東京魔人學園剣風帖
『5+5=10』
麗らかな春の日に執り行われた、母校の卒業式の式次第全てが終了し、彼をも含めた卒業生全員が、何処か名残惜し気な足取りで講堂を後にしてより暫し。
彼──緋勇龍麻は、校内を彷徨い出した。
親友であり、相棒であり、恋人でもある蓬莱寺京一の姿を求めて。
所属する──無事の卒業を果たした今は既に、所属していた、と言った方が相応しいかも知れない──クラスとて同じ三年C組、式の最中も、講堂を出た際も、京一の姿は常に龍麻の目の届く所にあったのに、ふと気が付いた時には、もう京一は何処にもいなくて、己達の教室は言うに及ばず、一応とは言え部長を務めていた剣道部の部室や武道場、今日は閉じられている筈の購買部や学食、生徒達でごった返している昇降口や職員室前、果ては男子トイレまで片っ端から捜し歩いて、
「何処行ったんだよ、あの馬鹿は……」
けれど京一を見付けられなかった龍麻は、ブツブツと悪態をつきながら、今度は校庭の片隅を彷徨い歩き始める。
別段、式が終わったらどうこう、という風な、明確な約束を交わしていた訳ではないが、高校三年の二学期初日以来──二人が、恋人同士という関係を築いて過ごした一夏が終わってより、約束などなくとも肩を並べて下校するのが彼等の間の暗黙の了解で、況してや、自分達の卒業式という特別な日に、京一を放り出して帰るなどという選択は、少なくとも龍麻の中には有り得ず。
「もーーーっ! 醍醐達だって待ってるのに!」
「ひーちゃん────」
彼を捜し続けた疲れが、龍麻の中で八つ当たりめいた怒りに変わり始めた頃、尋ね人当人が、暢気に声掛けてきた。
「あ、いた」
「いた、じゃねえよ。何だ、こんなトコにいたのかよ。捜しちまったじゃねえか」
「何を言って……。捜したのはこっちだ、馬鹿!」
「……ああ、お前も、俺を捜してたのか。ふーん……」
さも、「仕方ねえ奴だな」と言わんばかりに言い垂れられて、「どっちが!」と思わず龍麻が声を張り上げれば、彼も又、己のように……、との事実を知った京一は、トレードマークの域を通り越し、体の一部と化している感すらある、紫色した得物入りの竹刀袋を右手に掴んだまま深く腕を組んで、何処となく考え込んでいる風情を漂わせ始めた。
「京一? 何だよ、変な顔しちゃって」
「…………まあ、その……何だ。何と言うか」
「……? だから、何だ、って訊いてるんだけどねぇ、俺が。もしかして、何か特別な用事?」
「特別な用事っつーか……。お前に話しておきたいコトがあってよ。──ま、ここじゃ何だから、ちょいと場所変えようぜ」
「いいけど…………」
お調子者で、『阿呆』で、オネーチャンのスカートの中身のことしか考えていない、と仲間内や同級生達の間では評判の京一らしくもない、深い思案をしている風な態度と共に、話があるから場所を変えよう、などと告げられ、訝しく思いつつも龍麻は素直に頷き、さっさと身を翻して『目的地』へ向かい始めてしまった京一の後に付き従った。
どうしてか仄かに覚えてしまった、嫌な予感を背中に隠しながら。
「………………お前さ。どういうつもり?」
「話しておきたいコトがあるって言ったじゃねえかよ」
黙って彼の後を付いて行ったら、辿り着いたのは、只でさえ人の来ない、卒業式のその日は頓に人気ない、本当にひっそりと静まり返った体育館裏で、そんな一角のその又隅でピタリと足を止め、くるりと振り返った、己より少々だけ背の高い京一を、龍麻は勢い睨み付ける風に見上げたが、キッとした眼差しで射抜かれた当人は小さく肩を竦め、
「あれからもう、一年か……」
だから、こんな所に引き摺って来てまでしたい話って何だ!? と、そこへ向かう間もずっと背中に張り付いていた嫌な予感に急き立てられて、不機嫌になり始めた龍麻の様子を無視するように、一人、想い出に浸っている風なことを言い始めた。
「正確には十一ヶ月だけど。まあ……、うん、春だし」
「ここから始まった俺達の闘いも、漸く終わったんだよな」
彼から洩れた懐かしみの言葉の数々に、『昔』などというものを、何処か感傷的に語るなんてこいつらしくもない、と再びイラっとさせられたが、卒業式を終えたばかりの今は、京一だってそんな気分なのかも知れないしな、と龍麻が自分を宥める間にも、京一の、独り言めいた呟きは続く。
「うん。で? だから? 話って?」
「………………。ひーちゃん。俺は来週────中国へ発つ」
故に、苛々が抑え切れなくなった龍麻が、彼の浸る想い出ごと突き放す如くに問い質したら、やっと京一は、曰く『話しておきたいコト』に触れた。
「…………はぁ? 京一。お前、今何て言った?」
「来週、中国に発つって言った。────来週、発つことを知っているのは、お前だけだ。他には誰にも話してない」
「あ、そうなんだ。……じゃなくって! 知っているのはお前だけだ、とか何とか偉そうに言ってるけど、俺が知ったのも今なんだけど?」
「………………そうとも言うけど、まあ、それはそれって奴で。つーか、本当に本当の本題はこっからなんだから、黙ってろっての。──ひーちゃん、頼むから興奮しないで、俺が言うことを落ち着いて聞いてくれ」
「……判ったよ。それで?」
「闘いは終わったけど、東京には、お前のことを……必要としてる奴がいる。お前のことを、大切に想ってる奴等が沢山いる。だから……、お前は東京に……日本に残れ」
「…………………………へーーー……。それが、お前が話しておきたい、聞いて欲しいコト? ……ま、何にせよ、話は判った。判ったから、京一。お前、一発くらいぶん殴られろっ!」
────これは、苛々する程に嫌な予感が的中したってことだろうか、と始まった京一の『本題』を、突っ込みは入れつつも何処か他人事のように聞いていたら、的中処か、予感を遥かに飛び越えた科白が飛び出て、龍麻は握り拳を固めた。
去年の春にこの学園に転校して来て以来、毎日毎日眺めてきた顔──何に対してなのかは知らないが、何となくの自信を何処かに忍ばせているようにも見える、毎度の飄々とした顔をして、右肩に竹刀袋を預け持ち、ピンと伸びた背筋だけは武道家らしく己の眼前でふんぞり返っている京一に、拳の一発や二発、くれてやらなければ気が収まりそうになかった。
…………己も相手も男なのに、半ば青春期特有の勢いに任せて、好きだの何だのと、京一と二人言い合ってしまったのは、去年の夏だった。
それから数ヶ月が過ぎた、未だ季節が冬だった頃。去年だった頃。
折しも、卒業後の進路希望を明確に定めなくてはならなくなった時期に、西新宿の片隅にある竹林に住まう老易者の新井龍山から、自分や仲間達が身を投じた闘いの真相や、『黄龍の器』として己が生まれてきた話を聞かされて、流石に少しばかり参っていた夜、龍麻は、京一から打ち明けられた。
真神を卒業したら旅に出ようと思っている、行く先も何も決めてはいないけれど、己の師匠が剣術の修行を積んだ場所でもある中国辺りに、と。
そうして、乞うように言われた。
もしもその時、闘いの全てが終わっていて、無事に卒業も出来たら、お前も一緒に行かないか? と。
………………突然の、そんな打ち明けと乞いに、躊躇いを覚えなかったと言ったら嘘になる。
全てを東京に、日本に置き去って、武術の修行を積む為だけに広い大陸を彷徨う旅に発とうとの誘いは、首を縦に振るにしろ、横に振るにしろ、甚く勇気の要るそれで、それでも龍麻は、共に行く、と返した。
共に行きたい、共にそんな旅を送ってみたい、そう彼が告げたら、京一は、
「ああ……。お前となら、二人も悪くねぇと思うんだ」
と、本当に嬉しそうに笑った。
…………だから。
その夜以降、卒業後の修行の旅の話も、その行き先の話も、京一が口にすることはなく、龍麻も敢えて話題にはしなかったが、少なくとも龍麻は、あの雨の夜の約束通り、母校を卒業したら、彼と二人での旅に出るつもりでいて。
……なのに。
「龍麻────!!」
なのに、あの約束は一体何だったのだと、たった今聞かされた言い草は何だと、怒りを露にした拳を龍麻が振り上げた瞬間、京一は、まるで叱り飛ばす風に彼を強く呼んだ。
「…………怒鳴りたいのは、こっちだ、馬鹿……」
「……悪りぃ、ひーちゃん。お前が怒るのも尤もだよな。そりゃあ、俺だって……」
「俺だって、何だよ。真神を卒業したら修行の旅に出たいって言い出したのも、一緒に行かないかって誘って来たのも、お前だろうっ!? 俺から言い出したことじゃないっっ。……俺は、あの時お前が言ってたみたいに、お前とならそういうのも悪くないかな、って……、一緒に行きたいな、って……、そう思って、だから……っ! 本当に一緒に行くつもりでいて、今日だって、今だって、そのつもりでっ!」
「…………悪かった。──ったく、これでも結構、本気
「そんなの、京一が決めることじゃないだろ……」
「まあ、な。────………………なあ、ひーちゃん。お前にとって…………──。……いやその。何つーか。あー……。……本当に、俺みてぇないい加減なのと、右も左も判らねぇような、それこそ、今日も明日も判らねぇような旅に出ちまっても、後悔……しねぇのかよ」
あの日交わした約束を破ろうとしているのは京一の方なのに、怒っていいのは自分の方なのに、どうして俺が叱られなきゃいけないんだ、と、この瞬間なのに愛称でなく名前を呼んだ京一から目を逸らし、俯いた龍麻が思うままを言い募れば、京一は、少しばかり考えを改めたのか、今更ながらに意思を確かめ、
「そんなこと後悔するくらいなら、東京に残れって言われて怒らない」
「……そっか。…………そうだよな。悪い、ひーちゃん。俺がどうかしてたみたいだ」
この態度そのものが答えだろうが、と俯かせていた面を微かに持ち上げて睨んだ彼へ、何処となく困ったような笑みを浮かべ、御免な……、と彼の髪を撫でてから。
「ひーちゃん。一寸、こっち来いよ」
龍麻が真神に転校した日、放課後の昼寝を決め込んでいた桜の木の上へと、京一は彼を誘った。
真神で一番好きだったという景色を眺めながら、春風にでも吹かれつつ、もう一度、共に中国に行く約束を交わし直そう、と。