東京魔人學園剣風帖
『風詠みて、水流れし都』
──1998年 03月──
今年も、又。
桜の蕾が綻ぶ季節がやって来た。
短い命の花を持つ、散り際が、雪の降る様によく似ている樹。
人の命に、よく似ていると思えてならない樹。
そんな花の、蕾の綻ぶ季節。
…………………………ああ、そうか。
……春、だ。
後半月程が経てば、新宿区にある、都立・真神学園高校の三年C組へと進級する蓬莱寺京一は、その日、春休みの真っ直中であるにも拘らず、何時も通り、肌身離さぬ竹刀袋に入った木刀を肩に担いだまま、母校へ赴いていた。
彼は、この学園に入学した時から剣道部に所属しているが、決して、部活動の為に登校した訳ではない。
一年の時も二年の時も、誠に不名誉な、学年最下位の成績争いをしてしまったが為の補習授業を喰らった訳でもない。
学年主任である生物教師の犬神杜人と、校長に呼び出されたからだ。
先日、彼の学び舎で行われた卒業式で、母校を巣立って行く卒業生数名と、女を盗った盗らないで、乱闘騒ぎを起こしたから。
──幼い頃から京一は、『棒切れ』を振り回すことが何故か好きだった。
そこまで好きならと、父親が放り込んでくれた剣道の道場には、三つの頃から嬉々として通った。
それに加えて、正義感や義侠心も人一倍強かった。
一端に、『己の倫理』という奴を持ち、その倫理に適わぬ曲がったことが大嫌いで、大人相手に立ち向かった処でお話にもならない子供の時から、許せない、と思った相手には立ち向かって行く質だった。
故に、近所の幼馴染みや、幼稚園や小学校の悪友達とは少々違った理由で拵える生傷が絶えず、その頃から既に、喧嘩が日常だった。
尤も彼の両親は、夕暮れ時、明らかに喧嘩をした後だと判る有り様で帰宅する息子を捕まえ、「男なら、勝つまで帰って来るな」と叩き出すような、或る意味剛胆な夫婦だったし、そんな日々を送っていたお陰で彼は、幼い頃から何故か好きだった『棒切れ振り回し』──所謂剣術の師匠であり、恐らく彼にとっては生涯の師匠でもあるのだろう人物と巡り会えたのだろうけれど。
だから、幼少時代からそんな風だった現在の彼は、高校生とは思えぬ程荒事に長けていて、喧嘩の実力も、剣術の実力も、彼の年齢を鑑みれば、「べらぼう」と言いたくなる程高く、彼の遊びのホームグラウンドである新宿歌舞伎町に屯
そんなこと、彼自身も充分過ぎる程に承知しているのに。
…………春がやって来た所為で、少々苛立っていて。
なのに、自分の彼女を横から攫ったと、身に覚えのない因縁を吹っ掛けられて、つい。
彼は、卒業生達との乱闘騒ぎを起こしてしまった。
乱闘をしただけなら未だしも、苛立ちに任せて売られた喧嘩を買った果て、出さなくても良かった『実力』まで出して、上級生達を病院送りにしてしまった。
もう間もなくやって来る四月、彼等が進む大学の入学式も、就職先の入社式も、病院のベッドの上で迎えなくてはならないくらい、徹底的に。
……そんな訳で、彼は呼び出しを喰らった。
真神学園始まって以来の問題児、と名高い彼の起こす喧嘩騒ぎには慣れ切ってしまっている教員達も、怪我を負わされた卒業生達の親にねじ込まれれば、説教の一つもしないでは済まされない。
しかし、喧嘩三昧の日々の所為だけではなく、生まれ付きとても体の色素が薄い為、赤茶の髪や鳶色の瞳を有しているのも手伝って、職員室や校長室に呼び出され、頭ごなしに怒鳴られ説教を喰らう、ということも京一にとっては日常だったから、彼は上手く、鬱陶しい一時をやり過ごして。
帰路に着くべく、校門へと向かった。
────校庭中央の陸上トラックでは、陸上部が練習に精を出している。サッカー部や野球部の出す喧噪も聞こえる。
同じく、校庭の片隅にある、柔道部と剣道部と空手部が共同で使っている古びた道場からは、武道独特の、気合いの掛け声が洩れて来る。
だが、彼はその全てに一瞥だけをくれて、後ろ髪を引かれることもなく、校門を潜った。
彼の所属する剣道部の者達も、部活に励んでいるのに。
四月になって、新学期が始まれば、彼が剣道部の部長となることが決まっているのに。
春という季節の齎す苛立ちだけを抱えて、京一は、躊躇いもなく学び舎に背を向けた。
早く、東京の、新宿の、雑踏の中に紛れ込んでしまいたかった。
雑踏の中に紛れた処で、春になる度彼の抱える苛立ちが消え去ることはなく、却って募るのだけれど。
──好きではある筈の家に帰った処で。
授業その物が嫌いなだけで、通うことは苦にならない学校に残った処で。
こうしている瞬間も、唯ひたすらにその道を歩きたいと思っている剣の道にも通ずる部活動は、余りにも『スポーツ』過ぎるから、少し辟易しているそれに精を出した処で。
春の齎す苛立ちが、消え去らないと言うならば。
雑踏にでも紛れた方が、未だマシだった。