東京魔人學園伝奇+九龍妖魔學園紀 捏造未来編
『美味いと言えないカレー』
二〇〇五年の四月十日、日曜日に、葉佩九龍と皆守甲太郎の二人が乗り込んだ、十五時三十分、定刻通りに成田国際空港を出発したエジプト航空のカイロ行き直行便MS965は、現地時刻四月十日の深夜、何事もなくカイロ国際空港に到着した。
彼等二人をよく知る者達が、約十四時間に亘る彼等の長旅を端から眺めていたとしたら、間違いなく、珍道中、と評しただろうそれを終え、あたふた、と言うよりは、じたばた、市街地の片隅にあるホテルに傾れ込んで、疲れ果てた彼等はとっととその日に幕を引き、翌日も、今度は、じたばた、と言うよりは、ドタバタ、慌ただしい以外の何物でもない一日を過ごし。
──四月十二日。
甲太郎の、十九度目の誕生日がやって来た。
前夜、未だ十時前だと言うのに、「俺は寝る!」と高らかに宣言し、とっととベッドに潜ってしまった甲太郎は、九龍が目覚めて一時間近く経っても、しぶとく寝ていた。
目覚める気配は、これっぽっちも見せなかった。
「ふむ…………」
そんな、意地汚く眠り続ける甲太郎の寝顔を眺め、己のベッドに腰掛けた九龍は、軽く小首を傾げる。
──様々、『予定外の出来事』が遭った所為で、本来予定していた日よりも、丁度十日、日本を出立する日が延びたので、思っていたよりもゆとりはあったけれど、天香学園の卒業式を終えた日から二人揃ってエジプトへ来るまで、何だ彼
起きぬ彼を、小首傾げつつ眺めた九龍は、やがて、
「ん!」
と立ち上がった。
……今日は、甲太郎の誕生日だ。
彼の、十九回目の誕生日。
彼が、この世に産まれてきてくれた日。
あの、当たり前に来る筈の『明日』すらやって来ないような気にさせられる、黄昏の町めいた、閉ざされた学園の中より出、自分の手を取って、共に未来へ行くと定めてくれた彼の。
だから九龍は本当は、甲太郎の枕元に陣取って、彼が目覚めたら起き上がるよりも先に、「誕生日おめでとう!」と言うのだと決めていたのだけれど、この分では、当分、甲太郎は目覚めそうにもないので。
「先に、ちょっくら仕込んでくるとしますかねー。甲ちゃん、飛行機の中でも昨日も、暇さえあれば、アラビア語の教本眺めてたから、きっと、目も死んでるだろうし」
つかつか壁際へと向かい、バン! と作り付けのクローゼットの扉を威勢良く開いて、それなりに手早く着替えた九龍は、「行ってきまーす」と囁くと、鼻歌を歌いながら部屋を出て行った。
甲太郎の誕生日まで後一ヶ月を切った頃から、九龍はずっと、甲太郎に何を贈ろうかと考えていた。
『葉佩九龍』になってから初めて出来た恋人の──本当に本当に大事な人の誕生日、それも、初めて祝ってあげられる誕生日に、贈り物をしたかった。
が、その頃彼は、東京・新宿の、桜ヶ丘中央病院の入院ベッドの上だったし、退院した翌日から三日間は、天香に潜入する直前に知り合った、あれから半年が過ぎた今では実の兄達のように慕っている青年達絡みの騒ぎに自ら進んで首を突っ込んでいたし、それより機上の人となるまでの約一週間は、自分達のこれからのことで忙し過ぎて、結局九龍は、甲太郎への誕生日プレゼントを調達することが叶わなかった。
ひたすら考え続け、悩み続けはしたけれど、何を贈れば甲太郎が喜んでくれるかも見当が付かないままだった。
故に、悩んだ果て、甲太郎と言えばカレーとアロマ、という、一等最初に思い至った処に発想が戻った彼は、形には残らないけれど、今年は、どストレートにカレーを甲太郎に贈ろう、と思い定めた。
未だに甲太郎は、自分の拵えるカレーを手放しで美味いと言ってくれたことはないけれど、カレー相手に臍は曲げなかろうし、一寸くらいなら喜んでくれるかな、と。
本当にちょびっとでも、喜んでくれればそれでいいや、と。
そう思って、眠り続ける恋人を部屋に置き去りにした彼は、元気一杯、宿泊しているホテル内で一番大きなレストランの、厨房に乗り込んだ。
いきなり乗り込んで来た東洋人の若者に従業員達は目を丸くし、追い出そうとしたが、全開の愛想と時に廻り過ぎる舌先と持ち前の人懐っこさと、少々の賄賂でレストランの従業員達を懐柔した九龍は、必要な材料を買い取り、厨房の片隅を借りて、エジプト風のカレーを作り始めた。
彼の目指す所は、トマトベースの、モロヘイヤ入りチキンカレーのようで、付け合わせのひよこ豆を茹でながら、上機嫌で日本の童謡を歌いつつ、話し掛けてくる料理人達と世間話も交わしつつ、やがて、彼等の一人が拵えてくれた焼き立てのピタパンと、出来立てのカレーを皿に盛って、礼を告げ、部屋に戻った。
何故、従業員ではない者が、ルームサービスが乗っているとしか思えないワゴンを押しながら廊下を行くのだろう? と不思議そうに見遣ってくる、見ず知らずの宿泊客の視線も弾き返し、ドバン! と彼は、自分達の部屋のドアを開け放つ。
「甲ちゃ…………。……あれ?」
勢い良く開け放ち過ぎた扉が放つ騒音も何のその、ふんっ! と料理を乗せたワゴンを押して、甲太郎が寝ていたベッドを見れば、そこにもう、彼の姿はなく。
「……お前は、ホンットーーーーーーーーー……に、うるせぇな」
何処に? と辺りを見回した彼に、バスルームから出て来た甲太郎の、不機嫌そうな声が掛かった。
「お。甲ちゃん、おはよー! ってか、もう昼だから、おそよう?」
「おはよう、だろうが、おそよう、だろうが、どっちでもいい。少し、声のボリュームを下げろ。うるさい。俺は起き抜けなんだ、無駄にはしゃぐな」
「いいじゃん、今日ははしゃいでもいい日なんだからさ。それよりも甲ちゃん。昼飯食おう、昼飯!」
「あ?」
が、九龍はあっさり笑い飛ばし、濡れ髪にタオルを引っ掛けて、誠にラフな格好をしている甲太郎の腕を引き、部屋の隅の小さなソファに座らせた。
「飯? ルームサービスでも頼んだのか?」
「んにゃ。そういうんじゃないけど。種明かしは後でするからさ」
「昼飯に種明かし? …………ん? カレーじゃないか」
何が何やら判らない、との顔付きではあったものの、九龍に促されるまま腰掛け、ひょい、と目の前に突き出されたワゴンの上の料理に、甲太郎は漸く、声に明るさを持たせた。
「へへー。……甲ちゃん、誕生日おめでとう! 十九歳だな!」
「誕生…………。…………ああ、そう言えば、今日はそんな日だったな」
「うわー、リアクション薄っ。俺、さっき、今日ははしゃいでもいい日だって言ったっしょ? 折角の甲ちゃんの誕生日なんだからさー、もう一寸、こう、ぱぁっと出来ない?」
「自分の誕生日に諸手を上げてはしゃげる程、俺はガキでもないし、明るくもない」
「だーかーらー……──」
「──で? このカレーは、俺が誕生日だからか?」
「あ、うん! 頼み込んでレストランの厨房借りて、作ってきた。プレゼント用意してる時間がなかったから、今年は俺の手作りカレーで勘弁して貰おうかな、って。甲ちゃん、エジプト風のカレー食ったことないって言ってたから」
「……成程」
最愛の食物であるカレーを目の前にして、一旦、甲太郎の声音は弾んだが、彼とは対照的なまでに弾みっ放しの声の九龍に『カレーの理由』を聞かされ、一度は弾んだ彼の声には、若干の複雑さが入り交じった。
「一寸、食べてみてくれよ。今日のは自信作!」
「『正しい食材』以外を使ってないだろうな?」
「このホテルの何処から、甲ちゃん曰くの『正しくない食材』をゲットして来られるっつーの? いいから食え! 黙って食え!」
そのトーンに、絶対に、何か疑ってる……、と九龍は眦吊り上げ、折角のプレゼントに疑惑を投げ掛ける可愛気の無い恋人へ、ビシッ! と指を差し。
「判った判った……」
苦笑しつつスプーンを取り上げ、甲太郎は、暫し無言で『プレゼント』のカレーを食べ進めた。
「…………九ちゃん」
「何?」
「一二〇%期待に満ちてる目を俺に向けても無駄だ。……お前、これは、カレーってよりもモロヘイヤスープって言わないか?」
「えーーー、そうかなあ……? そんなことないと思うけどなー。厨房の人に味見して貰ったら、満点って言って貰えたしさあ」
「……………………お前、俺の為のカレーを、何処の馬の骨とも判らない他人に、俺よりも先に食わせたのか?」
「……プレゼントなカレーに駄目出ししといて、そこで妬きもちですかい、この嫉妬大魔神め……。今日くらいさあ、嘘でも美味いって言えない? 寧ろ言え? 常人には理解出来ない妬きもち妬いてないで、義理でもお世辞でも、美味いぜ、くらい言え?」
甲太郎がカレーを食べ進める間、対面に座り、「今日くらいは、お義理でも美味いって言ってくれてもいい!」と期待に満ち満ちた眼差しを彼に注いでいた九龍は、毎度の如く、カレーにはうるさ過ぎる甲太郎にばっさりヤられ、挙げ句、訳の判らない妬きもちまで妬かれ、がっくり項垂れる。
「別に、不味いとは言ってないだろ」
「じゃあ何で、カレーって言うよりはモロヘイヤスープって評価なんだよ、甲ちゃんの馬鹿!」
「仕方無いだろう、本当のことだ」
「…………だぁぁかぁぁらぁぁ……」
「嬉しくないとも言ってない」
「嬉しく思ってくれてるようには見えません、こーたろーさん」
「お世辞や義理で、さも、天上の料理かのように美味いと言ってみせて、俺には無理な喜び方を、それでもしてみせて、嬉しいか? 九ちゃん?」
けれど、九龍がへこんでも甲太郎は態度を変えず、己の主張をし続け、
「……嬉しくないです、はい。甲ちゃんは、甲ちゃんなのがいいです。でもさー……」
「…………満点はやれないが不味くはない。お前が、俺の誕生日にと作ってくれた物だ、嬉しくない筈も無い。……それじゃ駄目か?」
「駄目ってことはないけど……」
「お前が作ってくれた折角のこのカレーも、食っちまえば終わりだ。跡形もなくなる。だから、満点は出してやらない。不味くはない、としか言ってやらない」
「……なして?」
「そう簡単に、美味いなんて言ってやる訳ないだろ。うっかりそんなこと言っちまったら、俺の楽しみがなくなる」
「楽しみ? え、美味いって言わないことが甲ちゃんの楽しみ?」
「満点を出さない限り、お前はむきになって、カレーを作り続けるだろう?」
「う、ん。た、ぶん…………。だって、甲ちゃん、絶対に俺の作ったカレー、美味いって言ってくんないから……。……って、ん……? んんんんんん……?」
「誕生日でも、誕生日じゃなくても。俺の為だけに、カレー、作ってくれよ」
──それって、ひょっとして、もしかして……? ……と。
続いていく言葉に、次第に眉間に皺を寄せ始めた九龍に、甲太郎はくつくつと忍び笑いながら言った。
「……甲ちゃんの愛情表現って、ほんとーーーーー……に、判り辛いってぇか、複雑ってぇか。捻くれ者め……。でもいいや。甲ちゃんの本音が聞けただけ、良しとしましょうかね。……ん? あ、ってことは、甲ちゃん! 今日のカレー、本当は美味い?」
「カレーと言うよりは、モロヘイヤスープ。以上」
「あ、そこんトコは、本心な訳ね……。くっ……。精進あるのみっ、俺っ!」
「ま、精々頑張れ。一生頑張れ。──処で、九ちゃん?」
「何? 甲ちゃん」
「有り難うな」
「いえいえ、どう致しまして! 来年も、ちゃんとカレー作るから。頑張るから! 少なくとも、不味いとは言わせないから! ──んじゃ、改めて。……甲ちゃん、誕生日おめでとう!」
甚く愉快そうな忍び笑いは、正直、気に食わなかったし、言い種も微妙だったし、本日のエジプト風カレーへの評価が覆らぬことも不服ではあったけれど。
にこり、笑んで、どうしようもなく捻くれ者の彼が、有り難う、と言ったから。
綻ぶ花のように笑って、九龍は、もう一度、甲太郎が生まれた日を祝う言葉を告げた。
────二〇〇五年 四月十二日。
二人で、そしてエジプトで迎えた、甲太郎の初めての誕生日。
この日を終えて、明日になれば。
肩を並べて祖国を飛び出した二人の、本格的な『第一歩』が始まる。
End
後書きに代えて
うちの甲太郎さんの、十九歳のお誕生日の話。
相変わらず、うちの年少組は、色気ゼロですみません……。
無理。生まれない。この二人に色気は生まれない……(笑)。
更に、甲太郎さんは相変わらず、絶好調捻くれ者で天邪鬼。
──カレーの星の人のプレゼントにカレーってのは、ベタ中のベタかも、とは思いますが、今年はこんな感じで。
──それでは皆様、宜しければご感想など、お待ちしております。