東京魔人學園伝奇+九龍妖魔學園紀 捏造未来編
『羨望』
世間の隙間を抜けて行く風が冷たく感じられるようになってきた、その年の晩秋。
西新宿の片隅──中野区との境界が直ぐそこにある、一言で言えば場末な一角で、その日、蓬莱寺京一と、彼の剣の師匠であり先祖でもある蓬莱寺京梧──対外的には、神夷京士浪と名乗っている彼──の二人は、差し向かいになって、しみじみ、と呑んでいた。
彼等が数時間に亘り席を陣取っている、住宅街の片隅によくある、地元客だけで経営が成り立っているとしか思えない、良く言えば年月を感じさせる、と相成り、悪く言えば汚い、と相成る、本当に小さな炉端焼きの店は、ひっきりしなしにド演歌が流れていて、それは耳にうるさく。
店の壁の至る所に、意味があるのかないのかさっぱり判らぬ文字が書き込まれた小さな赤提灯が下がっていて、それは目に痛く。
雰囲気的には少々、しみじみ、と会話を交わすには向きでなかったが、炭でなく、何処からどう見ても家庭用のそれに毛が生えたガス台で魚が炙られているこちら側にあるカウンター席にも、四、五卓程度のテーブル席にも客の影は殆どなくて、捻り鉢巻をした店の親父も、時折京一達が注文した魚の焼き加減を窺いつつ、タブロイドのスポーツ新聞を読み耽っていたので、他人には余り聞かれたくない話を心置き無く出来る、と言う意味では、大層、向きで。
たまにゃ二人で呑むか、との話になった宵の口頃から、延々、師弟水入らずで酒を浴び続け、主に剣術の話で盛り上がり続けた彼等は今、そろそろガラスコップに注がれた酒を掴む手を止めないと、彼等それぞれの『連れ合い』に大目玉を喰らうくらいまで『大虎』になっていて、でも。
安酒を飲み干すのも、悪態吐きまくりの、喧嘩腰の、言い合いめいた会話を止めることもせずにいた。
「っとによー……。こ……んの、馬鹿シショー……」
「てめぇな。さっきっから何遍言わせんだ、ああっ!? 師匠に対する口の利き方くらい、いい加減覚えやがれっつってんだろうが、この馬鹿弟子っ」
「るっせーな! まともな口利いて欲しいんなら、ちったぁ師匠らしいことの一つもしてみやがれ、この碌でなしっ」
「俺が碌でなしなら、てめぇは能無しだろうがっ」
「能無し……? 今、能無しって言いやがったな? ──上等だ、表に出やがれ、耄碌ジジイっ!」
「応っ。何時でも受けて立ってやらあ、青二才っ!」
……故に。
その日一発目のやり合いから数えたら、最早、何度目になるかも判らない毎度の口論を、二人は又もや繰り返したが。
「………………これ、呑んだらな」
「……そうだな。勿体ねえしな」
それまでもそうだったように、コップに残った酒に、二人同時に視線を落として、名残りを惜しみ、貧乏性を発揮し、浮かせ掛けた腰を再び落ち着かせることで、何度目かのやり合いの始まりを何とか阻止して、
「…………なー、シショー……?」
今夜の呑み比べも又負けそうだ、本当に負けちまったら、呑み比べも全敗記録の更新だ……、と思いながら、コップを掴み直しつつ、京一は、上目遣いで師を見た。
「あん? 何だ、馬鹿弟子」
「馬鹿は余計だっての。……あの、よ」
「……だから、何だ?」
かなり酔っ払っているのがありありと判る、とろん……、とした半眼で己を見詰めてくる弟子を、未だ弟子よりは酔っていない京梧は、斜に構えた感じで見返す。
「一遍さ、訊いてみたかったんだよ。……怒らねえ?」
「んなこたぁ、言ってみなけりゃ判らねぇだろうが、唐変木」
「…………前に、あんた、ちょろっと言ってたことあったろう? 『あの時代』から『この時代』に来て。それは、自分の望んだことじゃなかったけど、一つだけ、龍斗サンとのこと以外で、良かったと思えたことがある、って。…………それって、何なんだ? って、気になっててさ……」
「……? 何で、そんなこと気にしたんだ?」
「だから…………。──あんたは、『侍』だったんだろう? そんなあんたにしてみりゃ、この時代なんて生き辛いことばっかの筈だって、俺には思える。自分の意思に関係なくこの時代に来ちまったこととか、龍斗サンとの諸々のこととか、そーゆーの抜きにしての話だけど、少なくとも、侍って部分に関しちゃ、『あの時代』の方が、あんたにゃ生き易かったんじゃないのか、って……。ちょっぴりだけ……、そーゆートコだけは、羨ましいかも、なんて思ったこともあってさ。あんたにゃ悪りぃけど。なのに、喜べることって、何だったんだろうなー、なーんて……。……ああ、別にさ、例えば、斬り捨て御免、みたいなことが羨ましいっつってんじゃなくてよ……」
「……………………成程」
──睨み付けるように己を見据える、馬鹿弟子の疑問に耳傾ければ。
素面だったら──否、ほんの少しでも『理性』が残っていたなら、絶対に、馬鹿弟子は問う筈の無いことを問われて、京梧は、「良くも悪くもこの馬鹿弟子は、剣の申し子なのかも知れない」、そんなことを思いつつ腕を組み、徐に口を開いた。
「……廃刀令のことだ」
「…………あ?」
「だから。お前が聞きたがった、この時代に放り出された俺が、唯一、良かったと思えたことだ」
「それが、ハイトーレー? ハイトーレーって?」
「……てめぇ、学校ってとこで、何を学んでやがった? ったく……。──明治九年の春、時の政府が発布したご定法だ。士族──武士であろうとも、帯刀することを禁ず、ってな。……簡単に言っちまえば、武士の魂を、武士自ら捨てろ、ってな、お上からの命令だな」
「それが……廃刀令?」
「ああ」
「へ、ぇ…………」
コップ酒から手を離し、腕を組んだまま、淡々と師が告げたことに、京一は、判ったような、判らないような、曖昧な返答をした。
「……全てを懸けたモノを。全てを懸けた道を。その為の『魂』を。自ら捨てろ……、なんてな、そんなこた、俺にゃ出来ねぇからな。……だから、それだけは良かったと思ってる。時代の流れって奴に否応なく飲まれて、抗えど、何れは、到底従えねぇことに、それでも従わなきゃならねぇって『時代の瞬間』に立ち合わずに済んだ、それだけは良かったと。今でも、そう思う」
「そっか……」
「ああ。……本当に、本当に、心底腹立たしいことに。馬鹿弟子、俺はてめぇと同じで、剣だけが全てだ。この歳になった今でも、俺は、天下無双の剣が欲しい。天下無双の剣の頂に辿り着きたい。てめぇなんぞじゃ、生まれ変わったって到底辿り着けねぇような場所に、だ。……捨てるなんざ、有り得ねぇ。自ら『これ』を手放すなんざ。……有り得ない。例え、時代に求められても。従わざるを得なくとも。……今の世は、その、あの時代の俺にしてみりゃ糞喰らえな廃刀令が、当たり前以前の世だが。時代がこうなる刹那を見ずに済んだ、と思えるのは。己の想いに関わりなく刻を駆けちまった俺は、今の時代の理に従う必要は無い、そう言い訳出来るのは。幸せなことなんだと思うぜ? 侍としての俺、はな」
その、曖昧な返事を遠く聞きながら。
京一同様、欠片でも『理性』があったなら、馬鹿弟子相手には決して白状せぬことを、京梧はつらつらと語った。
「……………………なー、シショー……」
そんな彼を、暫しの間、じっと見詰め、コップを掴んだまま、どむ、と音立てて京一は薄いテーブルに沈む。
「……どうした、酔っ払い」
「酔っ払いはてめぇもだろ。……シショー、怒るなよー……? 俺、やっぱり、あんたがちょっぴりだけ、羨ましいかも知んねー……」
「俺は、てめぇの方が羨ましいがな」
「あー、何でだー?」
「何でもねぇよ、酔っ払いの馬鹿弟子。──おら、いい加減帰るぞ。ぜってぇ、龍斗と龍麻が、二人揃って鬼みてぇな顔して待ってる」
「鬼…………? ……あ、そーかも……」
うー、とか、あー、とか、情けない声を出しながらテーブルに懐き始めた馬鹿弟子をいなし、力の抜けた肩を引っ掴みつつ、京梧は席を立った。
「シショー」
「あん?」
「俺等、もしかして、雁首揃えて説教……?」
「…………多分な……」
「右から左から、小言の嵐……?」
「………………………………帰りたくねぇ……」
何とか彼んとか会計を済ませ、夜半の道を、互いが互いを支えるように千鳥足で行きながら、小言の山を垂れてやろうと、確実に自分達を待ち構えているだろう『鬼達』を思い、二人はゾッと身を震わせつつ『健気』に歩き、
「『これ』がこの手に在るってことと、『これ』がこの手から消えるかもってこと。そんな風に思わされたことなかった…………」
先程の京梧の話を不意に思い出したらしい京一は、握り締めた得物入りの竹刀袋をじっと見下ろし、ぽつり、呟いた。
そうして、酷く羨ましそうに、彼は京梧を盗み見たので。
「……てめぇは、『これ』がこの手に在るってのが『異常』な時代でも、『これ』を全てに出来てやがるだろ」
京梧も又、握り締めた得物入りの刀袋を静かに見下ろし、馬鹿弟子を羨ましいと思う理由、それを遠回しに囁いた。
────これでもか! なくらい酒の匂いを漂わせ、べろんべろんに酔っ払って帰宅した彼等を出迎えた、龍斗と龍麻と言う名の『鬼達』に揃って盛大な説教を喰らい、明け方、漸く小言の山から解放された剣術馬鹿師弟コンビは。
迎えた翌朝。
散々呑み倒した所為で、夕べのことは何一つ、交わした会話さえ憶えていない、と。
そんな振りをした。
End
後書きに代えて
駄目コンビ(笑)な師弟のお話。
……いや、その。現代に飛ばされた後、京梧は多分、廃刀令のことも知らされた筈で、だとしたら、それをどう思ったのだろうなあ、と。
んで以て、京一は京梧の感じたことを、どう思ったのかなあ、と。
…………まあ、そんなこんな?(おい)
──尚、この話ではかなりへべれけな師弟コンビが『鬼達』に喰らった説教は、凄まじかったと思います(笑)。
──それでは皆様、宜しければご感想など、お待ちしております。