ろしいディナーから逃れる術はないだろうと、深い深い、溜息を零した。

 

 

 21XX年2月8日。
 この夜、フィガロ空軍一のエースパイロットの誕生日を祝う為、恋人である、現・国王陛下が自ら拵えたディナーが、セントラル・パーク前のマンションの一室で振る舞われた。
 傍目には、はいはい、御馳走様、と云いたくなる様な、それは幸福な一夜ではあったが。
 見た目『は』、極普通の夕餉を食した、セッツァーとアニーの運命は、誰も知らない。
 この夜、セントラル・パーク前のペントハウスの一室に居合わせた二人と一匹は、黙して、語ろうとしないから。

 

End

 

 

後書きに代えて

 

 戴いたリクエスト、それは。
 『第三部の設定で、陛下が、もうすぐセッツァーの誕生日だからと、生まれて初めての料理で彼をお祝いしよう! しかし、出来上がった料理にセッツァー&アニ―、些かピンチ! というようなギャグ』……との事でした。
 故に、しっかりきっぱり、コメディです(笑)。
 それにしても、どうして、教本通りに作り、あれだけの下準備をして、猫に股がれる物を作るんでしょうねえ、エドガーさん。深い謎です(私のオツムのが謎だな)。
 出来上がった料理を彼等がどうしたのか、余計な一言を云ってしまったマッシュの運命(次いでに、エドガーのエプロンのデザインも(笑))、その辺りは、御想像にお任せ致します。
 あ、唯、教本に書いてなかったので、エドガーさん、自分が作った料理の味見を、してはおりません(微笑)。

 宜しければ皆様、御感想など、お待ちしております。

 

 

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