東京魔人學園外法帖

『風詠みて、水流れし都 始まり ─1866─』

──慶応二年 春──

──龍斗──

物心付いた時から、私の周りには『声』が溢れていた。

否、私の周りには、『声』だけが在った。

人ならざるモノの『声』。

樹や草や花や生き物や、空や風や水や雲や土や火、そんな、ヒト以外の全てのモノの『声』。

それが、この世に生まれ落ち、物心付いてより、常に私の傍らに在った『全て』だった。

…………いいや。

私が、緋勇龍斗、と言うモノになる遥か昔より、それは、私の『全て』だったのかも知れない。

────何故なにゆえなのかは解らない。

どうして、ヒト以外の全てのモノの『声』が私には聴こえるのか、その理由わけを私は知らない。

ヒト以外の全てのモノの『声』が、本当に幼き頃に、たった一つだけ教えてくれた『こと』、それに関わりがあるのやも知れぬけれど。

今尚、私に彼等の声が聴こえるまこと理由わけを、私は知らない。

けれどそれは、確かにうつつで、ヒト以外の全てのモノ──私は『みな』と呼んでいる彼等の『声』が聴こえる代わりに、『皆』の想いが届く代わりに、私には、人の声が『遠く』、人の想いが『遠かった』。

何時如何なる時も『皆』が傍らにいてくれる代わりに、人は、私にとっては胡乱なモノだった。

とは言っても、言葉通り、ヒト以外の全てのモノの『声』しか聴こえぬのではなくて、人の声も、『皆』の『声』以外の世を満たす音も、確かに聴こえはした。

が、聴こえはすれども、声が、音以上になることは稀有で、音が、音以上になることも稀有だった。

声は音でしかなく、音も音でしかなく。

意のある言葉として、意のある声として、私の『中』に留まり根を張る程の重みを持つことは、先ず有り得なかった。

幼かった頃の私に、意のある言葉として届くものは、『皆』の『声』以外にはなかった。

『皆』の声と、想いと、『皆』が語り聴かせてくれる『この世の理』の話だけが、私にとっては意のある全てだった。

そして。

だから、と言うべきか、しかし、と言うべきか。

本当に幼子だった頃から、私は、私にとってのそんな常が、ヒトの常とは違うことに気付いていた。

己の常はヒトの常とは違う──即ち、己はヒトとは違う、と。

……気付かざるを得なかった。

私には常に聴こえる『皆』の『声』は、ヒトには聴こえぬのだと。『皆』が私に教えてくれるこの世の理は、到底、ヒトには知り得ぬものなのだと。

けれど、或る程度長じるまでの私は、己がヒトとは違うことを『知っていただけ』で、ヒトには聴こえぬモノを聴き、ヒトには視えぬモノを視る私の質を、他人がどう受け止めるのかにまでは思い至れなかった。

他人にしてみれば、忌み嫌っても致し方ない質であるなどと、私には。

が、やがて、私と関わり、その果て、私がヒトとは違うと悟った全ての者が、私の質を──私を、薄気味悪がる姿を見せ付けられて、漸く私は、私がヒトと違うと言うこと、それは、隠し通さなくてはならぬことなのだと思い知った。

それを隠して振る舞うようにしてみたら、以降知り合った者は皆、屈託なく私に接してくれて、だから余計。

……尤も父母だけは、どれだけ私が『人のように』振る舞おうとも、とてもとても幼かった頃よりの、何処となく他人行儀な態度を崩すことはなかったけれど。

但、真か否か私は知る由もない、戸は立てられぬ人の口が語る噂によれば、どうやら私は父母の実の子ではない、とのことだったから、私がナニモノであろうとも、どのように振る舞おうとも、端から、父母にとってはどうでも良いことだったのかも知れない。

────そんな父母──古くから続く緋勇家の当主であり、陽の技を代々伝える古武道の宗家である父と、その妻である母と、子である私の間柄は、武道の師とその妻と弟子、と例えるのが、最も相応しいだろうものだった。

一つ屋根の下に暮らす『家族』でありながら、どれ程の時を重ねようと、日々を送ろうと、父母と私の間柄が、家族、と言えるモノに変わることはなかった。

実の両親ふたおやではないらしい父母は、何処までもひたすらに、武道の師であり、その妻であり。

私は、体面の上では彼等の実子でありながら、その実、何処までも弟子だった。

──そんな間柄のまま、どうにも他人行儀な父母と、ヒトとは違う、ナニモノかも解らない、もしやもしたら、ヒトでは有り得ぬナニカかも知れない、との己をひた隠すように日々を送る私の年月は、私の歳が、十九になるまで続いた。

そして、二十歳はたちになった、慶応二年の桜の盛り。

江戸へと続く甲州街道の、高井戸の宿を越えて暫く行った辺りに、ひょい、と姿見せる茶屋の上がり座敷に私はいた。

………………実のことを言ってしまえば。

あの日あの時、何故、あの茶屋に己がいたのか、私には皆目見当が付かない。

十九の年の秋の終わり、父に呼ばれ、家の片隅にある古い道場へ向かった、と言う処までは確かに憶えがあるのだが、その先のことは、何一つも思い出せない。

それより半年後のあの日、茶屋の上がり座敷の片隅にて揺り起こされるまで、己が何処でどうしていのたか、何故、江戸を目指そうとしていたのか、私にも判らない。

私の育った緋勇の家は、信濃の国の山奥にあり、最も近い街道筋は北国街道で、故に、緋勇の家より江戸へ向かったとするなら、中山道を辿る筈なのに、どうして、遠回りになる甲州街道筋にいたのかも判らなかった。

だが、父に呼ばれ、道場へ行こうとしていた筈の私が、時も場所も違えたあの茶屋で眠ってしまっていたのは真のことで、どうしてそんなことになっているのか戸惑う私に、『皆』が、「江戸へ往け」と告げたから、兎に角、それに従えば良いのだろう、そう思うことにした。

半年の間のことを何一つとして憶えていないのも、あの茶屋にいた理由わけも、江戸へ行かなくてはならぬ理由わけも、『皆』、決して教えてはくれなかったけれど。

『皆』の『声』に誤りがあったことも、私の為にならなかったことも、一度とてなかったから、私は、唯。

『皆』の『声』を信じた。

そして、何とか彼んとか『皆』の声を押しやって──そうしなければ、私には人の声が遠いから──、私を揺り起こしてくれた者達の言葉に耳傾け。

────その直ぐのちに、私は。

私の『運命さだめ』に出逢った。