後書きに代えて
如何でしたでしょうか、『始まりの都より ―2005― 〜そして、風詠みて、水流れし都 ―2004― 外伝〜』、お楽しみ頂けましたなら幸いです。
再三再四、申し上げましたように、私は、東京魔人学園外法帖に絡むファンクラブ限定DVDを観たことがなく、ストーリーも知りません。
でも、Web上の攻略サイトさん等々で、蓬莱寺京梧=神夷京士浪である、ということは知りました。
外法帖の物語が終わった後、彼が、時を駆ける運命を辿った、ということも。
……それを知った時、大変複雑な心境に陥りました。
彼が辿ったとされる運命の物語、それが許せないとか、納得出来ないとか、そういうことを言うつもりは毛頭ありません。
それが彼の運命だと言うなら、運命は何処までも運命、です。悪い言葉で言えば、どうしようもないことです。
ですが。
彼の辿ったその運命をどう受け取るか、それは、千差万別だと思うのですが、私は、「はあ?」と思ってしまいました。
正直に言えば、頭にキました。
京梧を含め、共に戦った仲間達全て、己なりの思いや信念に従って、柳生と戦った筈です。
あのゲームの世界や歴史では、結局、柳生は二十世紀末まで生きていた、それが歴然とした事実であっても、彼等の中では、江戸の町なり大切なモノなりを自分達の手で護り切った、というのが事実だと思うのです。
でも京梧は、時を駆けた(又は、時を駆けさせられた)ことによって、自分達が倒した筈の柳生が生きていた、それを知ってしまった。
ラスボス戦後、「例え貴方が蘇ったとしても、思いを受け継いでくれる者達が云々」というようなことを美里藍が言っていましたが、私の考えでは、それとこれとは話が別で、故に、護り切ったと思っていたのに、実は百年以上経っても倒した筈の相手が生きていた、それを知った時の彼の心中は如何ばかりだったんだろうと、私は先ず思ってしまいました。
百数十年経っても、世界や町を脅かす争いの火種は残ってしまっていた、それを知って、龍麻の実父である弦麻達と共に再度柳生と戦って(しかも、勝手なんか判らなかったろう現代社会で)、でも、彼的には再戦となる柳生とのそれは、弦麻一人を犠牲にする、という形で終わって、それより十七年程が経った頃、再び柳生は暗躍を始めて、されど、その戦いに、彼は直接手を出すことは出来なかった。
……それが彼の運命と言うなら、それはそれで致し方のないこと、と思いますが。何故なら、それが彼の運命だから。
でも、それでも、如何に彼が逞しかったとしても、強かったとしても、それは、一人の人間が送る運命として、人生として、あんまり過ぎないか、とも私は思ってしまうのです。
…………彼の、そんな真実の放浪の人生の旅の先に、一体、何があるのでしょう。
何が彼には残されるのでしょう。
幕末から現代まで続いた戦いの、全てに決着が付いた時、彼が掴めるモノは何なのでしょう。
………………私は、そう思って止みません。
そう思うことを、止められません。
故に。
私は、蓬莱寺京梧、という彼に、肩入れをしよう、と決めました。
贔屓の引き倒しとなっても、いっそ、贔屓の引き倒しになるまで、彼に肩入れをしよう、と。
そのお相手として、龍斗を引っ張り出してきたのは、完全に私の趣味ですが。
外法帖血風録プレイして、念珠渡したのも京梧でしたし、「又、この新宿で会おう」って言ったのは、京梧自身だしね! と趣味に突っ走りました。
……幸せになってもいいと思うのです、と言うか、幸せになって欲しいんです、京梧にも龍斗にも。
だから、この作品の中では(この作品の中でも)、道理が引っ込む程、無理を押し通しました。やりたい放題やらせて頂きました。
京梧と龍斗のことを想ってくれる子孫や少年達も、うりうりと突っ込みました。
公式設定? そんなもん、知ったこっちゃない、が執筆中の合い言葉でした(笑)。
少なくともこの作品の中では、京梧と龍斗が、幕末から遠く離れた時代の中でも、幸せと暖かさに囲まれて生きていける道が開けるなら、私はそれで良かったから。
……本当に、やりたい放題の話です、それこそ、「はあ?」と思われた方も、おられるやも知れませんけれども。
そういう訳で、私はこの作品を書き上げましたので、笑って読み流して頂けましたら幸いです。
──皆様。
最後まで、お付き合い、どうも有り難う。
宜しければ、ご感想等、お待ちしております。
2008.08.08 自室にて
海野 懐奈 拝