──京梧──
日が暮れ切るのは未だ先だった筈なのに、空は、真っ暗になってた。
暗くて重い雲が覆った空からは、酷く冷たい雨粒が降って来ていて、雲の向こうのあちこちで、稲光が走ってた。
……痛てぇ、と思えるような雨に打たれる中、あの野郎に百合ちゃんが斬られ、美里も小鈴もやられ。
俺は、カッと、頭に血を上らせた。
冗談じゃねぇ、と吐き捨てたかった。
…………そりゃ、知り合ったばかりの頃──共に龍閃組の看板を背負い始めたばっかりの頃は、鬱陶しいとか、小言がうるせぇとか、思ったことだってあったが、誰も皆、俺にとっちゃ大切だと思える連中で、そいつ等を、一刀の下に斬り捨てられて許せる筈なんか無かった。
もう俺自身にも定かじゃねぇ『昔』、浪々に足踏み入れてから江戸に辿り着くまで、真の意で独りだった俺が、懐近くに寄せてもいい、と思えた連中を、そんな目に遭わされて黙ってられる訳なんかない。
だから、俺の頭には血が上って、目の前は、怒りで真っ赤になった。
何が遭っても、柳生の野郎だけは叩っ斬らなきゃ気が済まなかった。
ひーちゃんも雄慶も、俺と似たような想いを抱えたようで、二人共に怒りで頬染め、あの野郎を睨み付けてた。
「無に帰すのは貴様の方だっ」
「死ぬのは、てめぇだっ！」
それを確かめ、二人も同じ気持ちなら、と雄慶の叫びを追う風に俺も怒鳴り声を上げて、それまでは中々踏ん切れなかった刀の鯉口を切り、あいつに挑んだ。
鞘走りの際、我知らず眼差しを流したら、ひーちゃんが、どうしようもなく辛そうなツラして頭を抱えたのが見えたが、今だけは、あの野郎を倒すのが先だと、俺は刀を抜き切って……、……が、俺の技も、雄慶の術も、只、ふいっと振っただけのあいつの腕に阻まれちまった。
「俺の技が……」
「こんな馬鹿なことが……」
高が生身の腕に、俺の剣技も、雄慶の術も防がれるなんて、そんなこと有り得る筈ねぇと、思わず、俺も雄慶も洩らした。
だがそれは、夢でも幻でもない、真のことで。
呆然としちまった隙に、あの野郎は嫌な声の嗤いを洩らし、「これがヒトの……」と呟きながら更に俺達を嘲笑って、もう一度、技を、術を生もうとした俺と雄慶を、ばっさり、斬って捨てた。
「……ひ、一太刀だと…………？」
「ば、馬鹿な…………っ……」
………………それは、どう足掻いても抗い切れねぇ一太刀だった。
美里や小鈴のように、雄慶は地に倒れ、胸から腹に掛けて深く抉られた俺は、直ぐそこに突っ立つ木に、ずるずると凭れて根元に踞るしか出来なかった。
「その『力』……。お前も、崑崙に『力』を授けられし者か？」
「崑崙？ ……ふっ、そのような男もいたか」
俺が、荒くなってく一方の息を何とかしようとしてる間に、あの野郎の、次々と俺達を伸した禍々しい『力』に顔色変えた劉が、低い問い詰めの声を出し始めたが。
劉も、大刀の一振りで、俺達のように倒れて…………────。
「柳生……崇高…………っ……」
それまで、どうにも痛むのだろうか、辛そうに頭を抱えてたひーちゃんが、我を忘れた風に、怒りだけが滲む声で、唸るようにあの野郎を呼び付けた。
「くくく……っ。お前達は、自分達が何故に死に逝くのか判るか？ それは、お前達がヒトだからだ。それ故、お前達は滅びるのだ。──黄泉より、この世が滅びる様を見ているといい。もう、お前等が望むような風は吹かぬ。全ては、宿星の運命のままよ。……お前も、逝くが良い」
何が遭ってもお前を倒す。──そんな色を、ひーちゃんは目に宿して、構えを取り、柳生の野郎へと拳を振り翳したけれど。
無情にも、能書きを垂れつつ振られた柳生の刃は、ひーちゃんの拳に勝ってた。
……あいつの方が疾い、それが、俺にも判った。
「…………っ！ 龍……────」
だから、咄嗟に、俺は。
抜き去ったままだった刀を杖に、気合いだけで立ち上がって、振り下ろされつつある刃と、ひーちゃんの間に立ち塞がった。
無論、例えひーちゃんを庇う為にとは言え、黙って斬られてやるつもりなんざ俺にはなく、愛刀の柄握る手に渾身の力込め、何とかあの野郎の一撃を、と切っ先を返しはしたけれども……、それが──その時の俺の剣技が、及ぶことはなく。
俺の胴を、深々と、あの野郎の刀が貫いていった。
貫かれちまった所為で、ひーちゃんの名を呼んだ俺の声は掠れて、消え入りそうにまでなっちまって。
「……京梧っ!!」
…………俺の声が、消え入りそうな掠れ声になっちまった所為か、それとも、俺を貫いた鈍色の刃を見た所為か。
ひーちゃんは、高い声を放った。
「………………大事……ねぇ、か……？」
……どうして、お前がそんな声を絞る？ と、そう言ってやりたくて、俺はゆっくり、あいつの無事を確かめる為に振り返りながら、何とか笑んだ。
笑んだ……けれど。
俺の手からは、その刹那まで握り締めてた刀がぽろりと零れ落ち、刀は、痛くて冷たい雨にぬかるむ庭の泥に塗れちまって……、それを見たひーちゃんの顔色は、蒼白に変わった。
「京梧……っ。京梧っっ」
胴を貫いたままの大刀の所為で、倒れ込むことも許されない俺に、ひーちゃんは両手を差し出して、身を支えてくれた。
「た……つと…………」
抱き締めんばかりに俺を支えてくれる、ひーちゃんの──龍斗の顔色は、益々白くなっていって、泣きそうに歪み始めて、だから俺は、あいつの名を呼びながら、もう一遍笑った。
俺は死なない、死んだりなんかしない、だから、そんなツラするんじゃねぇ。──そう、訴えたくて。
「京梧…………」
そうしたら、龍斗は、唇を噛み締め、溢れ始めた涙を堪えながら、俺を呼んだ。
────泣いたりなんかするんじゃねぇよ。
俺は死なない。逝ったりなんかしない。
だから、泣くな。
……そう告げたかったが……、そんな俺の想いは、もう、音にならなかった。
それを言ったら最後、瞬く間に嘘になると、俺にはもう悟れていたし、例え、瞬く間に嘘となる科白でも、吐く力は生まれなかった。
「京梧……っっ。京梧、京梧…………」
幾度も、幾度も、俺の名だけを繰り返す龍斗に、その時の俺にしてやれることは、微かにでも笑んでやる、それしかなかった。
──……叶うなら、今この場で言ってしまいたい、そう思うことは、未だ他にもあったけれど。
今になって、やっと気付いた、と。
お前の『優しさ』が欲しいと思い、お前に『優しさ』を与えたいと思い、お前を俺の傍らに添わせておきたいと思い、俺をお前の傍らに添わせたいと思い、俺の傍らで、俺を見て、春風のように笑ってて欲しい、そう願ったのは、俺が、お前に惚れてたからだ、と。
お前を、愛おしいと想ってたからだ、と。
今になって、やっと気付いたが、俺は、お前を…………、と。
あいつに、伝えてしまいたかったけれど。
それも、もう俺には許されず。
お前が無事ならそれでいい、それだけを思いながら、俺は。
「ヒトなるモノよ、愚かなり」
………………だが。
刀に貫かれたままの俺を支えながら、龍斗が俺の名だけを呼んでくれてた間も、柳生の野郎は、俺達を、侮蔑の眼差しで見続け。半ば程だけ刀を引き抜いたあの野郎は、そのまま俺毎、龍斗を刃で貫いた。
俺の命費えても生きていて欲しかった、惚れてる、愛おしいあいつを。
「……う……、あ……っ……」
「……龍、斗……っ！」
俺達を貫いた刃は、違うことなく龍斗の心の臓を抉ったようだった。
あいつの唇から、苦悶の呻きが洩れた。
それを聞き、俺は、最期の力を振り絞って、あいつの名を呼んだ。
……そこで、俺の目の前は真っ暗になった。
何も彼も、闇色に塗り潰された。
俺の命費えても生きていて欲しいと願った龍斗さえ、あの野郎の凶刃に倒れたのは、どうしようもなく遣る瀬無く、悔しく、胸が潰れそうになったが、一方で俺は、薄らとした幸を感じてた。
こんな結末を俺達は迎えちまったが、惚れてると気付けた、愛おしいと気付けた、龍斗と二人、一つの刃で貫かれたまま逝けるなら、例えそれが、あの野郎の凶刃だとしても、一つの幸と言えるのかも知れねぇ、そう思えた。