Final Fantasy VI
『最後の慰め』

 


 

 

 竪琴に良く似た、膝の上に抱えられる程度の大きさの弦楽器を、フィガロ城の中庭で一人爪弾くのが、彼、エドガー・ロニ・フィガロの慰めだった。
 もう二度と、経験することなどないだろう冒険の旅に赴く前も、旅より帰城した後も、小さな楽器を爪弾くこと、中庭で一人風に吹かれること、それは確かに、彼の慰めの一つだった。
 砂漠の国フィガロを治める王家の嫡男として生まれ、生まれ持った運命のまま、一国の王になって、国と、大地と、国民(くにたみ)を、若くして背負った為、冒険の旅の空の下で過ごしていたあの頃のように、思うまま、思う街、思う場所、そんな所へ向うことも容易ではない彼の慰めは、その二つだった。
 ……尤も、彼にとっての慰めが、二つきりであったのは、エドガーが冒険の旅に赴くことになる以前の話で、長かったような、短かったような、あの旅を終えた今の彼には、お世辞にも大きいとは言えない庭の草木を愛でることと、楽器を奏でること以外に、あの冒険の旅の果てに得た、恋人──セッツァー・ギャビアーニという名の恋人の訪れを、抜け出すこともままならない城の中にて一人待つ、という慰めも増えたのだが。
 ──男であり、国主である彼が、事もあろうに、性別を同じくする、放蕩無頼なギャンブラーを恋人に持ってしまったという現実は、その恋に溺れるようにしているエドガー自身にも、『決して良いことではない』との認識を与えては来ているが、エドガーとセッツァーの二人が『そういう関係』に堕ちたのは、言葉にするなら、『運命』という奴で、大切な仲間達と共に日々暮らした冒険の旅の中で、セッツァーに自分が惹かれ始めていると気付いてしまってより、ずっとエドガーは、そんな『間違い』があってはいけないと、懸命に己を押さえ、又、彼を愛し始めてしまっているなんて、そんなことがある筈ないと、自身の感情を否定し続けてはみたが、結局それは、無駄な努力で終わり。
 余り良い表現ではないが、『擦った揉んだの挙げ句』、彼等が共に日々を過ごした旅路が終わりを見る頃には、セッツァーとエドガーの二人は、収まるべき所に収まっていた。
 だから今では、エドガーはセッツァーの恋人で、セッツァーはエドガーの恋人で、例え、手に入らぬモノは滅多にないのだろう国王としての『権力』を振り翳しても、絶対にエドガーには得られることない『自由』を得ているセッツァーが、『自由』を得られない恋人の代わりにと、フィガロの城を訪れるのは、エドガーにとっての慰めであり、セッツァーの、エドガーに対する愛の証の一つだった。
 だが、そんなある日、唐突に。
 エドガーにはもう一つ、『慰め』が増えた。
 

 

 ────晴天の青が広がったその日。
 不意に、執務だらけの忙しさから解放される僅かな時間を得られた彼が、なら……、と、小さな楽器を抱えて中庭に向い、緑の上に座り込んで、それを爪弾いていたら、何処から迷い込んで来たのか、一匹の野良猫が、まるで彼の奏でる音楽に魅せられたかのように、中庭の片隅に拵えられた花壇の影から、ニャア、とか細く鳴きながら、姿を現した。
 そうしてそのまま、ふらふらとエドガーの傍らへと進んだ猫は、茶色い毛並みをしているのか、黒い毛並みをしているのか、それすらも良く判らない程薄汚れてしまっている、痩せっぽっちの、間違っても、愛らしく人を惹き付けてみせるような可愛らしい動物、とは言えない代物で、その外見が語るように、砂ばかりに囲まれたフィガロ城やその近くで、やっとの思いで生きて来たのだろうことを証明するように、目付きも鋭ければ、警戒心も大層強く、琥珀色の瞳を光らせて、シャ……と威嚇してみせたので、そういう意味でも、可愛らしいとは到底言えなかったが。
「……一体、何処から迷い込んで…………。──おいで。何もしないから」
 ぽいっと、抱えていた楽器を放り出して、そろそろとエドガーが手を差し伸べれば、一瞬、差し出されたエドガーの白くて細い、女性に負けずとも劣らず綺麗な手を、野良猫は、引っ掻く風な素振りを見せ、けれど、しきりに警戒しながらも猫は、思い切ったように、緑の上に座り込んでいる彼の膝の前で踞って、眠り始める風にしながら、チロチロと、琥珀色の瞳を、幾度かエドガーに向け始めた。
「……良い子だね。私の言っていることが、判るのかな? お前には」
 何かを催促している如く、視線を預けて来る猫を眺め、彼はくすりと笑いを零し。
「ああ。ひょっとしてお前、お腹が空いているのかい?」
 猫の、催促めいた視線を、『餌が欲しい』の意と受け取って、エドガーは、その場に、楽器と猫を残し、立ち上がった。
「………………あっ」
 だが、彼が動いた途端、バッと猫は、弾かれたように踞っていた体を飛び上がらせて、振り向きもせず、花壇の向こうへ逃げて行ってしまって。
「……逃げられた…………」
 至極残念そうに彼は苦笑を洩らし、再び芝の上に座って、放り出しておいた楽器を取り上げた。
 

 

 ──結局、その日はそれきり、薄汚れた、痩せっぽっちの野良猫が、エドガーの前に現れることはなかったけれど。
 それより暫くの間、エドガーは、『再会』を期待して、懐に、猫の餌になりそうな物を忍ばせ、中庭へと赴くようになった。
 勿論、『敵』は野生に生きているから、早々、エドガーの望むような再会は果たされなかったが、もう、あの猫が迷い込んで来ることはないかなと、そんな風に彼が思い始める程度、時が流れたある日、先日と同じように、中庭の片隅で、彼が愛用のそれを奏でていたら、ふら……っと。
 猫は、姿を現した。
「お前は、私がこれを弾いているとやって来るね」
 だから、前回よりもあっさり、己の膝元に踞った猫へ、嬉しそうに彼は言って、その日も持ち合わせていた猫の為の餌を、懐より取り出し、そっと、猫へと差し出してやった。
 差し出されたそれと、エドガーの顔を暫しの間、疑わしそうに猫は見比べて、でも。
 はぐっ、とそれに、被り付いた。
「…………美味しい?」
 そんな猫の姿を、嬉しそうに彼は眺めて。
 又、楽器を爪弾き始めて。
 与えて貰った餌を食べ終えた後、その日は、エドガーが多少身じろごうが動じずに、我関せず、と言った風に猫はそのまま、午後の中庭で、昼寝を始めた。
 

 

 ………………故に、それからと言うもの。
 野良猫に言わせれば、餌を期待して、とのそれが本音なのかも知れないが、天気の良い日、中庭の片隅で、エドガーが楽器を爪弾く度、奏でられる音楽に魅せられた如く野良猫は姿を現し。
 国王陛下の手ずから、餌を貰って。
 それを食べ終えると、満足したように昼寝をし。
 エドガーは、そんな猫の訪れを、待ち侘びるようになって。
 何時しか、薄汚れた、痩せっぽっちの野良猫は、エドガーの、数少ない、慰めの一つとなった。

  


 

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