九龍妖魔學園紀

『揺れる想い』

……どうしたらいいのだろう。

──そんなことばかりを、この数日、葉佩九龍は考えていた。

心の底から悩んでいた。

トレジャー・ハンターである己も、トレジャーハンティングのことも忘れ、唯ひたすらに。

……どうしたらいいのだろう。

それだけが、彼の心を占めていた。

──頭の片隅で、口の中で、延々と呪文のように繰り返している、『どうしたらいいのだろう』、それを思う度、九龍の頭の別の片隅には、ポッと、一人の少年の顔が浮かぶ。

この秋からの同級生で、親友で、大切な人である、皆守甲太郎の顔。

『どうしたらいいのだろう』を呟く度、彼は口の中で、甲太郎の名前をも呟く。

甲ちゃん、と。

…………そう、ここ最近の彼の『呪文』である、『どうしたらいいのだろう』は、酷く酷く甲太郎の存在と絡んでいるから、悩むに連れ、考えるに連れ、九龍は甲太郎を思い、甲太郎の横顔を思い浮べ、甲太郎の名を呟かずにはいられなかった。

どうしたらいいのだろう。

どうしたら、甲太郎にあんな顔をさせずに済むのだろう。

あんなことを言わせないで済むのだろう。

……どうしたら。

────晩秋のその日。

やはり九龍は悩んでいた。

どうしたら、甲ちゃんにあんな顔をさせずに済む? あんなことを言わせないで済む? と。

相変わらず、九龍の悩みの種である甲太郎は、『あんな顔』をし続け、『あんなこと』を言い続けていたから。

だけれども、とうとう九龍は意を決した。

甲太郎に『あんな顔』をさせない為に、『あんなこと』を言わせない為に、己に出来ることがあるなら、何でも試そう、と。

これまで幾度となく実行しようとした、けれど心の何処かで照れが勝った『あの方法』を、思い切って試してみよう、と。

……故に、そう心に定めた彼は、その日の黄昏がやって来る頃、甲太郎へと一本のメールを打った。

メールの内容は、一緒に夕飯を食べたいと思うから、午後八時頃、自分の部屋へ来て欲しい、という旨のことを、素っ気ない程簡潔に書いただけの代物だった。

普段の己からは少々想像出来ないくらいの、突き放すような態度を取れば、人々の前での口先や態度とは裏腹に、世話焼きな甲太郎のことだから、何のかんのと言いながらも必ず部屋に来てくれる、と思った。

そして、目論み通り、約束の時間、男子寮の、九龍の部屋のドアは叩かれ。

「俺だ。入るぞ」

「待ってたよ、甲ちゃんっ!」

メールに漂わせた冷たい感じとは真逆の、普段と何ら変わらぬ熱血調子で甲太郎を迎え入れ、九龍は。

ドアを開け放ち、室内へと一歩足を踏み入れた途端、体の一部と化している感すらあるアロマのパイプを、甲太郎が唇の端からぽろりと零したのにも構わず、威勢良く、手にしていた剣を振り上げた。

『テグハ』という、中世期、中央アジア各地に広まった、極端に湾曲したそれを模した模造刀。

演劇部から、昼間の内にかっぱらっ────もとい、借りて来たもの。

そんな風にしている彼の、刀を持っていない方──左手には、何故か、出来立てほやほやの、ほかほかと湯気を立てるカレーライスが乗っていた。

「…………お前、何やってる……?」

ぶいん! と刀を振り回し、けったい、としか言い様の無いポーズで己を出迎えた九龍を、頭の先から足の先まで一瞥し、甲太郎は思わず落としたパイプを拾い上げ、動揺と呆れを押し隠すように再び口に銜える。

────下馬評は兎も角、自身では、己の性格はドライだと確信している甲太郎が、思わずの動揺を窺わせたのも呆れを滲ませたのも、今の九龍の格好を鑑みれば、致し方のないことかも知れなかった。

何処から調達して来たのか、頭に高くターバンを巻き、やはり演劇部辺りから『拝借』して来たのだろうアラビア風の衣装を身に着け、右手には先程から振り回している模造刀を持ち、魔法のランプに住まう精霊を想像しそうな、尖った爪先が反っくり返ってねじれている怪しい事この上無い靴を履いて、ご丁寧に、鼻の下には付け髭まで乗っている──要するに、一言で言うなら、古代インドのマハラジャの『用心棒』みたいな格好をしながら、九龍は左手にカレーライスを乗せているのだ、甲太郎でなくとも動揺し、呆れたかも知れない。

「どうどう? この格好」

「………………九ちゃん。訊きたくないが、一応、訊く。お前、何で、そんな格好してやがる……?」

しかし、九龍は甲太郎の動揺も呆れも気に留めず、にこにこっと笑って感想を問い。

受けたインパクトから何とか立ち直って来た甲太郎は、疲れ果てた声で、逆に問い返した。

「よくぞ聞いてくれた、甲ちゃん! ──俺はさぁ、一応、料理が得意! ってのが自慢の一つじゃん?」

「料理、じゃなくて。調合、な」

「似たようなもんじゃん。──でも。料理が得意! が自慢の一つの俺が、甲ちゃんの最愛の食物カレーを振る舞っても、甲ちゃん、必ず駄目出しするっしょ? どストレートに、不味い、とかまで言ってくれたっしょ?」

「………………だから?」

「だから! 葉佩九龍君は考えた訳ですよ。一生懸命。明日香ちゃんに食べて貰っても、奈々子ちゃんに食べて貰っても、たいぞーちゃんに食べて貰っても、皆、美味しい! って言ってくれるのに、甲ちゃんだけが駄目出しを出すってのは、何か、カレーそのもの以外に原因があるんじゃなかろーか、と」

「………………………………で?」

「んもー。甲ちゃん、鈍い。だからー、もしかしたら、『ここは、カレーの本場・インドです!』みたいな雰囲気の一つも醸し出せば、甲ちゃんの駄目出しが出ることはないんでないかい? と。俺の作るカレーが、本当は美味いんだって、甲ちゃんも認めてくれるんでないかい? と。そう思った訳ですが、如何でしょ?」

打てば響くような、出で立ちへの感想は甲太郎から返らなかったものの、九龍はめげることなく、甲太郎の疑問に明るく答え、「どう? この発想」と、窺うように、可愛らしく小首を傾げてみせた。

……だけれども。

九龍の力説と可愛らしい小首傾げに、甲太郎はこめかみにはっきりと青筋を浮かべた。

「……いいか、九ちゃん。よく聞け。お前が振る舞ってくれたカレーを不味いと言ったのは、雰囲気の所為でも何でもない、本当に不味いからだ。……まあ、食えない訳じゃないから、不味いは確かに言い過ぎかも知れないが、決して良い点数をやれる代物じゃない。隠し味は多過ぎるしスパイスの割合はおかしいし、何より」

「何より?」

「お前が、選りに選って、あの遺跡の化人から取れたブツを材料に作りやがるからだ、カレーを! 俺のカレーをっ!! お前、カレーを何だと思ってやがるんだ? 無限なまでに奥の深い崇高な食い物であるカレーを、化け物から作る馬鹿が何処にいるっ!? 馬鹿よりも馬鹿な発想で、雰囲気作り、とか何とか寝惚けたこと言いながら、素っ頓狂な格好する暇があるんなら、お前の、食材という物に対する認識を根本的に改めろっ! 俺に、お前の作るカレーを絶賛させたかったら、化け物を食材と看做すのを止めろっ! ここは未開のジャングルでも正体不明な古代遺跡の最深部でもないっ。先進国・日本だっ!! その日本の首都東京の、副都心・新宿のど真ん中だ、馬鹿九龍っ! 料理にサバイバルを持ち込むなっ!」

「えーーーー……」

「えーー、じゃないっ!! カレーだぞ、カレーっっ!! 俺の愛するカレーっ!!!」

青筋を浮かべ、滾る怒りに心を委ね、キリキリと音立つまで口許のパイプを噛み締め。

大声で捲し立てると甲太郎は、素早く九龍の左手よりカレー皿を救出すると、思い切り、手加減無しに、眼前の彼に回し蹴りを喰らわした。

────翌日。

「どうしたらいいんだろう……」

と、九龍は、マミーズの片隅にて、テーブルに懐きながらいじけていた。

「まーーた駄目だったの? 皆守クン、九チャンのカレー、美味しいって言ってくれなかった?」

見事ないじけ虫と化した彼に、同席していた明日香は、若干の同情めいた声を出した。

「うん……。駄目だった……。又、甲ちゃんに、鬼みたいな顔されて、不味い! って言われた……。カレー食う時の雰囲気に問題があるんじゃないんだってさ……。あの遺跡で採れた食材使うのが駄目なんだって。……あーもーーーー! 甲ちゃんの馬鹿ーーーーーっ! 甲ちゃんに、満面の笑み浮かべながら俺の作るカレーは美味いって言わせたいばっかりに、こんなにこんなに頑張ってるってのにー!」

優しくしてくれる彼女を、うるうる……っとし始めた涙目で見詰めながら、九龍は訴える。

「あの、さ。九チャン。なら、あそこで採れた食材使ってカレー作るの、止めたらいいんじゃない?」

「やだーーー! それもやだーーーー! そんなん、俺のトレジャー・ハンターとしてのプライドが許さないーーーー! 俺は何も悪くないーーー! 甲ちゃんの馬鹿ーーーーー!」

その訴えを聞き、明日香は、そろ……っと一番手っ取り早いだろう解決案を提示したが、九龍は駄々を捏ねる子供のように、椅子に座ったまま地団駄を踏みながら、「俺は負けない!」と無駄以外の何物でもない決意を固めた。

──彼の悩みが解決される日は、そして野望が達成される日は、果てしなく遠い。

End

後書きに代えて

2008.03〜05の拍手小説でした。

もう、九龍での食物ネタは止めようと思っていたのですが……、あれ?(笑)

いや、何か、うん。勢いで書いた(告白)。家の九龍さん、お馬鹿さんだから……(笑)。

──それでは皆様、宜しければご感想など、お待ちしております。