東京魔人學園伝奇+九龍妖魔學園紀 捏造未来編
『櫻色』
二〇〇六年 四月の始め。
三月の終わり、ここ東京でも満開を迎えた染井吉野が数多咲き誇る新宿中央公園を抜ける道を辿り、蓬莱寺京梧は、出先から、西新宿の片隅にある、己と緋勇龍斗の現在の仮住まいであるマンスリーマンションの一室に帰宅した。
「お帰り、京梧」
もう間もなく春の夕暮れを迎える頃合い、施錠はされていなかった玄関扉を開ければ、朝早くから出掛けていた彼を待ち侘びていたのだろう龍斗が、既にそこに立っていた。
京梧にも龍斗にも、人の氣も、人以外の氣も感じ取れる『力』が備わっているから、彼が玄関扉を開くよりも早く、龍斗は彼の帰宅を察していたのだろう。
少しばかり、一人きりでお前の帰りを待つのは詰まらなかった、と表情で訴えてから、龍斗はいそいそと、京梧の中羽織を脱がせ始める。
三和土で羽織の塵を払いながら、これを片付けたら茶を淹れるからと、狭い部屋の中程へと京梧の背を押す風にしてきた龍斗に若干の苦笑を浮かべつつも、京梧は何も彼も、彼の好きにさせていた。
────京梧は男で、龍斗も男で、けれど彼等の関係は、生涯を誓い合った伴侶同士、としか例えられぬものだ。
……仕方が無い。
出逢った刹那、既に、京梧は龍斗を、龍斗は京梧を、己の運命
だから龍斗は、こうして日々を共にしている京梧の世話を甲斐甲斐しく焼いて、京梧は、「嫁じゃあるまいに」と苦笑しつつも彼の好きにさせて、そんな最中
龍斗が塵を払っていた自身の中羽織から、抜けて来た新宿中央公園で付いたのだろう桜の花びらが三和土へと舞い落ちるのを、京梧は目の端で拾った。
その所為で、彼はふと、先程目にしたばかりの桜達に思いを馳せた。
今年の桜も、それはそれは見事だ、と。
だが、去年の桜の方が、それは見事な今年の桜よりも、尚、見事だった、とも。
……今年の桜を思ったら、去年の桜をも思い出し、彼は思わず、龍斗の背中を見遣る。
………………あれから、一年が経った。
一言で言うなら『運命の悪戯』の所為で刻を越えてしまった己と再び巡り逢うべく、自らの時を止めてまで約束の場所に留まり続けた龍斗と、真実の再会を果たした日から。
この世の理を違えてまで、この時代にて二人共に寄り添う道を掴み取ってくれた彼と、今この時のような時間を過ごし始めた日から。
丁度、一年。
黄泉にも続いていると噂の地の底で、己を待ち侘びつつ眠り続けていた龍斗を叩き起こせたあの春の日、彼の目覚めを悟った東京中の桜達が、一斉に花を綻ばせた。
だから、去年の桜
そして、こうして龍斗が幸せそうに日々を過ごしているからか、あれから一年が経った今年の桜も見事だ。
……でも。
────今年の桜を思い、去年の桜を思い出し、龍斗の背中を見遣った京梧は、つらつらとそこまでを考えて、ふと、眉間に皺を寄せた。
帰りがてらに眺めてきたばかりだ、今年の桜は黙っていても瞼の裏に描ける。
去年の桜も、色鮮やかに思い浮かべられる。
……でも。
一昨年の桜は思い出せない。一昨々年の桜も。
…………思い出せない。
去年より昔の桜は思い出せない。
運命の悪戯の所為で『刻の路』を流されて、この時代に辿り着いた時も、季節は春だったのに。
桜が咲いていた筈なのに。
思い出せない。あの年の桜は思い出せない。
見事だったのか、そうでなかったのかさえ。
…………だから、京梧は眉間に皺寄せ、苦し気な顔をした。
一昨年より昔の桜は思い出せぬのに。この時代に辿り着いた春の桜も思い出せぬのに。
懐かしいあの頃──未だ、この街が江戸と呼ばれていた、自身も龍斗も本来の時を生きていたあの頃。
龍泉寺の裏庭で狂い咲いた桜の花は思い出せて、満開の桜
龍斗の背を見遣り続けながら、京梧は、息すらも詰まってしまったように────否、本当に息を詰まらせて、尚、苦し気になった。
「…………ひーちゃん」
そうして、そんな面をしたまま、彼は低く小さく龍斗を呼んで、その刹那も手にしていた、肌身離さぬ得物を包んだ刀袋を足許に落とすと、龍斗を抱き締めた。
あの日、狂い咲いた龍泉寺裏庭の桜が全て散った明け方の、江戸に置き去ると決めた龍斗との別れ際、京梧は龍斗を腕にしなかった。
地の底で眠る彼を目覚めさせられぬまま遣り過ごした二十五年間は、抱き締めたくても抱き締められなかった。
けれど、去年の春のあの日から。
そう、あの日から今日までの一年、一年もの間、思う時に思うまま、何時でも、龍斗の肌を、その温もりを、存分に求められた。
そして、今も、こうして。
「京梧? 急にどうしたのだ」
「んー? ひーちゃんの肌が恋しくなっちまってな」
「……未だ、日も暮れぬ内から、お前は何を言っている」
「仕方ねぇだろう。ふと、思っちまったんだから」
「何を?」
「一年経ったな……、ってな。お前との、再びの巡り逢いを果たせた去年のあの日から、一年経った。一年も、こうしていられた……」
遠い昔の別れの間際は敢えて触れなかった、年々の桜の色さえ思い出せぬ二十五年の間は触れられなかった、けれど、あの日から一年、一年も、今も、これからも、思う時に思うまま、龍斗を己の腕に出来る、その幸を噛み締めている風に、京梧は、ぽつりぽつりと言う。
「一年も、ではなかろう?」
洩らされた想いと言葉への答え代わりに、龍斗は、京梧の胸に頬寄せながらその背に腕を廻した。
「いいや。一年も、だ」
「違う。……一年だ。私達が再びの巡り逢いを果たしたあの日から、未だ、たった一年。高が十二月如きでは、到底、満足するに足りない」
「………………確かに。こうなれるまでに遠回りしちまった分の帳尻くらいは、合わせねぇとな」
「だろう?」
「ああ。それに。お前の言う通り、足りない。たった一年ぽっちじゃ、腕に抱くだけじゃ、足りっこねぇ」
抱擁に抱擁を返しはすれども、一年『も』、ではなく、一年『しか』だ、と龍斗が不満気になったから、言えてるな、と京梧は彼を抱く腕を一層深くし、愛おしそうに髪の香りを胸に吸い込んで、
「龍斗」
眼差しと囁きのみで上向かせた彼に、接吻
「ん……」
優しい、けれど激しいそれに、龍斗は甘い息を洩らし、薄目を開けた京梧は、その奥の瞳の色を変える。
────そうだ。
高々十二月の歳月如きで得られた充足に、浸り切るなんてどうかしていた。
されど一年とは言え、たった一年。
満ち足りるのは、三途の川を渡っても、閻魔の前に引き摺り出されても、何も彼もを共にと誓った己が運命
運命から、悉くを奪い切った時でいい。
再会が果たされたからとて、幸福なだけの一年もが過ぎたからとて、満たされるには早過ぎる。
年々の桜の色に感じ入られるようになった程度では、龍斗を腕に抱ける程度では、接吻を交わせる程度では。
到底、足りない。
「……そうだろう? 龍斗」
「…………何が、だ?」
「だから。こんな風に戯れ合ってるだけじゃ、お前だって、到底足りねぇだろう? って話だよ」
「……足りる。そもそも、私が言った『足りない』は、お前と過ごす時の長さの話であって、お前曰くの戯れ合いのことではない」
「似たようなもんじゃねぇか。共に過ごす時が長くなりゃ、戯れ合いの数だって増えるのが道理ってもんだ。それに、少なくとも今は、お前の御託に耳貸してやる気なんざ更々ない」
──龍斗の唇を奪いながら、「そうだった。足りない。足りる訳がない」と、身勝手な悟りを開いた京梧は、身勝手な言い分をも語って、だから龍斗は、そういう話をしていたのではなかった筈だが、と、遠い昔から変わらず碌でなしな男を睨み上げたけれど、京梧はしれっと彼の不興を受け流し、その場にて龍斗を押し倒した。
「京梧、未だ、陽が落ちていな──」
「──だから? 気にする程のことか? ……大体な、つれねぇことほざいてみたって、真実味ってのがねぇぞ。四の五の言いてぇなら、その、甘ったるくて濡れちまってて、俺を誘ってるようにしか聞こえねぇ息や声、何とかしてからにしろ」
玄関前の畳の上──要するに『きわどい場所』に転がされ、龍斗は僅かに抗ったが、もう遅いし、説得力とて欠片も無い、と京梧は言い切り、にやりと笑みながら、再び彼の唇を求めた。
途端、お固いことばかりを言いつつも、京梧が揶揄した通り、疾っくに甘く濡れていた龍斗の声や吐息に一層の艶が乗って、故に、京梧の笑みは深まる。
己が腕に丁度良く収まる彼を組み敷いて、唇を奪って息も奪って、肌を暴きながら躰を開かせつつ、益々、笑みだけを深めながら。
……いや、嗤いと例えるのがより相応しい面を拵えながら、彼は、龍斗の耳許で愛を囁いた。
何時の日か、閻魔の前に引き摺り出されても、何も彼もを共にと誓った己が運命
End
後書きに代えて
『小説用お題ったー』さんと言うのがあるのを知り、梧主で試してみた処、『苦しくて息が詰まる・人肌を求めて・キスの合間に濡れた吐息で』と言うお題が出たので、チャレンジしてみた@第二弾。
なので、チャレンジしてみた@第一弾と、テーマと言うかが似通ってしまっているかと思いますが、そこはご愛嬌と言うことで一つ。
捏造未来設定で糖分増し増し、と言う秘かなお題もあったので、糖分! と意気込んでみたんですが、甘くない気がして仕方無い。
──それでは皆様、宜しければご感想など、お待ちしております。