32.決戦 act.6

数刻前。

日が暮れる頃。

探偵に見張られ、子猫だけを付き添いに、自ら大木へと掲げた木彫りのお守りを、ルカが静かに手に取るだろうと。

一足早く仲間達より離れ、丘上の茂みへと潜ませた伏兵達の元へとやって来ていたシュウは、大樹辺りで、何かが蠢く気配を感じながら、考えていた。

あの場所で蠢く何かは、恐らくルカ・ブライトその人なのだろうけれど。

細やかな灯りしかない中、輪郭さえも朧げで、唯、何かがいる、としか判らないその茂みからは、真実を確かめる術などなかったから。

想像だけを、シュウは巡らし。

だが、その想像と現実が差異を生じる筈などないと、確信していた。

──もしも、もしもあの男が。

己の『同類』であって。

己への執着を、未だ持ち得ていると云うなら。

あの『お終いの日』、小さな虫を殺す事になど益はない、と云った台詞も、あの丘上で繰り広げられた一方的な情事の最中、何時も螢が舞っていた事も、きっと、忘れてはいないから。

そしてそれを忘れていないと云うなら……、あの男には恐らく。

──そう。

そんな『確信』が、シュウにはあった。

だから、茂みの向こう、大樹の根元で蠢く『気配』が、何を呟いているのかも知らず、シュウは唯、その時を待ち。

ポ…………と。

仄かな光が、闇の中に灯ったのを見定め。

「あれを打て」

冷酷に、彼は宣言する。

大敵を打ち取れる興奮を現すでもなく、確かに『人』を殺す事に対する、躊躇いもなく。

それが、為す事の全て、と云う風でもなく。

静寂に滲みて行く確かな声音で告げられたシュウの命令に従い、兵達が構えた弓より、矢が放たれた。

途端上がる、呻きの様な、声。

ルカ・ブライトの。

──それを聞き届け。

潜んでいた茂みから、彼は立ち上がった。

「忘れていた……。そうだな。久しく逢わぬ内に、忘れていた。お前は、俺の、同類、だったな……」

風に乗って届いた呟きに面を上げ歩き出せば、折れそうな膝を何とか奮い立たせ、己を見詰める瞳にぶつかった。

終わりを宣告するビクトールの声にも、フリックの声にも、自分を庇い死んで逝く兵士達にも意識を傾けず。

じっと見詰めて来る瞳、に。

「……俺の…邪魔をするなっ! クズ共がっ……」

そんな彼が。

ルカ・ブライトが。

ようよう己から視線を逸らし、眼前の敵へと向き直り、木彫りのお守りを打ち捨て、剣を構え直すのを。

シュウは、表情一つ変えず、見遣った。

これ以上続けてみた処で、もう、誰の目にも明らかな勝敗の結果は、決して覆りはしないだろうに。

諦めると云う言葉を知らぬのか、それとも、自身の死を、『本当の部分』では欠片も信じていないのか、戦う事を止めようとはしないルカを。

軽く、溜息を吐き出す様な素振りを見せて、その挑みを受けた盟主が構えたトンファーと、ルカの剣が擦れ合うのを。

シュウは、唯。

──世界が。

スローモーションの様に、ゆっくりと流れた。

ルカと盟主の少年が、幾度か撃ち合う様も。

だが、全ての者が思い描いた様に、大地へと、ルカが崩れ落ちる姿も。

何も彼もが、ゆっ……くりと。

シュウの瞳の中で、流れた。

時の概念が、狂ってしまったかの様に。

己の顔色一つ変わらないのに、感情に、揺らぎ一つないのに。

唯、果たすべき義務を果しているだけなのに。

何故なのだろう……と。

そんな事を考え続けるシュウの瞳の中で。

世界が動く速さは、又鈍くなり。

音さえも消え。

……否、音も動きも消えた世界の中で。

「遂に剣も折れ…。それを振るう力も尽きた、か……」

唯、ルカの呟きだけが、やけに鮮明に聞き取れた。

一度は伏した大地から、よろけつつ彼が立ち上がる姿は、未だ、別世界の鈍さを伴うのに。

「平和も、平穏も、絵空事だ。俺を倒そうと、誰を討ち滅ぼそうと、唯、恨みの声が木霊する荒野が残るだけだ。又、戦いは始まる。なのに何故。何を求めて、戦う……?」

見下ろした盟主に問い掛けるルカの声だけは、嫌になる程鮮明で。

ゴボリ……と。

潰されたのだろう臓物が吐き出させた血は、夜の闇に鮮やか過ぎて。

「……はは………。ははは……。ふははははははは……」

突然沸き上がった笑い声も。

「素晴らしい……。素晴らしい事だ……。この身を駆ける疼きが……皮膚を焦がす渇きが、癒える事があるとはな……」

心底の『喜び』も露な叫びも。

「………俺は、な」

──振り返り、視線を捕まえた彼の瞳も。

「俺は、俺が思うがまま……俺が望むがまま、邪悪であった」

今際の際の、言葉も。

何も彼もが。

見えるもの、聞こえるもの、見詰め合った瞳、血に塗れた体、その全てが。

胸に痛い、とシュウは思った。

ハイランド王国の狂皇子と名高かった、ルカ・ブライトが。

激しい音を立てて、大地へと崩れ。

その命を途切れさせた刹那も。

シュウの見遣る世界は、鈍いまま、正しい速さを、取り戻さなかった。