東京魔人學園剣風帖
『彼の手』
鬱陶しい授業が終わり、やっと放課後がやって来て、夏を迎えたばかりの、残り僅かな今日の日を謳歌しようと、蓬莱寺京一に急かされるまま手早く下校の支度を終え、ん! と緋勇龍麻は席から立ち上がった。
──後二日後に、一学期中に行われる学校行事の一つ、クラス対抗水泳大会を控えている為に、生徒会長の美里葵は、大詰めとなった準備の為に生徒会室へ、女子弓道部長でスポーツとお祭りが大好きな桜井小蒔は、レスリング部長の醍醐雄矢を半ば強引に誘って、醍醐は誘われるまま、特別に解放されることになったプールへと行ってしまったから、真神学園高校三年C組の『名物グループ』に於けるその日の暇人は、部活なんざ青春の無駄遣い、な京一と、帰宅部の龍麻のみで。
「龍麻、王華行こうぜ、王華」
「んー。了解ー」
毎度のラーメン屋に寄り道して行こう、と話し合いながら、彼等は肩を並べて教室を出ようとした。
「…………ケッ」
だが、教室の後ろの扉を二人が潜ろうとした瞬間、同級生の一人で、京一以上の問題児の一人でもある、俗に言う不良の佐久間と、京一の目が合って。
佐久間は、苦々しそうに吐くと、わざとらしく目を逸らした。
「何だよ、佐久間。何か言いたいことでもあんのか? ああ?」
唾棄せんばかりの舌打ちと、お前達なんか見るのも嫌だ、と言わんばかりの彼の態度に、短気な京一は、つい喧嘩腰になって、肩に担いでいた竹刀袋を下ろし、握り直したが。
「京一。行こうよ。俺、腹減った」
「……あ、ああ。そうだな。俺も腹減ってんだ。今日は、何ラーメンにすっかなあ……」
「ここんトコ暑いから、俺は、さっぱりなのがいいかなあ。うーん……」
相手にする必要なんかない、と龍麻は彼を止めて、二人は話題をラーメンへと戻した。
「…………いい歳こいて、野郎二人で仲良し小好しかよ。気持ち悪りぃ連中だぜ」
が、それでも佐久間は、声高にそう言い、突っ掛かることを止めず。
「……てめぇな。今直ぐ俺と、ここで、話付けるか? ぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃ、腐ったこと言ってんじゃねえよ。……ああ、そうか。悪りぃ、悪りぃ。真っ向からやり合って、てめぇが俺達に勝てる訳なかったよな。そうやって、陰口叩くしか出来るこたぁねえよなあ?」
「京一。放っときなよ」
「だけどよ、龍麻っ」
二度は許さない、と京一は、竹刀袋の中から木刀を引き抜こうとし、酷く座った目になった彼の腕を龍麻は掴んで。
「チッ……」
彼等がそうこうしている内に、佐久間は教室から出て行ってしまった。
「ったくよー。どーしよーもねえな、あいつ……」
「放っときなって。相手にしたってしょうがないじゃん」
「そりゃ、そうだけどよ。俺の腹の虫が治まらねえ」
「だーかーらー。そりゃ俺だって、あんな下らないこと言われれば腹立つけどさ。小学生か何かが馬鹿言ってると思えばいいじゃん」
「まーなー……」
下校寸前、そんなことがあった所為で、午後遅くでも暑い日差しの中、通学路を王華目指して行く京一と龍麻の会話は、自然、佐久間絡みの話になった。
ムカつく……、と京一は、何時までもブツブツ洩らし、龍麻は、ブツブツを止めない京一を宥め。
「それにしても……」
「ん?」
「四月のさ、俺が転校して来た日のアレ。佐久間、徹底的に根に持ってるのかなあ……」
「あー……。た、ぶん。執念深そうだしなー、あいつ。でも、俺や醍醐には、あの日のアレのことだけで、吠え掛かって来てるんじゃねえだろうな」
「そうなの? 以前にも何か遭ったんだ?」
「何で、同じレスリング部の部長で、あいつのことも気に掛けてるタイショーにまで、ああも突っ掛かることがあんのか、その辺は俺にも判んねえけどよ。俺とはなあ……。──あれは二年の……、あー、何時頃だったっけかな。毎度の如く、俺は授業サボってて、そん時は別のクラスだったあいつもサボってて、体育館の裏で、サボり同士鉢合わせてさ。うっかり──本当にうっかりだぜ? わざとじゃなくて、擦れ違い様にたまたま、俺が佐久間のこと、足で引っ掛けちまったんだよ」
「…………ふんふん。それで?」
「で、悪りぃと思ってさ、詫びたんだ。でもあいつは、俺がわざと足引っ掛けたって思ったみたいで、何をしようとしたんだか、俺の左手引っ掴んで、思いっ切り引きやがったんだよ。だから、条件反射で、手、振り払ってぶっ飛ばしちまって。それ以来、あいつとは険悪でなー」
話はやがて、京一と佐久間が険悪になった切っ掛けのことへと辿り着いた。
「ふうん……。でも、条件反射で振り払ってぶっ飛ばした、って……。京一、手、掴まれたりするの、そんなに嫌なんだ?」
「嫌っつーか……。不用意に左手掴まれんの駄目なんだよ。刀とか竹刀持つにゃ、左手の方が大事だから、そーゆー、余りいいとは言えない癖が付いちまってんだろうな。実際、得物と茶碗以外、左じゃあんまり持ちたくねえかな」
「へーー……。知らなかった」
「刀なんて、実の処は左手一本ありゃ振れんだよ。右手は添えてるだけみてぇなもんだし。左手の方が握力とかも強くなるし」
「因みに、どれくらい?」
「あ? 握力か? ええと……確か、右が68の、左が73、だったような」
「うっそ! マジで? ──京一、左手! 左手で握手! 目一杯!」
『険悪切っ掛け話』は、やがて脱線し、京一の握力値を聞かされた龍麻は、有無を言わさず、ズボンのポケットに突っ込まれていた京一の左手を引き摺り出し、思い切り握り。
「い……たいっ! 痛いって!」
求め通り、目一杯の力で手を握り返され、挙げ句、ひょい、と手首を返されただけで通学路のアスファルトの上に転がりそうになった龍麻は、ぎゃあぎゃあと悲鳴を上げた。
「リクエストに応えただけだろうが。……ああ、言い忘れてたが。握力よりも、手首の頑丈さの方が重要だからなー、剣術ってな。俺相手に迂闊にそういうことすると、地面と友達になんぞ?」
実験! と言い出した己を棚に上げ、地面に片膝付いたまま、こすこす左手を摩りつつ、恨みがまし気に見上げて来る彼を、京一は笑った。
「んもー、単なる実験なんだからさー。好奇心でって奴なんだからさー、本当の本気なんか出さなくったっていいじゃん……」
でも、それでも龍麻は、恨み節を廻して。
「判ったって。……ほら、何時までもへたり込んでんな」
何処までも笑いながら、ふいっと京一は、龍麻を引き上げ立たせる為の手を差し出した。
……左手を。
「…………ありがと」
たった今聞かされたばかりの話が脳裏を掠めたが為、龍麻は思わず、差し出された左手と京一の顔を見比べ……、が、そろっと、その手を取った。
何処となく、恐る恐る。
触れてもいいんだろうか、そんな感じで。
「王華行くぞ、相棒」
けれど京一はお構い無しに、きゅっと手に力を込めて龍麻を立たせると、そのままするり、左腕を彼の肩に廻す。
「……え?」
「何だよ、何でそこで疑問形なんだよ。お前は俺の相棒で親友だろ。──あー、本格的に腹減って来たなー。……うん、今日はちょいと奮発して、チャーシュー入り味噌だな!」
「俺は、そーだなあ……。冷やし中華に初チャレンジ、かな。大盛りで」
「惰弱な」
「しょうがないだろ、暑いんだからーーっ」
────少しばかり汗を掻いている項辺りを掠めるように通って、己の左肩に乗り、夏服のシャツを、微かに皺が寄る風に掴む京一の手を見て。
無防備に預けられているとしか思えぬその腕と、まるで、大切な手が『そう在る』理由であるかのように、己に向かって、初めて、親友で相棒、とはっきり口にした京一の笑顔を見比べて。
「あちぃ時には熱い物ってのも、一興だぜ? でも、お前は冷やし中華なんだろ? ……惰弱じゃん」
「それが、親友兼相棒に掛ける言葉かなー……。俺が、親友兼相棒の京一に掛ける言葉は、何時ももっと優しいと思うけどなー……」
京一のそれと等しい笑みを浮かべ、等しいだけの想いを言葉に乗せ、龍麻は、肩に乗ったままの京一の左手に、そっと、己が手を重ねた。
End
後書きに代えて
2008.06〜09の拍手小説でした。
うちの京一の中で、龍麻が、友人以上親友未満、から、親友で相棒になった直後くらいの話。
とっても大切な君には、とっても大切な手でも差し出せるー、的な(笑)。
うっかりすると、この頃って、佐久間、雨紋の学校の生徒と喧嘩して入院してる気がしなくもないんですが、多分、ギリギリセーフ、と思い込むことにしてみた(あっ)。
──それでは皆様、宜しければご感想など、お待ちしております。