──京梧──
暗雲と茜色の混じった空から注がれる、不気味な色に包まれてた龍泉寺に戻った俺達が会ったのは、劉って名の、清国の仙道士だった。
小賢しい猿を連れてた、最初の内はさっぱり判らねぇ言葉を喋ってたあいつは、何時の間にか俺達にも判る言葉を話し始めたから、騒ぎを聞き付けて出て来た女連中と一緒になって、お前は一体何者なんだ、どうしてここに来たんだと、あいつに問おうとしたが。
そこに、探し続けた例の悪霊野郎が、急に現れた。
強い氣に誘われたから、みてぇなことを言い出したあいつは、多分、劉の氣に引かれたんだろう、ってなことも言い始めて、済し崩しの内に俺達は、悪霊野郎の影達や、野郎が連れて来てた神夷京士浪と戦う羽目になった。
──幕府の屋形船の護衛を命じられた川開きの夜、両国橋で一度、神夷の奴と俺達はやり合ってた。
あの時は、食い詰めて悪事に手を貸してる浪人か何かだろう、と思ってたあいつが悪霊野郎の仲間だったと知って、俺は堪忍袋の緒を緩め掛けたが。
黒繩翁の仲間になった覚えはないと、きっぱり言い切ったあいつは、俺だけに眼差しを注ぎながら、自分と戦え、そして倒してみせろ、なんてな、訳の判らねぇことを言ってきた。
言われなくったって、強い相手とやり合うのは俺の本意とする処だったし、仲間だろうがそうじゃなかろうが、悪霊野郎と手を組んでるような奴をのさばらせとくつもりもなかったし。
何より、両国橋でやり合った時、神夷がほざいてやがった、俺が辿ってる剣の道は間違ってる、ってな言い分を粉々に打ち砕いてやりたくて堪らなかったから、上等、とばかりに俺は、あいつと対峙して、誘い込まれた幻の竹林の中で返り討ちにしてやった。
…………だが、やり合いが終わって。
「それが、御主の答えか」
と、問うてきたあいつに。
「そうだ。これが俺の答えだ。俺は、俺の信じる剣の道を貫く」
と、胸張って答えたら。
あいつは、口許を笑ってるみたいに歪めながら、己の剣を託す、と告げてきた。
──遂に俺は見出せた。だから、御主に我が剣を伝えよう。我が流派に伝わる剣術を。
俺は、ずっと探していた。この剣を継ぐ者を。先代達の受け継いできたものを受け継ぐに相応しい者を。
我が剣は、強くなり過ぎた。それ故、継ぐ者がいなかった。継ぐ者のおらぬ剣など、只の陽炎に過ぎぬ。陽炎を留めておく法は、この世にはない。
俺はここで死ぬ。だが、俺の技は御主の糧となることが出来る。共に、御主の歩む道を見届けることが出来る。
剣の道と言うのは────永遠に続いていく。それを伝える者が、受け継ぐ者がいる限り。
──…………そうして、そんな風に言い残して、あいつは逝った。
俺の技を、御主に伝えよう。そして、出来ることなら、俺の技を後の世に伝えていって欲しい。俺の想いを、この技を継いできた先人達の想いを。
……とも、あいつは言い残した。
────何を言われても、どんな想いを見せ付けられても、俺の答えが変わることなんざなかった。
あいつに言ってやった通り、俺は、俺の信じる剣の道を貫くだけ。
そんなものは幻だ、と神夷は言った、剣の道の果ての頂に、天下無双の剣を手に立つ。
それが、俺の信じる俺の剣の道であることに、変わりある筈が無かった。
…………但。
自分の技を受け継いで欲しい、後の世に伝えて欲しい。
自分の想いを、この技を継いできた先人達の想いを受け継いで欲しい、後の世に伝えて欲しい。
そんな、あいつの心底からの願いは、俺の中に何かを穿った。
その『何か』が、その時の俺には未だ解らなかったし、この出来事が、これより『遥か後の俺』が、辿る剣の道をどう定めるかを左右するなんてことも、俺には判らなかったけれど。
神夷とやり合って、そんな結末を迎えて直ぐさま。
物思いに耽る間もなく、又、悪霊野郎が姿を見せた。
どうして、自分の力を写し取った影達を、ヒトでしかない俺達に倒せたのかと、悪霊野郎は訝しがり、不意に、ひーちゃんへ向き直った。
あの野郎が気にしてた強い氣は、劉のモンじゃなくて、ひーちゃんの氣だったらしく、「感じるこの氣の持ち主は、そして『正体』は、お前か」と言いながら。
そうして悪霊野郎は、所詮はヒトだとか何とかほざいて、ひーちゃんを斃そうとする素振りを見せたから、今度こそ、影でなく悪霊野郎自身と、と俺が刀の柄を握り直した途端、
「そのまま殺してしまっては詰まらぬ」
ってな、あいつを留める声がした。
……悪霊野郎を留めた声の持ち主は、九角そっくりの赤髪をした男だった。
柳生崇高、と名乗ったそいつは、いけ好かねぇ目付きで俺達を眺めつつ、これまでの出来事の全て、自分が仕組んだことだと、耳障りな声で嗤いやがった。
嗤いながら、龍閃組と鬼道衆がやり合い続けるにように仕向けたのは自分だ、とか、人が鬼に変生したのも自分の技だ、とか白状して、この世の全てを憎み、恨み、ヒトと言う愚かなモノを消し去ること望んでいる自分は、この世の覇者となって、世に八大地獄を生んでみせる、とも言い切ったあいつのその言い種、その野望の何も彼も、許せる訳がなく、こいつを倒さねぇと……、とは思ったんだが。
氣も気配も、これっぽっちも俺達に悟らせないまま、何処からともなく姿見せた柳生の奴は、産毛までもが一本残らず逆立つような、酷く濃い陰の氣を全身から放ってて、刀の鯉口を切る刹那を、俺は中々掴めなかった。
ひーちゃんはひーちゃんで、何やら甚く驚いたような顔して、俺には聞こえねぇ『何か』に耳貸してるような……、いや、耳貸さざるを得ないような、そんな様子を見せてた。
年がら年中、ぼーーー……っとしてるひーちゃんは、それと同じくらい年がら年中、俺達には視えない『何か』と一人こっそり語り合ってるような、妙、としか言えない態を取ってばかりいて、でも、あいつはあいつなりに、それを何とかして隠そうとする素振りも取ってたし、別段、大して気にするこっちゃねぇだろう、と踏んでたから、敢えてそれを問い質そうとしたことは、少なくとも俺はなかったが。
幾ら何でも、こんな時にまで『何時もの』をおっ始めてんじゃねぇ! と、俺は思わず怒鳴りそうになって、けれど、どうにも、『何時もの』を始めちまいやがった、ってんでもなさそうで。
柳生の野郎に斬り掛かる隙は見付けられねぇは、ひーちゃんの態には戸惑わさせられるはで、こいつぁ、どうしたもんか、と悩んだ僅かの瞬に。
「────っっ! ……あぁぁぁぁっ……」
「ああっ!」
「時諏佐先生!」
「百合ちゃんっっ!」
「先生ーーーっ!」
お前達の希望など、今、潰える、と高らかに言い放ちやがった柳生の野郎に、百合ちゃんが斬られた。
……情けねぇ話だが、あの野郎が、何時、鞘から刀を抜いて、何時、白刃を振ったのか、俺には見えなかった。
多分、あの野郎のそれは、誰の目にも見えなかったんだろうと思う。
その証拠に、俺含め、その場に居合わせた誰もが、斬られ、地に倒れてく百合ちゃんの姿に、顔色を変えるしか出来なかった。
そんなことを確かめる暇が、能く、あの時の俺にあったもんだ、と今でも思うが、ちらりと目を走らせた傍らのひーちゃんも、声もなく、唯、呆然と、百合ちゃんと柳生の野郎を見詰めてた。
「人の命など儚いものよ。そして、希望など、死んでしまえば只の幻よ」
…………だってのに、そんな俺達の目の前で、あの野郎は、ひたすらに耳障りな嗤いを立てながら。
「藍殿! 治癒の技を……っ!」
「えっ、ええ────。……きゃあああああっ!」
雄慶の声に促され、はっ、と百合ちゃんを助けようと駆け出した美里も。
「藍ーーーーっ! ──きゃーーーーーーーっ!!」
百合ちゃんのように美里が斬られ、悲鳴を上げた小鈴も。
「お前達には、希望も、明日と言う日もない。お前達の役目は終わったのだ。役目を終えた魂は、無に帰す宿命──」
何がそんなに可笑しい! と、怒鳴りたくなる程の嗤い声を放ちながら、これっぽっちも躊躇わず刀を振った、あの野郎に。