九龍妖魔學園紀
『続・気は心』
ノック、と言うよりは、衝撃、と言った方が正しいだろう、ドカン、バコン! という音を立てて、応えも待たず、葉佩九龍が寮の自室に『侵入』して来たのを横目で見遣り、皆守甲太郎は盛大な溜息を吐いた。
「……騒がしい。今更お前に、勝手に部屋に入って来るなと言っても無駄だろうから、無益な労力を費やすつもりはないが、せめて、もう少し静かに出来ないのか? ……九ちゃん。どうしてお前のノックは、あんなにも騒々しい?」
「御免ってば。あ、因みに、さっきのはノックじゃないよ。ドアの前で転けて、デコがぶつかった音。ノック代わりになったから、いいかなー、と思っただけ」
「……………………お前は本当に、底抜けに馬鹿だろう」
「あっ! 又、馬鹿って言ったなっ!? 今さっきの出来事は馬鹿なんじゃない、粗忽って言うんだ!」
「……用がないなら出て行け、大馬鹿者の粗忽者」
「…………本当、愛が無いなあ、甲ちゃん……。でも、俺は負けない! ──甲ちゃん、見て見てー。甲太郎さーーん」
嫌味ったらしく溜息を付いて、怒りと呆れが盛大に滲む声で甲太郎が小言を垂れても、九龍がめげることはなく、お約束の泣き真似をしてから、携えて来た小さな箱を、ぐいっと、見せびらかすように、不機嫌全開な部屋主の眼前に突き出した。
「九ちゃん…………」
迫って来た箱に視線を落とし、暫し眺めた甲太郎は、宅配便の伝票が貼付けられているのを確かめてから、ドゲシ、と九龍に前蹴りを入れ。
「痛いっ! 何するんだよっ!」
「何で、口が酸っぱくなる程言っても、お前は無駄遣いをするっ!? あの、馬鹿馬鹿しい依頼内容ばっかりが並ぶクエストに手を出さなくても、きっちり生きていけるようになってから通販に嵌まれっ!」
ギャンギャンと吠えながら、蹴られた痛みの所為で、泣き真似を本気泣きに変えつつある九龍へ、彼は又、怒鳴り声の小言を垂れた。
「何をぉっ!? クエストに勤しむから通販生活が出来んだぞっ! それに俺だって、のべつまくなし無駄遣いしてる訳じゃないやいっ! 甲ちゃんが口うるさ過ぎるだけだっ! 財布の管理くらい自分で出来……。…………御免なさい、この間、出来なかったの思い出しました。甲ちゃんに、昼飯奢って貰ったのも思い出しました。深く深く反省しているので、数々の暴言を許して下さい。んで以て、折角買ったんで、ちょびっとでいいから、俺の話に付き合って?」
耳許で、鼓膜がキーーーン! とする程叫ばれ、九龍も反撃に及んだが、言い返しの最中、一週間程前の己の失態を思い出した彼は、飼い主に叱られたワンコのように、シュン……と項垂れ、縋る風な目で、じっとり、甲太郎を見上げた。
「っとに…………。……で? 何の用事だ……、と言うか、今度は何を買ったんだ?」
絵に描いたような『反省ポチ』の図、そして目線に絆され、再び、盛大な溜息を一つ付いて、甲太郎は渋々ながらベッドの縁に腰掛け、話だけは聞いてやる、な姿勢を取る。
「この間、ネット通販で買ったカレー系なブツは、悉く、甲ちゃんに駄目出し喰らったっしょ? あんなん、奇食だ、って。だから今度は、『正統派』で攻めてみようと思って」
口先からは、『おっかさん』の如くな科白を吐き出し、何処までもおざなりな態度を取っても、その向こう側に、最終的には優しさが見え隠れする彼に、にぱらっと笑いつつ、九龍はいそいそと持参した箱を開いた。
「じゃーーん! 今日のブツは、これ! カレー醤油!」
「……カレー醤油、な…………」
ベリっと開かれた箱から取り出された品は、『洋食屋さんのカレー醤油』とのラベルが貼られた、小振りの瓶入り醤油で、全国的に有名な、耳のない青色ロボット猫が、四次元ポケットからアイテムを取り出す風にそれを翳した九龍と瓶とを見比べ、甲太郎は、複雑な心境の滲む表情を拵える。
「あり? この手合いもお気に召さない?」
「お気に召さない、と言うか……。──その醤油のことは俺も知ってる。専用に開発された、出来上がったカレーに掛けることを目的としている醤油だろう?」
「うん。その通り。それが、どうかした?」
「『それ』は、俺の信念に相反する」
「…………は? 信念?」
前回の品達とは一線を画すこの醤油なら、甲太郎は喜んでくれるんじゃないかと思って取り寄せてみたのに、何処となく渋い顔をされ、剰え、信念、などとほざかれ、九龍は、きょとん、と目を瞬かせた。
「皿に盛られ、食卓に乗せられた時、料理としても味としても、完璧に仕上がってるのがカレーって物の筈だ。それが、本来の姿だ。……なのに、わざわざ、醤油なんか掛けるのか? それが醤油じゃなくてソースでも塩でも同じだ。きちんと緻密に計算された味付けに、余分な物を足してどうする? 折角のカレーの味を、ぶち壊すのか? そりゃ、人の味覚には、好みってのがある。味付けに関して、個人個人、合う合わないが出るのは俺にも理解出来るが。真実美味いカレーってのは、そんな次元を凌駕する。美味いカレーは、誰が食ったって美味いんだ。だから、そういう類いの商品は、俺に言わせれば邪道だ。────いいか、九ちゃん。カレーってのは、途方もなく奥の深い食い物で、本来、醤油だのソースだのってのは、調理の行程で隠し味として使われて然るべき物なんだ。色んな調味料を少しずつ使えば、カレーの味に深みが出るって実験結果もある。だがな、何でも彼んでもぶち込めば美味くなるってもんでもない。そこの処はやっぱりバランスが必要で、そもそも、カレーの隠し味ってのは……──」
すれば、甲太郎は。
俺の信念が理解出来ないと言うなら、判るまで言い聞かせてやると、深く腕組みし、幾度となく頷きながら、滔々と、カレーとカレーの隠し味の因果関係に関する講釈を垂れ出し。
「……えっと、甲ちゃん……? その……甲太郎さん……?」
「うるさい。たまには黙って人の話を聞け。──だから、所謂『日本のカレー』だけに限って論じても、例えば、洋食屋形式でカレーを作るか、ホテル形式でカレーを作るかによって、そういう部分は変わって来るのが当然で、インドとか、パキスタンとか、中央アジアで一般的とされるカレーとは違い、日本のカレーは────」
「………………俺は唯、甲ちゃんが喜んでくれるかも知れないブツを仕入れたかっただけであって、講師:皆守甲太郎な、カレー講義が聞きたかった訳じゃなくてーーーっ!」
「だから、少し黙ってろ、馬鹿九龍っ。話は未だ途中だっ!! 『カレーとは何たるか』をお前が理解出来るまで、朝まででも付き合ってやるっつってんだろうがっ! ──あー、兎に角そういう訳で、具体例を一つ挙げるとするなら、バターが良い例で……──」
「……どうして、こうなるんだろう…………。俺の、何が間違ってるんだろう……」
────前回は失敗した、九龍の、『通販で取り寄せた品で、甲ちゃんを驚かす&喜ばせてみよう計画』は、思いも掛けぬ方向へと流れ。
何かのスイッチがバッチリ入ってしまった甲太郎に命ぜられるまま、ベッドの片隅に、ちょこんと正座させられ、延々、頭上より降り注ぐ『皆守甲太郎講師によるカレー講座』を聞かされる羽目に陥った九龍は、シクシクと泣き濡れながら、結局、朝までそれに付き合わされて。
東の空から朝日が昇り始めた頃、足の痺れと共に、涅槃を見た。
End
後書きに代えて
奇食シリーズの続き。リベンジに失敗した葉佩九龍君。
何かに、一家言以上のモノを持っている相手には、迂闊に話を振ってはいけません、って奴ですな(笑)。
個人的には試してみたい、『洋食屋さんのカレー醤油』。
──それでは皆様、宜しければご感想など、お待ちしております。