東京魔人學園伝奇+九龍妖魔學園紀 捏造未来編

『都会の狭間の空の下』

一説に、猫と言う生き物は、己に出せる限界以上の速度を無条件で怖がると言う。

それと全く同じ理屈で、彼──緋勇龍斗は、車と言う乗り物を不得手としている。

生まれ育った幕末時から、唯ひたすら愛の為、愛しい愛しいひとの為、時代や刻を越えて二十一世紀にやって来たばかりの頃は、現代社会の全てが物珍しく、何も彼もを体験してみたくて仕方無く、又、度肝を抜かれる方が先だったので、あれは怖いとか、これは不得手だとか、感じる余裕も覚えるゆとりもなかったが、刻すら越えて寄り添った愛しいひとと念願の日々を送り始めて暫し。

一から十まで、龍斗の理解及ばぬものばかりが溢れる現代社会に多少だけ慣れ始めた頃、彼は漸く、車が怖い、と自覚した。

なら電車は平気なのか、と問われれば、答えは「否」なのだが、車窓を流れる風景から容易に目を逸らせる分、未だ、車よりも電車の方が、彼の心にも体にも優しく────でも。

幕末当時から人混みが苦手だった彼には、そういう意味で、電車と言う乗り物も、余り有り難くない代物だった。

しかしながら、この現代社会で暮らす以上、何らかの形で何らかの交通機関の世話になる機会は少なくないので、嫌でも、車よりは多少ましな電車に乗り込まざるを得ない時はあり。

──その日。

龍斗は、現代にやって来てから二、三度、ほんの数駅分だけ世話になった、その二、三度の体験で既に辟易させられた電車に、再び挑まなければならない羽目になった。

先日来より、彼の愛しい男──蓬莱寺京梧が始めた仕事に、手伝いと言う名目で付いて行くことになったから。

龍斗と京梧の現在の住まいは、東京都新宿区西新宿のマンスリーマンション。

向かう先は、葛飾区某所の私立・拳武館高等学校。

幾ら、彼等二人共に、本来は江戸末期から明治初期に掛けてを生きた筈の者達とは言え、歩いて向かうには難儀な距離だ。

仕事が絡んでいる故に、昔のように旅気分と洒落込む訳にもいかないし、やはり昔のように、江戸の至る所を流れていた川を行き来する猪牙舟もない。

…………だから、渋々。

只でさえ、家を一歩出た瞬間から道に迷う、彼の激しい迷子癖を気遣わざるを得ない京梧に、何時も以上に気遣って貰いつつ、龍斗は、世界一の乗降人員を誇る新宿駅から、半ば決死の覚悟で電車に乗り込んだ。

────二、三度ばかりの僅かな経験が物語った通り、新宿駅は、行き交う人々が波のようにうねっており、彼の苦手な人混みそのものだった。

ラッシュアワー程ではなかったが、乗り込んだ電車の車両も、それなりに混み合っていた。

空席は見当たらず、京梧に促されるまま車両と車両の連結部近くに居場所を得て、どうしたって馴染めない『速さ』を思い知らされる車窓から顔を背けて俯き、瞼をも閉ざした龍斗は、小さく、溜息のような息を吐いた。

「大丈夫か?」

「ああ。具合がどうこう、と言う訳ではないから」

「そう言う割にゃ、顔が強張ってるように見えるがな」

生活習慣も身体そのものも、健康の見本のような龍斗なので、この程度で彼の体調が崩れたりせぬのは京梧も承知しているけれども、顔色も表情も、まるで乗り物酔いをしている者の如くで、彼はこっそり渋面になる。

「それは致し方ない。不得手なのだから。だが、少しずつでも慣れないと、この先が思い遣られるから何とかする」

しかし龍斗は、これも、この時代で日々を過ごす為には避けて通れぬ試練だと、至極真面目腐った顔で、京梧の不安を退けた。

だが、乗り込んだその電車が、一駅、二駅、三駅と、進んでは停まり、人を吐き出しては吸い込んでを繰り返している内に、龍斗は段々と、本当に気分が悪くなり始めた。

徐々に押し合い圧し合いになってきた車両の混み具合が、乗り合わせた他人の存在そのものが、どうにも嫌だった。

人の多さに息苦しさを感じた。

彼にとっては雑音にしか聞こえぬ何やらを語っている見ず知らずの他人に押される度、初秋とは言え未だ未だ残暑厳しい季節柄、薄着をしている乗客達の肌が触れる度、何故だか、何か得体の知れぬモノに浸食されているような心地にさえなった。

…………京梧に告げた自身の言葉通り、慣れなければならないと判ってはいる。

今はもう、懐かしいあの頃──江戸の頃ではない。

どのように変わったのか想像も付かぬ時代へ行くのだと、その道を選んでも悔いは無いと、そう思い定めたのは己で、京梧と寄り添い生きる為になら、如何なることでも受け止める覚悟はある。

けれど、懐かしいあの頃とは百数十年以上も刻を隔てた、魂の質さえ違うように感じる人々も少なくない、様々なものが溢れ過ぎているのに、遠い昔にはあった『何か』の数多が消えてしまった現代いまと言う時代は、龍斗には少し手強かった。

現代いまならではの習慣や風俗や『当たり前』の部分に、こんなにも躓きを覚えること自体が、少々予想外だった、と言うのもあって。

愛しいひとの為だけに刻をも越えてみせた、人並み以上の根性と根気を、彼は持っているけれど。

他人の何倍も、肝も座っているけれど。

生まれ持ってしまった、例えるならシャーマンのような質の所為で、自然や、超自然の中に生きるモノ達の方が、人よりも遥かに近しい龍斗にとって、今と言う時代は、その意味で余り優しくなく、本音の部分では、やはり慣れ難かった。

ともすれば、現代いまを生きている他人ひと達そのものが、恐怖や脅威の対象に成り得る程に。

江戸の頃とて、その手の恐怖や脅威を抱かせる者達はいたが……────

────故に。

その電車が目的の駅に近付くに連れ、少しずつ、龍斗は俯きを深くしていった。

そんな彼の様を、チロリ……、と横目で眺め、京梧は無言のまま、家を出る際から掴み続けていた龍斗の左手首を、しっかりと掴み直し、一、二分後、折好く停車した駅で、彼を引き摺るようにしながら電車を降りた。

新宿駅から拳武館高校の最寄り駅へ行くには、彼等が今の今まで乗っていた路線だけでなく、もう二路線程乗り継いで行かなくてはならず、その為の乗り換え駅すら、未だ三駅程先なのに。

「京梧? 降りて良いのか?」

そこが、何と言う駅名なのか龍斗には判らなかったが、幾ら何でも降りるには早過ぎる気がして、彼は小首を傾げたけれども、京梧は黙りを決め込んだまま、辺りに目を走らせつつホームを抜け、改札も抜け、勘だけを頼りにしている風に往来を行き、駅近くの、ビルとビルの隙間のような、路地のような、『都会の狭間』に潜り込んだ。

「……京梧?」

人目に付かぬことだけは確かな、裏寂れたそこに押し込められて、龍斗は怪訝そうになる。

「流石に、お前好みの所が都合良く見付かるとは思えなかったからな。ここで勘弁しろ」

と、京梧は、戸惑う彼の手首を又もや引き、己の胸に寄り掛からせた体を緩く抱いて、ポンポンと、幾度か背を叩いた。

「京──

──未だ、しんどいか? ……そりゃ、その内にゃあ慣れなきゃならねぇだろうし、慣れて貰わなけりゃ困るが、無理を押してまで耐えるな。……で? どうなんだ? しんどいのか、しんどくないのか。どっちだ?」

「…………少し、だけ。だから……」

そうされてやっと、随分と早く電車を降りたのも、こんな所に忍んだのも、京梧がこちらの具合を見抜いていたからだと気付いた龍斗は、念の為、きょろきょろと辺りに気を配ってから、もそもそと蠢かした両腕を、着物しか身に着けない京梧の両の袂に突っ込んで、彼の素肌を弄った。

「……ひーちゃん。誘ってやがるのか?」

「何をだ。昼日中の往来で、何を誘うと言うのだ、お前は」

こそばゆいまでに背なで蠢く龍斗の指先や掌に、京梧は僅か目を見開き、馬鹿なことを口にしたが、龍斗は、上目遣いの一睨みで彼を黙らせて。

でも。

きゅっと、彼の背なに忍ばせた腕に力を籠めつつ、胸許に頬を寄せた。

……龍斗自身、我ながら見ず知らずの他人に不躾なことを、と思いはすれども、どうにも電車の中で触れ合った他人の肌が嫌で、恐怖や脅威の対象にすら成り得る者達の多さに息も詰まって、その反動なのか、己の調子をきちんと測ってくれていた京梧の素肌が恋しくなって、彼そのものも恋しくなって、遠い昔、懐かしいあの頃、出逢った刹那に「私の運命さだめ」と悟れた彼の、肌にも躰にも氣にも、今直ぐ触れたい、触れ合いたい、と思い求めた故に。

「こうしていると、気分が良くなるから。それだけだ」

「成程。気分が、な」

「ああ。……それだけ」

「ひーちゃん。……龍斗。やっぱりお前、俺を誘ってるだろう」

──こうしていると、心地が良いから。

それだけだ……、と言いながら頬寄せてきた龍斗を見下ろして、やれやれ……、と京梧は苦笑を浮かべ、袖口から潜り込んだ彼の両腕を引き抜くと、口角だけを持ち上げる笑みを浮かべつつ龍斗を抱き直し、

「誘ってなど──

色気の無い科白を吐き掛けた彼の唇を、己のそれで半ば強引に塞いだ。

人目に付かぬだけで、ビルとビルの隙間のような、路地のような、野天の都会の狭間で交わされた接吻くちづけは、その場にそぐわぬ深さで、長くもあり、角度を変えながら繰り返されるそれの合間に洩れた二人の吐息は、既に濡れていた。

始めの内は、抗う風に京梧の背を叩いていた龍斗の両手も、やがては彼の首筋に絡み。

「…………このような場所で、このようなこと……」

「もっと、気分が良くなったろう?」

長く深かった接吻が、それでも費えた直後、弱々しく睨んできた龍斗を、京梧は忍び笑う。

「それは、その。だが、今のあれそのものが、と言うのではなくて、氣を分けて貰ったようなことだからと言うか、その……」

「……いっちょまえに、言い訳なんざ覚えやがって。…………ま、今は、そういうことにしといてやるよ。──さ、行くぞ。急がねぇと鳴滝の奴に文句言われちまう」

「ああ、そうだな。そう言えば、そうだった。なら、京梧。早く駅に戻って──

──いや。このまま、散歩がてら歩いて行かねぇか? ひーちゃん?」

「え? だが、それでは」

「気にすんなって。ここからなら、一里と三十町も行けば浅草寺に出る。あの辺りまで鳴滝を呼び付けりゃいい。……な? その方がいいだろう?」

「それは……、確かに私としては、その方が有り難いけれども……」

「なら、行こうぜ」

そうして彼は、仕事上は己の雇用主に当たる者の迷惑も顧みず、こっちばかりが何時も何時も、葛飾まで出向いてやる謂れはない、と嘯いて、龍斗の左手首を引っ掴んだ。

「すまない。有り難う、京梧」

本当に若干だけ、果たしてそんな理屈を通してしまっていいのだろうか、と感じはしたものの、己を思って京梧が言い出してくれたのだろう、散歩がてらの道行きの誘いに龍斗はあっさり乗っかり、電車の中でのそれとは全く別の意味で──即ち、喜びや幸福に高鳴る胸が齎す息苦しさを微かに感じながら、残暑の日差し厳しいこの時代の東京の空の下を、京梧と肩を並べて歩き出した。

End

後書きに代えて

『小説用お題ったー』さんと言うのがあるのを知り、梧主で試してみた処、『苦しくて息が詰まる・人肌を求めて・キスの合間に濡れた吐息で』と言うお題が出たので、チャレンジしてみた@第一弾。

捏造未来設定で糖分増し増し、と言う秘かなお題もあったので、糖分! と意気込んでみたんですが、甘くない気がして仕方無い。

──それでは皆様、宜しければご感想など、お待ちしております。