九龍妖魔學園紀
『黄昏の町の黄昏の空』
二〇〇五年 一月 中旬──
下校のチャイムが鳴っても、もう、慌てて校舎を出なくても良い放課後がやって来て、その年の三学期が始まってより、徐々に、自由という名の香りに満たされつつある天香学園高等学校のあちらこちらに、思い思い、放課後を、自由を、楽しむ生徒達が溢れ始めた。
そんな生徒達でごった返す古ぼけた校舎を、彼、皆守甲太郎は、人垣を縫うようにしながら一人後にし、学内を東西に真っ直ぐ横切る歩道を辿り始める。
去年まで学園中の者に、サボリ魔で三年寝太郎で屋上の支配者、と言わしめていた彼が、三学期が始まってからずっと、無事の卒業をもぎ取る為に真面目に出席していた、彼の担任の雛川亜柚子の指導する補習授業が、その日はカリキュラムの都合で行われなかった為、彼は久し振りに、未だ黄昏色が空を染めている内に、塒──学生寮の自室へ戻ろうと、黙々と足を動かしていた。
そんな彼が、やはり、足捌きのみで人波を縫うように進む東西中央歩道は、抜けて来たばかりの校舎同様、明るい表情の生徒達が溢れていた。
……この歩道も、三週間程前までのこの時間帯は、校則を破った者に《生徒会》が与える処罰に怯える生徒達が、俯きつつ寮へ急ぎ戻る姿ばかりだったのに、今は……、と。
天香学園に入学してより約三年、来る日も来る日も辿ったそこを、その日も辿りつつ、ふと目に付いた周りの光景に、甲太郎はぼんやり、そんなことを考えた。
『あいつ』が、この光景を目にしたら、さぞかし喜ぶんだろう、とも。
「今頃、何やってやがるんだかな……」
そうして、未だ見慣れぬ学内の光景と、『あいつ』に思い馳せた彼は、歩道の片隅に立ち止まり、空を染め続ける黄昏色を見上げた。
三ヶ月と少し前の秋の日の午後、この学園にやって来て、人々の《宝》を探し当て、《秘宝》を探し当て、仲間達を、学園の人々を、学園そのものを、解放した『あいつ』──葉佩九龍のことを想って。
────二〇〇四年の九月が終わり掛けたあの日、転校生としてこの学園にやって来た九龍は、《転校生》──《秘宝》を求める宝探し屋であったが故に、学園にとって『望まれぬ者』だった。
甲太郎にとっても。
そもそもの──出逢う直前までの九龍は、甲太郎の『望まぬ者』だった。
けれど甲太郎は、九龍の瞳に魅せられ、彼を望んだ。
甲太郎が望んだ彼は、三ヶ月の時を掛け、彼を『望まなかった』この呪われた学園を開放し、自由を与えた。
そして甲太郎には、己の人生と未来を与えた。甲太郎の人生と未来を得る代わりに。
だから、今、学園の至る所に自由の香りは漂い始めて、行き交う生徒達の顔は明るく。
これっぽっちの興味も持てなかった無事の卒業──正しく言うなら、最初から諦めていた『未来』の為に、甲太郎は、サボり魔で三年寝太郎で屋上の支配者だったこれまでの己を返上して、真面目に授業に出席し、補習も追試も、愚痴一つ零さずに受けている。
……でも。
学園に、甲太郎に、そんな変化を齎した九龍は、今、学園の何処にもいない。
宝探し屋として、遠い空の下に行ってしまっている。
新たな謎に挑み、新たな《秘宝》を手にする為に。
──己の未来と人生を甲太郎に与え、甲太郎の未来と人生を得た九龍が、そんな道を選んだ理由を、甲太郎とて納得はしている。
九龍の『この先』の為だから。
そうすることが、今は宝探し屋である彼の未来の選択の為に必要だったから。
故に、渋々、ではあったけれど、甲太郎も納得はして、行く、という彼を見送り、待つことを約束した。
…………けれど……────。
────二〇〇四年のクリスマス・イヴの夜が終わるまで、この学園は、少なくとも甲太郎にとっては、黄昏の町だった。
学園という、閉ざされた黄昏の町。
必ず来る筈の明日すらやって来ないような気にさせる町。
……この学園を称して、甲太郎が、『閉ざされた黄昏の町』と言った時、九龍は、言いたいことは判る、と返した。
そんな雰囲気を、この学園は持っている、と。
しかし、彼は、甲太郎とそんなやり取りを交わした約三ヶ月後、
「この学園が、閉ざされた黄昏の町でも。来る筈の明日が来ないような気にさえさせられる雰囲気持ってても。明日は、絶対に来るんだよ。何が遭っても、どんなことが遭っても、明日は必ず来る」
と、そう甲太郎を諭した。
そして、彼は、『何が遭っても、どんなことが遭っても、必ずやって来る明日』を、その頃は未だ『未来』も『全て』も諦めていた甲太郎の瞳に映した。
必ずやって来る明日を、甲太郎の手の上に乗せた。
…………九龍が、甲太郎の瞳に『明日』を見せて、掌に『明日』を乗せたから。
呪われた学園を、解放してみせたから。
学園はもう、閉ざされた黄昏の町では有り得ない。
当たり前のようにやって来る明日を、当たり前のように迎えられる場所に変わった。
だけれども。
歩道の片隅に立ち止まって、空を覆う黄昏色を見上げる甲太郎にとって、『ここ』は、今尚、黄昏の町だ。
黄昏の空が覆う、黄昏の町。
……九龍がいないから。
秋の日の午後、古ぼけた校舎の屋上で巡り逢ってより三ヶ月、殆ど毎日のように過ごした、『明日』を見せてくれた、『明日』を掌に乗せてくれた彼が、傍らにいないから。
黄昏の町では有り得なくなった学園は、未だ、甲太郎の中でのみ、黄昏の町のままだ。
九龍が還って来ると約束した、その日まで。
──新たなる《秘宝》を求めて旅立ってしまった九龍と、連絡が取れない訳ではない。
数日置きに電話はしているし、メールに至っては、毎日交わしている。
九龍以外に出来た大切な人達とて、今は未だ、思うことあれば何時でも訪れられる距離にいてくれる。
でも。それでも。
九龍が傍らにいない学園は、甲太郎にとって、黄昏の町で。
黄昏の空が覆う、黄昏の町で。
「とっとと、今日の出来事を鬱陶しく綴ったメールでも送って寄越せ、馬鹿九龍」
…………黄昏の町の黄昏の空の下に、独りぼっちで佇みつつ、胸に湧いた想いを噛み締めつつ。
暮れてゆく空を見上げ続けて、甲太郎は、ポツっと零した。
──その時、彼の胸に湧いた想い。
それは、寂しい、という感情だった。
生まれて初めて彼が知った、真実の寂寞だった。
End
後書きに代えて
別の遺跡に行っちゃった九龍を一人待つ、甲太郎の或る日の話。
何となく、こんな彼は、ほっぺた抓ってみたくなったりしますが(笑)、思春期な甲太郎さんにも、こんな瞬間はあるでしょう、多分。
あくまでも、多分(笑)。基本、ネガティブ全開だし。
──それでは皆様、宜しければご感想など、お待ちしております。