4.賭の結果 act.1

「………何が言いたい……?」

好きにしろ、と云いながらも、そうする事が、決してお前の為にはならぬ、と言外に云ったシュウに。

その時ルカは、眼差しをきつめた。

「アップル達が、助勢を求めようとした矢先に、私がラダトから…いいや、この世から姿を消したら。その影に、ハイランドの姿を見るのは容易だろう。余りにも、タイミングが良過ぎる。彼等は、唯でさえ、追い詰められている。ひょっとしたら、私の助勢が、彼等には起死回生の一手かも知れない。それが、ハイランドによって絶たれたら。追い詰められた鼠が、思い掛けぬ牙を剥く事も、有り得るだろう…と…」

「…鼠は所詮、鼠でしかない。捻り潰せばいいだけだ。貴様、俺が、高が鼠如きに、容易く噛まれるとでも、言いたいのかっっ?」

「…………貴方、ではない。彼等の拠点が何処なのか、私には未だ判らぬ事だが。ここに貴方がいて、こんな事に時間を割いている以上、現状で、彼等を追い詰めているのは、貴方の臣下の筈。……ルカ・ブライト。ハイランドの狂皇子。鬼神の様な貴方は、『今』は負けぬかも知れぬが、貴方の臣下がどうなのか…は、私は知らぬ」

──少しずつ。

わざと、相手の神経を逆撫でる様に、シュウは、ルカに対する言葉遣いを変えながら、話を続けた。

「……連中が、お前に加勢を求める事以外、道がないと判っていて、それでもお前は、決して助勢せぬ……と、そう云うのか?」

シュウの思惑通り。

ルカは、明らかに苛立ちを見せつつ、だが、未だ何処か冷静に、話を続けて来た。

「加担など、私はしない。つい先程、そう誓ったのをお忘れか? 彼等に加担する気が、僅かでもあるのなら、貴方に取り入る方法を探すのが、賢いやり方の筈。…まあ、私を信じるか否かは、貴方次第だが。万が一、私がこの誓いを破る事があったら、その時にはそれこそ、貴方の好きな様になさるがいい」

──もう一押し……いや…存外……。

胸の中で、そう計算しながら、更にシュウも言葉を続けた。

外出着に着替える時に、そっと懐に忍ばせた短刀に、さりげなく、手を伸ばしながら。

──長いやり取りを交わす内に。

鞘にこそ収められないものの、剣の先は、ふらふら、宙を彷徨い出している。

あれが僅かでも下げられて、相手が、少しでも自分に近付いて来たらこっちのものだ。

己の主の強さを知り尽くしているのか、高が商人、と侮ったのか、間抜けなハイランドの間者は、引き立てて来た人間が、武器を帯びているのか、確かめようともしなかった。

護身術程度の武道しか、戦う術は身につけていないから、まともにやり合えば、あの剣の露と消えるのは目に見えている。

自分よりも、遥かに武に長けている狂皇子を目の前して、確実に逃げる方法は、真っ直ぐ、全力で逃げる、それしかない。

『勇気ある撤退』などと云うレベルのものでなく、『逃げる』のだ。脱兎の如く。

だが、素直に見逃す程、生易しい相手でもない。

しかもここは、ハイランドの陣の中。

ならば不意を付く事で、活路は見出すのがいいのだろう。

ハイランドに取り込まれる事も、アップル達に味方するのも、御免被りたいのだから。

……それに。

所詮、自分がここから生きて戻れるか否かも…盤上のゲームと、同じ事だ。

「もう、ご用がお済みでいらっしゃるのなら。私は、辞さして戴きたいと存じますが。ルカ様?」

…つらつらと。

自分がここから逃げ果せる為の道を考えながら、シュウは、言葉遣いを戻して云った。

「随分と……良く回る口を、お前は持っているな」

ルカは。

間者に押さえ込まれた時に乱れた黒髪を掻き上げつつ立ち上がった彼に、近付きながら、とうとう、抜いた剣を鞘に収めた。

フン……と、シュウは北叟笑んだ。

この男がどれだけ自分の強さに自信があるのかは知らぬが、力を過信し過ぎている人間など、所詮はこんなものだ…と。

「口が達者でなければ、とてもとても。交易商など、営んではおられませぬよ」

そして彼は。

手の届く位置にまで近付いて来たルカが、ぴくりと眉を吊り上げたのを合図に、忍ばせていた短剣を引き抜いて、その喉元に、突きつけた。

「面白いな。交易商人と云うのは、騙し討ちの真似事すらするのか」

しかし、ルカは。

冷たい刃物が、急所に押し付けられたにも拘らず、肩を揺する程激しく、笑った。

邪悪、と云う例えが相応しい程、聞く者を怖気立たせる様な声で。

「確かに貴様は、知恵の巡りが、他の豚共よりは、格段に早いのかも知れん。だがな。貴様の小賢しい画策とやらに見切られる程度の力しか、俺が持っていないとでも思ったか?」

笑いながら、皇子はそう言い。

あっさりと、シュウの手から短刀を奪った。

…決して。

シュウは単なるはったりで、それを構えていた訳では無かった。

己の生命が懸かっているのだ、ルカが非常事態に出れば、シュウは躊躇う事なく、相手の喉元を切り裂くつもりでいたし、彼に出来る立ち回りは、護身術程度とは言え、この戦乱の世の中で、困らない程度のものではあったのに。

突きつけられた短刀に喉元を抉るよりも早く、ルカは動いたのだ。

「俺を見くびるのも、大概にするんだな」

彼は、そう吐き。

生意気な事をしてみせた、若い交易商人の喉輪を思い切り掴み上げて、床の敷物の上に叩き捨てた。

「存外、楽しめる男かと思ったが。結局、お前も他の豚共の同類か。その程度の力しか持ち得ぬ癖に、俺が倒せるとでも思ったのか? そうまでして、生き残る道を探すか? シュウとやら」

「進んで死にたい…と思う程、悟りの境地には達していないな、少なくとも」

床に叩きつけられた衝撃で、ゼイ…と息をしながらも。

シュウは未だ、軽口をたたいた。

「…そうだろうなあ。どいつもこいつも、生命は惜しいらしい。生き抜く力もない癖に。──ならば、どうだ? 自ら進んで死にたい、と、思ってみるのも、貴様には相応しいかも知れんぞ?」

伏した床から、何とか身を起こそうとしたシュウを、ルカは侮蔑の眼差しで見下ろして。

素早く馬乗りになると、一まとめに出来るほど細い両の手首を掴んで、取り上げたシュウ自身の短刀で、重ねた掌を一気に貫き、地面へと縫い留めた。

頭上に持ち上げられた両手の平を、刃物で抉られた衝撃で、一瞬、シュウの意識は遠くなる。

だが、気丈にも彼は、呻き声一つ洩らす事なく、苦痛に耐えた。

「首を飛ばすのは簡単だがな。俺に刃を突きつけた罪は、きちんと償って貰おう。…生きて、な。唯、殺すだけでは飽き足らん。たまには、生き地獄、と云う趣向も、楽しいだろうさ」

傷口から溢れ出した血の所為で、見る見る内に、顔色を蒼白に変えながらも、見下ろしてくるルカを、唯、何も云わずにシュウは見遣った。

睨み返す事もなく。

奥歯を噛み締めながら、静かに苦痛に耐えて。

けれど全身からは、嫌な汗が滲み出ていた。

「そう言えば、お前の口からは未だ、命乞いだけは語られていないな。何故、お前はそれを口にしない?」

シュウの体の上で、ゆっくり、これ見よがしに白い甲冑を脱ぎ捨てつつ、ルカは云った。

「…さあ……。死にたくない……と云う思い…と…命乞いをする…と云うのは…又…別次元…の、話…だ…」

「これから自分が何をされるのか、お前の事だ、予想も付いているだろう。なのに、泣き叫ぶ事すら、しないのか?」

「………私を好きにしたいのなら…そうすればいい……。泣き叫ぶ道理など、何処にある…?」

「愚民の強がりなど、聞き飽きた」

標本の様に、地面に縫い留められ。

苦痛に耐えながらも、決して、懇願をしないシュウに、そうルカは言い。

下半身の衣服だけを剥いで、乱暴に、脚を押し広げた。