Final Fantasy VI

『戀人』

 

 

 ──八年前──


 唯、呼吸をしているだけで、反吐が出そうになるようなこの場所で。
 どうして、この男の顔を眺めなければならないのだろう、それも、こんな間近で、と。
 砂漠の国フィガロの国王であるエドガー・ロニ・フィガロは、内心に沸き上がる、怖気立つようなその感覚が、己の表情に表れぬよう、懸命に耐えていた。
 ガストラという名前の『皇帝陛下』が、世界をその掌(て)に乗せて喰らう為に築き上げた、鋼鉄の城の片隅で。
 均等の間隔で以て廊下に並ぶ柱の陰から、不意に姿を現して、ぬうっ……と顔を近付けて来た、ケフカ・パラッツォ、という名の、『大魔導士』を眺めながら。
「……………何か、御用でも?」
 ──彼は、極力、胸に過る嫌悪を、己が外には出さぬようにと努めたけれど。
 どうしても、その声音は素っ気無いそれになった。
 どう贔屓めに解釈してみても、『格下』という立場で、ガストラの打ち立てた巨大帝国と同盟を結ばざるを得なかった『小国』の君主としては、あるまじき態度であると判ってはいても。
 生理的な嫌悪感には、勝てず。
 のらりくらりと、骨格のない生き物のような、不気味な様で近付くケフカより、エドガーは視線を逸らす。
「フィガロ国王、エドガー陛下? 貴方、このような深夜に廊下を彷徨って、何なさってるんです? 幾ら貴方が、このガストラ帝国と同盟を結んでいるフィガロの国王陛下だとしても。貴方を『招かれた』皇帝陛下に失礼だとは思われませんか?」
 しかし、ケフカは。
 ふらふらとした姿勢を保ったまま、体ごとを動かして、エドガーの視線の後を追い。
 エドガーに言わせてみれば、厭らしい、としか言えぬ笑みを浮かべて、持って回った言い方をしてみせた。
「別に。こちらは大層、広いのでね。一寸、迷ってしまっただけだ」
 その言い分に。
 性別の云々を言うならば、確かに彼は男であるけれども……ともすれは、佳人、という表現すら相応しい程整った面を、微かに歪ませた後。
 エドガーは、今度はケフカの視線を真っ向から捕らえて、にこりと微笑んだ。
「おや、そうですか。それはそれは……。──エドガー陛下? 私はてっきり貴方が、深夜の散策と称して、この城内のことでも嗅ぎ廻っているのかと思い込んでしまいましてねえ……。そうですか、迷われましたか。────本当に?」
 すればケフカは、けらけらと、甲高い音の嗤いを放って。
「……ばれたか。高名な大魔導士殿に、嘘は通用しないようだ。──昼間、こちらの女官と、親しくなってねえ。彼女の部屋を、訪ねさせて貰う処だったんだ」
 肩を竦めつつも、くすりと、エドガーは言った。
「御冗談がお好きなようですね」
「貴方程じゃない」
「白を切られるのも、程々になされたら如何ですか、陛下」
「白? そんな覚えは、私にはないが? 言っているだろう? 美しいレディの部屋へと、夜這いに行く途中だ、と」
「…………強情ですね」
「私は、誠に正直に生きているつもりだが? ケフカ殿?」
 ──耳障りなトーンで嗤い続けるケフカと。
 淡々とした声音のエドガーのやり取りは、暫くの間続いたが。
 やがて、痺れを切らしたように、ケフカが、その表情を変えた。
「御為ごかしに貸す耳なんて、僕にはないんですけどね。……ま、いいんですよ、貴方が夜這いの途中だ、と言い張るんならそれでも。別に、真実なんて、どうだっていいんです、僕には。だって、そうでしょ? 真夜中に、あるまじき所でフィガロ国王を見掛けた。謀反でも起こされるつもりなのか国王様は、この城のあちらこちらを、こっそりと探っておられた……とね、皇帝陛下にお伝えすればいいんですから」
「だから、違うと……──」
「──本当だろうが、嘘だろうが、どうだっていいんですってば。…………初めて見た時から、気に入らなかったんですよ、貴方なんて。貴方今、お幾つでしたっけ? 二十歳そこそこでしたっけ? ま、それもどうだっていいんですけどね、そんな若造が、小国とは言え、一国の主人ってことも気に入らなければ、貴方のその、お綺麗で生意気な顔も気に入らないんですから。その澄ました顔を眺めてるだけで、苛々するんですよ、僕は。……貴方も、あの、砂だらけの鬱陶しい国も、とっとと、皇帝陛下に『喰われ』てなくなっちゃえばいいんだ」
 ………………表情を変えて、ケフカは。
 エドガーに向けて、『難癖』を付けると、又、楽しそうにせせら笑った。
「いい加減にしてくれないか……。埒もない」
 そんなケフカにエドガーは、うんざりしたようなトーンを放ったけれど。
 フン、とケフカは、鼻を鳴らして。
「おや。この期に及んでも未だ、そんな態度を取られるんですか? 貴方。じゃあ、貴方が手を付けようとしていた女官の部屋へ、御一緒させて戴こうじゃありませんか。そうしたら、今夜は一応、引き下がってあげますよ」
「レディに、恥を掻かせろ、と?」
「……出来ない、とでも言うの? …………ああ、それが嫌だと言うなら。御立派な、女性賛美主義な陛下? 貴方がそこに踞って、私に忠誠でも誓って下さいます? 高々女官如きに、恥を掻かせたくないなどと、綺麗事を仰りたいならね」
 そのどちらかでも出来ると言うなら、今晩のことだけ『は』、考え直してやらなくもない、と、エドガーへ向け、ちらりと視線を這わせた。
「…………ケフ────」
「──ケフカ」
 ……そんな態度を取り続けるケフカに。
 この男は……と、エドガーが、唇を噛み締めた瞬間だった。
 不意に、彼等二人より僅か離れた場所より、落ち着いた響きを持つ男の声が掛かり。
 声は、ケフカの名を呼んで。
「レオ……クリストフ……」
 声の主へと首を巡らせたケフカは、心底、嫌そうに顔を顰めた。
「我が帝国とフィガロの同盟の存続の為にと、皇帝陛下がこのベクタまでお招きになったエドガー陛下に、貴様は何故無礼など働く?」
 何時、その廊下を通り掛かって、何時から、ケフカとエドガーのやり取りに、耳を傾けていたのかは判らないが。
 その場に漂う険悪な雰囲気を切り裂こうとでもするかのように、唐突に姿見せた、レオ・クリストフ、という名の帝国将軍は、足早に大魔導士へと近付き。
「いい加減にしろ。お前が皇帝陛下に何を言おうとも、今宵のそれは誤解だと、俺が進言する。いいな」
 まるで、エドガーを庇う風に立って彼は、ジロリとケフカを見下ろした。
「……レオ将軍? 僕は、嘘を言った覚えはありませんけど。だって、そうでしょう? 貴方、そこの若造が、大人しく帝国の傘下に甘んじるような者だと、本気で思ってるの? そんなタマじゃありませんよ、エドガー陛下は。女官の所に夜這いを掛けに行く途中だった、なんて言い分、信じられる筈もないでしょうが」
 が、屈強な軍人であるレオに、あからさまに睨み付けられてもケフカは、一向に怯まず。
 レオは微動だにせぬまま、侮蔑するように流されたケフカの眼差しを受け止め。
「ならば、お前の『誤解』を解く為にも、本当のことを言おう。今宵、内密に部屋を訪ねて欲しいと、俺が頼んだんだ、陛下には」
「おや、又、どうして? 帝国将軍である貴方が、こんな時間に、若造と二人きりで何をしようって言うんです? しかも、内密に。……造反の相談でも?」
「違う」
「じゃあ、何だって言うの。造反の相談でないなら、何だと? 道ならぬ逢瀬の約束でもした……とか言い出すんじゃないでしょうね、馬鹿馬鹿しい」
「────そうだ、と言ったら?」
「…………………………くっっだらない…………」
 睨み合ったまま、やり取りを続け。
 売り言葉のつもりで放ってやったことを、暗に、そうだ、とレオが肯定してみせたから。
 やってられない、とケフカは、大袈裟な仕種で天井を仰いで、やれやれ、と踵を返した。
「どうぞ、ごゆっっっっっくり」
「そうさせて貰う。──エドガー様」
 足早に、エドガーが歩いて来た方向へと向いながら、言い捨てたケフカの背中に、レオはそう言って、徐に、エドガーの手首を掴み、反対方向へと歩き出した。
「……え? ちょ……一寸………──」
 故に、レオとケフカの二人が、言い争いを始めた辺りから、少しばかり呆気に取られて成り行きを見守っていたエドガーは、大層慌てたけれど。
「この場は、どうか」
 低く囁かれたレオの言葉に、従うことを求められ。
「あ、ああ……」
 渋々、ではあったけれど、大人しく彼は、帝国将軍の後に倣い。


「御無礼の段、どうか、お許しを」
 ──ケフカとの一戦の後、レオがエドガーを引きずって行った場所は、本当に彼の自室で、そこに、放り込まれるように連れ込まれたが為、一瞬、さっきの『誤魔化し』はこの将軍にとって、渡りに舟だったのではないのかと、エドガーは一瞬、身構えたが。
 ぱたり、と音を立てて、その部屋の扉が終った途端、深々と将軍に一礼をされ、きょとん……と、齢二十歳の国王は、未だ若い年齢そのままの、戸惑った気配を窺わせた。
「その…………理由は、少々、売り言葉に買い言葉、でしたが……。ああでも言わぬことには、ケフカが引き下がらぬと思いましたもので、つい………」
「あ、ああ……。大丈夫、気になどしていないから」
 しかしその直後、やはりこの将軍は、ケフカに絡まれていた己に救いの手を差し伸べる為に、一芝居打っただけなのだ、とエドガー気付き。
 自分よりも少しばかり年上らしいレオへ向けて、ふわっと微笑んでみせた。
「……言い訳のように聞こえるかも知れませんし……同胞を庇立てしているようにも、聞こえるかも知れませんが……。その……とあることを切っ掛けにして、ケフカという男は、心を病んでしまったと言われております。……ですから陛下、今宵のことは、お忘れ頂けると有り難いのですが」
 すれば、エドガーの微笑みに、レオは幾許か、ほっとしたような雰囲気を漂わせ。
 沈痛な面持ちで、ぽつり、『事情』めいた話を洩らした。
「大丈夫。……本当に、大丈夫。庇って貰ったのはこちらなのだし。私はもう、今宵のことなど、何も覚えてなどいない。…………だから、ね? レオ将軍。頭を上げてくれ……いや、頭を上げて下さい」
 己と大差のない年齢で、この帝国の、将軍、と呼ばれる彼の、冥(くら)い顔に、いたたまれぬような……何処か、ホッ……としたような……如何とも例え難い眼差しを、エドガーは送って。
 そう仰れるならば、と、ゆるり、姿勢を戻したレオの面を、その時エドガーは、紺碧色の瞳の中に収めた。

 

 

FF6SS    Nextpage    top