東京魔人學園剣風帖
『巡り来た春』
春は、出逢いと別れの季節だ、と。
桜の頃がやって来る度、東京都立・真神学園高等学校で生物教師を勤める犬神杜人は、そんな感傷を、一人秘かに噛み締める。
春という季節、数多の生徒を学園に向かえ、そして、数多の生徒を学園より送り出すのが仕事の、教師、という生業に就いて久しいのも理由だろうが、主には、それとは別の理由で、彼は。
──そして、その年の春、彼は毎年のその季節以上に、とても強く、出逢いと別れの季節が齎す感傷を噛み締めた。
平成十年度の入学式も無事に終えて二、三日が経った、一九九八年、四月七日。
新三年生の学年主任となった、という事情もあって、去年度末より話には聞いていた、その日の朝の職員会議でも話に出た、三年次からの転校生が予定通りやって来たことは、犬神も知っていた。
けれど、転校生は、彼の受け持つB組ではなく、同僚の一人のマリア・アルカードが受け持つC組に編入されることが決まっていたから、『正しく熱心』な教師では有り得ぬ犬神は、件の少年の話を、生物の授業で担当する生徒が一人増える、程度にしか受け止めず、適当に聞き流していて、やって来た彼が何という名なのか、それも記憶していなかった。
………………でも。
その、名も知らなかった転校生と。
三年になってからの転校など、随分と物好きな話だ、としか思っていなかった彼と。
その日の昼休み、職員室にて偶然行き会い、その名を知って、その姿を見て。
犬神は、呆然と瞳を見開いた。
──緋勇龍麻。
転校生の彼の、その名に。
緋勇龍麻なる彼の、その姿に。
その日より遡ること二年前の春、新入生として真神学園にやって来た、今は揃いも揃って三年C組の生徒となった、蓬莱寺京一、醍醐雄矢、美里葵、桜井小蒔、その四名の存在、その名、その姿を知った時に抱えた以上の驚きを覚えて。
一九九八年、というその年から数えれば、もう、一三〇年以上は前のことになる、幕末の頃。
慶応二年のあの年。
犬神は、彼等によく似た若者達を知っていた。
あの頃も、彼はこの世を生きていた。
人の身を装いつつ、人の世に紛れ、昼の世界を生きる彼の正体は、ヒトでは有り得ぬ、永の命をも携える存在で、彼の心にとってどうだったのかは兎も角、彼の肉体にとっては、百年や二百年程度の刻など、瞬きに等しい時間だったから。
その頃も、彼は人に紛れて生を送り、今の己が教え子に瓜二つとすら言える者達との関わりを持っていた。
人に追い詰められ生きる場所を失くした、数多の、夜に生きるモノの一人だった彼は、その頃、人を憎み、人の世を憎み、全てに背を向けて生きていたので、若者達と彼との関わりは本当に細やかだったけれど、一年近くに及んだ、若者達や若者達を取り巻いていた者達との関わりは、彼のそんな生き方を変え、考えを変え。
彼に、あれだけ憎んだ、人という存在が集う場所──即ち、現在の真神学園の護人となる生き方を選ばせた。
それくらい、若者達や、若者を見守っていた一人の女は、当時の彼の記憶に、想い出に、心に深く根を下ろした。
だから、若者達によく似た──後に、彼等各々の子孫らしいと判った少年少女達との邂逅は、犬神にとっては驚きで、感傷だった。
一三〇年も前に去ってしまった、あの頃が齎す感傷。
けれど、ハードボイルドを地で行くような彼をしても思うこと多かった邂逅も、邂逅が運んで来た驚きも感傷も、それ以上にはならなかった。
その年の春の邂逅には、『足りない者』があったから。
…………そう。
邂逅には、決定的な人物が、一人足りなかった。
────幕末、犬神が関わった若者達の中に、緋勇龍斗、という青年がいた。
不可思議な運命を背負っていて、彼の仲間となった者全ての眼差しの中心にいる、そんな男だった。
犬神も又、運命も、その人となりも不可思議で、当時は人を拒絶していた犬神に臆することなく──ひょっとすると、何も考えていなかったのかも知れないが──接してくる龍斗に薄い興味を持って、持ち続けて、何時しか、彼を気に掛けるようになった。
自分は彼を気に掛けている、との自覚をも伴いながら。
──あの頃関わった若者達の子孫が。
蓬莱寺京梧の子孫である蓬莱寺京一が、醍醐雄慶の子孫である醍醐雄矢が、美里藍の子孫である美里葵が、桜井小鈴の子孫である桜井小蒔が、目の前に現れても。
時越えて、再び、彼等の『血』と関わるようになっても。
緋勇龍斗、その人の『血』は犬神の前に現れなかったから、彼が覚えた感慨は、何時までも、感慨の域を出ず、やがて薄れて行った。
二年の月日が経ち、『刻』はもう巡らないのかも知れない、と、彼は思い始めていた。
なのに、あの頃の彼等の血を引く者達との関わりも、後一年で終わる、となった春。
彼の前には、緋勇龍麻が現れた。
緋勇龍斗によく似た、一目で、彼の血を引いていると納得せざるを得ない者。
龍斗の、『血』。
…………ああ、又、『あの春』が巡って来たのだ、と。
犬神に、強くそう思わせる者が。
春の日、突然に現れた。
「緋勇龍麻、か……。そして、蓬莱寺──蓬莱寺京一…………」
──職員室を訪れて、短い、が、騒がしい滞在をし──主に騒がしかったのは京一だが──、何処までも騒がしく出て行った少年達の背を見送って、犬神は、ぽつり、彼等の名を呟いた。
……巡って来た。
又、『あの春』が巡って来た。
運命と宿星に導かれ、一つの路を辿って行くことになるのだろう若者達が、巡り逢う春。
そんな者達との関わりが、己に与えられる春。
一三〇年前のあの頃のように、又、次の春がやって来る頃、この春、巡り逢った彼等は、それぞれ別れて行くのだろう。
運命と宿星が導く一つの路を辿るでなく、それぞれが選んだ、それぞれ自身の路を辿る為に。
出逢いと別れの季節に。
………呟きながら、そう思って。
犬神は、立ち尽くしていたその場より緩慢に離れ、旧校舎を窺える窓辺へと寄った。
そして、その、古ぼけ過ぎた校舎を見詰めた。
知り合った当日だと言うのに、親し気に肩並べて職員室より去った龍麻と京一の後ろ姿が、在りし日、緋勇龍斗と蓬莱寺京梧が並び立っていた姿に、瞼の奥で重なってしまったから。
旧校舎の地下に広がる、広大且つ摩訶不思議な異界の、更に地下に。
恐らくは今尚、彼、緋勇龍斗は『眠っている』。
あの頃に巡り来た春の中で出逢った、たった一人の者との再会を果たす為に、再会の約束を果たす為に、誰の目にも触れることなく。
自ら、自身の時を止めて。
たった一人の者──蓬莱寺京梧その人の訪れを待ち侘びながら。
……けれど、未だに、龍斗が望んだ再会は、果たされていない。
…………そんな運命を自ら選んだ龍斗と、龍斗との再会を果たせぬ京梧の姿に重なった、龍麻と京一は。
巡り来た春の中で出逢い、来年、巡り来る春の中、それぞれの路を定めるのだろう、龍斗と京梧の血を引く二人は、果たして、如何なる運命を辿るのだろうか、と。
……犬神は、旧校舎を眺めながら、その時、そんなことを思った。
少年達が辿る運命そのものに興味を抱くことは出来ないけれど、彼等の先祖達が辿ってしまったような路ではなく、幸せへと続く路を、彼等の子孫である二人が辿ることくらいは、願ってやってもいい、と。
今年、巡り来た春の中での出逢いを、来年、巡り来るだろう春の中でも、彼等が繋ぎ続けて行ければいい、と。
End
後書きに代えて
龍麻が転校して来た日、彼の姿を見て、うちのワンコせんせーが思ったことのお話。
『始まりの都より 〜そして、風詠みて、水流れし都 ─2004─ 外伝〜』の設定を、存分に引き摺っている話です、すみません……。
──うちの話&設定では、犬神せんせーだけが唯一、外法帖の物語終了後〜現代に掛けて、京梧と龍斗がどうなったのかを知っている人なので、初代お騒がせコンビと瓜二つなくらい似てる子孫@後の二代目お騒がせコンビの姿に、一寸思うことあったようです。
龍麻の転校初日、こんなこと思っちゃったので、犬神せんせーは、卒業式の日、(本編の方で)龍麻に、幸せになれ、とか言ったんです。
何だ彼
──それでは皆様、宜しければご感想など、お待ちしております。