数週間が過ぎても。
相変わらず、野良猫がエドガーの許を訪れる日々は、続いていた。
最初の頃は、晴天の日、中庭で、餌を携え楽器を弾く、との『条件』を揃えても、猫が姿を見せない時もあったが、時間が経つ内に、必ずと言って良い程、エドガーがそうしていると猫はやって来るようになって、彼は猫に秘かに、アイラとの名を付け、飼うことは出来ないものかと、画策を始めた。
しかし、猫──エドガー曰く、アイラ、は驚く程エドガーに馴れはしたものの、城の中へ連れて行こうとすると、暴れ、逃げ出してしまうので。
「洗ってあげたいのに……。……あれ? 猫って、水、嫌いだったかな……」
困ったな、と彼は。
何とかしてアイラを捕まえ、手入れをして、城の中できちんと飼う方法はないものかと考え続けたのだが、アイラがエドガーに、そう言った意味で『捕らえられる』ことは決してなかったから。
まあ、いいか、その内に、何とかなるだろう、と。
のんびり、彼は構えることにし。
…………そして、再び時は流れて。
「随分と、ご執心だな」
久し振りに、逢瀬の刻を持ったと言うのに、己の顔を見るや否や、
「久し振り、セッツァー。元気にしてたかい? ……処でね、アイラ──ああ、猫なんだけどね、アイラって。野良猫なんだけど、『親交』が深まったのに名前の一つも付けないのは薄情かと思って、私が名付けたんだけど。──兎に角、アイラがね…………」
……と始めた恋人に、セッツァーは、苦笑を浮かべた。
碌でなしで放蕩者のギャンブラーにも、それなりには世間様との関わり合いというものがあって、その関わり合いの所為で、この数週間、逢瀬の為にフィガロを訪れること叶わなかったから、致し方なかったこととは言え、己の不実に対し、さぞや、思いの外寂しがり屋なエドガーが拗ねているだろうと彼は考えていたのに、実際にフィガロ城を訪れてみたら、拗ねている処か、この数週間会えなかった事実すら忘れた風に、恋人に、それはそれは嬉し気に猫のことを語られたのだから、苦笑を浮かべたくなるセッツァーの気持ちも、判らなくはない。
「『ご執心』? ……え、そうかな。私以外の目には、そう映るのかも知れないけど……。だって、可愛いんだよ? 野良猫だから、決して綺麗じゃないし、毛並みだって、艶が無くて埃塗れで、実際は何色なのか、あんまり良く判らないし、顔の造作も、こう……細面だけど、目付きが悪いと言うか、ドラ、と言うか……。でも、私には懐いてくれていて、最近では、餌も手のひらの上から食べてくれるし、私と一緒に居る時は、余り良くない目付きも和らいでいるように見えるし、無防備に昼寝もするし。だから出来れば、飼いたいのだけれど、城に押し篭められるのは嫌なのか、捕まえようとする度、逃げられてしまってね。…………どうしたらいいと思う?」
けれどエドガーは、恋人の浮かべた苦笑など意にも介さず、アイラに付いての力説を続け、ちゃんと飼いたいのだけれど……と、無邪気に小首を傾げた。
「……俺に判るか、そんなこと。……まあ、あれじゃねえのか。お前の話からすると、そのドラ猫は、野良生活が長そうだから。今更人に飼われて、薄っ気味悪い城の中に押し篭められるのは、嫌なんじゃねえのか?」
「でも。別に城の中から出さない訳じゃないのだし。そもそも、猫を家の中に閉じ込めておくなんて、早々出来ることでもないし」
「まあ、それはそうだが……。特にこの城じゃあ、それは無理な相談なんだろうが……」
故にセッツァーは、益々、苦笑を深めて。
「処で、エドガー? ……数週も、お前の顔を見に来てやれなかったから、一応は殊勝に、可哀想なことをしたかと、内心そう思いながら、恐る恐るここまでやって来たのに、恋人を、ドラ猫、ってな恋敵にかっ攫われた不憫な男の相手は、何時になったら、してくれるんだ?」
「…………猫相手に、妬いてるんだ? 何時だって、私は君のことを想っているのにね。……だから明日、アイラを捕まえて湯浴みさせるの手伝ってくれたら、今直ぐそれを、言葉と態度に示してもいいけど」
そんな彼から放たれた、皮肉……と言うよりは、拗ねに、エドガーは、鮮やかに笑ってみせた。
「……言ってろ、馬鹿」
高い笑い声を、真夜中を迎えた自室の中に放ちながら、冗談とも本気ともつかぬことを言ってのけた彼へ。
セッツァーは今度は、溜息を零した。
久し振りに、二人きりの一夜をフィガロ城のエドガーの自室にて、恋人同士が過ごした翌朝は。
誠見事な、晴天に恵まれていた。
午前の浅い内から、目を細めたくなる程目映い空に気分を良くしつつ、二人は寝台より抜け出して、支度を整え、共に、朝餉と昼餉がない交ぜになったような食事を摂り。
セッツァーが訪れる時は、一切の執務をエドガーは行わないから、こんな日、室内に篭っているのは勿体ないと、何時ものようにエドガーは、懐にアイラの為の餌を忍ばせ、片腕で楽器を抱え。
恋人と二人、中庭に赴く…………その途中。
「今日こそ、捕まえる。絶対」
「……随分、気合い入ってんな」
「だって。やっぱり動物と接する以上、責任は取りたいじゃないか。……それにね」
「それに?」
「最近、中庭の方に迷い込んで来る猫は、私が可愛がっている猫だからって、私の傍に仕えてくれている者達には伝えてあるけれど、未だに、誰の目にも一目で、ああ、誰かに飼われてるのかな、と思って貰える程の手を、アイラには掛けてあげられていないし、その……ね、夕べも言ったけれど、あの子は、埃塗れで痩せっぽっちな子だから、事情を知らない者がいたら、無碍にされて、追い払われたりするんじゃないか……って、それが心配で。王宮の庭に野良猫なんてと、そう思う者がいても、おかしくないから」
「ああ、成程な」
そんな会話を交わしながら、二人は、回廊を進み。
歩み続けた回廊が、中庭と接し始める辺りで、ひょいっと身軽に、敷き詰められた緑の上へと降り立った。
そうしてそのまま、普段通り、花壇近くの芝の上にエドガーは座り込んで楽器を抱え、セッツァーは、その傍らに同じく座を占め。
…………が。
「……来ないな」
「そうだね……。ここの処は、私がこうし始めると、直ぐに出て来るのに」
小一時間程が過ぎようとしても、一向に姿を見せないアイラを、二人は訝しみ始めた。
「おかしいな。どうしちゃったんだろう……」
「来ない日があったって、別に不思議じゃないだろう? 猫には猫の、生活があるんだろう。俺がいるのが嫌なのかも知れないしな」
「確かに、見慣れない人間が居ると、怖がるのかも知れないけど……。…………一寸、その辺捜して来る」
そうして、やがて。 例え、アイラにとっては見慣れぬ『生き物』の、セッツァーが同席しているとは言え、気配の一つも窺えないのは、幾ら何でもおかしいと、エドガーはそう思い始め、痺れを切らしたように立ち上がり、猫を捜し始めた。
「仕方ねえな」
だから、セッツァーも又、同じように腰を上げて。
彼等は、花壇の脇や、草木の影を見て廻った。
……………………砂漠の直中にぽつんとある、王都の中心に建つ城に、半ば無理矢理拵えたが故に、決して大きいなどとは言えない中庭で、迷い猫一匹捜すに、手間など必要ではなくて。
アイラを捜し始めて程なく、呆気ない、と言える程『簡単』に、二人は、その片隅で、酷い傷を負った猫を見付けた。
サウスフィガロの、森が深い辺りでは、時折、狩人達が獲物を獲る為に使う罠に嵌まって、ぐったりと倒れ込んでいる、アイラを。
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