44.brightring-firefry

もう、ほんの僅かしか残っていなかった、ハイランド、と云う国を守っていた、最後の将達を退け。

ブライト王家へ、神聖国ハルモニアが贈った真なる27の紋章の一つ、『獣の紋章』の化身を倒し、ハイランドの皇都、ルルノイエを落とし。

後に、デュナン統一戦争、と呼ばれる事になるその戦いに、同盟軍は勝利を以て、幕を閉じた。

その後。

ルルノイエ王宮が落ちる際、姿を消した、ハイランド最後の皇王、ジョウイ・アドレイド。

ジョウイと幼馴染みであり、親友であった、同盟軍の盟主。

この二人は、片や、滅びるのみの、ハイランドを捨て。

片や、デュナンの地に新しく建つ国の国王に、との、シュウや、その他の者達の嘆願を退け。

それぞれが、この戦いに身を投じる以前、再会を約束した崖の上にて邂逅を果し。

その場に姿見せたシュウに、ナナミの生存を知らされ、手に手を取って、普通の少年達に戻り……生まれ故郷であるキャロの街へと戻って行った。

紋章と星に導かれ、デュナンの大地に集った仲間達は、それぞれが、それぞれに相応しい道を選び取り。

旅立つ者、何も云わずに消えた者、元の生活へと戻った者、デュナンで生きて行く事を決めた者、と……皆、散り散りになった。

この少年ならば、と、崇めた盟主に、国王の座を袖にされたシュウは、かつての様な、静かな生活を取り戻したい、と思いながらも、湖の畔に建つ古城にて、デュナンを統一する新たなる国の宰相として、日々を送っている。

クラウスを始めとする、いい加減、顔見知り処の騒ぎではなくなった、あの戦争中も仲間だった一握りの者達と、新しく、この国の中枢を担う為に集まった者達と共に。

相変わらず、彼だけに懐いて、彼の膝の上を占領する、あの猫も、一緒だ。

こんな時間も、悪くはないのだろうな……と思いながら。

デュナン湖の湖面を、見詰めつつ。

彼は、今日も、日々を。

──あの戦争が終わって。

又、季節が巡り。

もう、久しく戻っていない、水門の街、ラダトでも。

ここ、デュナン湖の畔でも。

夜になれば螢が、姿を見せる様になった。

夏が、やって来たのだ。

その身を、懸命に輝かせて飛ぶ、小さな昆虫達の季節、が。

「あれが逝って……もう、一年、か……」

…その日、シュウは。

執務机の上の、暦をふと見遣って。

今日が、ルカ・ブライトが死んだ日より数えて、丁度、一年目に当たる事に気付いた。

──狂皇子が死んで、戦争が終わって。

月日は流れ、季節はうつろいだのに。

夏が来て、本当の螢が、夜空を舞う様になったのに。

相変わらず、彼の瞳には、あの日、あの場所で舞った、螢の光しか見えない。

見えるものの全てが、ゆっ……くりと、世界の流れと時を違えて、鈍く動いたあの夜の、あの螢しか見えない。

それでも、歴史は流れて、国は建って、己は生きてゆけるのだから、きっと、何の問題もないのだろう……と、ルカの命日に当たる日の夜、シュウは、自室の窓辺に腰掛け、猫を、抱いていた。

窓の外、その遠くに、微かな螢の光が見える。

あの出来事は、光る螢の輪が見せた、夢だったのかも知れないと、そう思わせる程に儚く、仄かに。

──螢達は、輝いている。

夢なら夢で、構わないから。

一年前の今日、地獄に旅立ってしまった男の幻影でも、見せてくれればいいのにと、そう思う、シュウの願いを裏切って。

螢達は唯、舞っている。

その小さき命は、奪う程の価値もないから。

幻影など、螢達は決して、見せてはくれない。

今でも、あの夜の、光る螢の輪が、シュウの目の中には在るのに。

世界の動きよりも遥かに鈍く、倒れた男の姿があるのに。

brightring-firefry。

現実の世界で光る螢の輪は。

何も、シュウには見せてはくれない。

……ああ、決して。

螢達の光は、彼には何も、見せないだろう。

小さき命の灯す光に、『あれ』の幻影を映し出しても。

彼の瞳はきっと、それを映しはしないから。

一年前のあの夜に、瞬いた螢の光だけが、彼の瞳の中には在るから。

光る螢の輪を。

静かに見詰め続けるシュウの腕の中で。

その時、微かに、猫が鳴いた。

「……どうした? ルカ」

戦争が終わって。

かつての仲間達の大半が姿を消して。

漸く付けた猫の名前を、シュウは呼んだ。

ルカ……と。

優しくその名を呼んでやれば、未だに猫は慣れぬのか、居心地悪そうに、もう一度だけ、鳴いた。

そうしてそれきり、もう鳴く事もせず、膝の上で『ルカ』が、眠ってしまったから。

お前はもう、成猫なのに……と、苦笑を浮かべてシュウは、猫を抱き直し。

又、窓の向こうで光り続ける、螢達へと眼差しをくれる。

もしかしたら、あれは。

光る螢の輪を見る度。

己を思い出して欲しいと、そう願ったかも知れないと。

一年前の光を通して、現実の螢を見遣り、ふと、シュウは思った。

だがそれは、シュウには叶えてやれぬ願いだ。

brightring-firefry。

一年前に見詰めた、光る螢の輪は。

今でも瞳の中に在って。

消え去ろうとはしないから。

彼には、現実に輝く螢の輪を見遣る事が出来ない。

だから。

光る螢の輪を見る度、彼を思い出す事が出来ない。

幻影さえも見えないのに。

思い出す事など、出来ない。

「なあ、ルカ?」

────ふい……と。

窓の向こうで舞っている、螢達から瞳を逸らして。

シュウは、寝ていた猫を、呼びつつ抱き上げた。

「ナァ……」

白河夜船だった『ルカ』は、嫌そうに一声鳴いて、シュウを見上げる。

「光る螢の輪を見遣る度、あれを思い出すのは、無理だから。光る螢の輪を見続ける様に……あれを、思い出し続けるのは、駄目か?」

眠たげに、瞼を閉じた猫に。

楽しそうに、シュウは云って。

両手で持ち上げた『ルカ』を、彼は抱き締めた。

猫に倣って瞼を閉じれば、消え去らない、光る螢の輪が見えた。

その向こうで倒れる、一人の男の姿も。

──brightring-firefry、その輝きの向こうに。

倒れた男の姿は、在り続けた。

私はあれを、愛していたのかも知れない。

瞳を瞬いても消え去らぬ、男の幻影に。

刹那、シュウはそう思った。

けれど。

倒れ続ける男の姿も。光り続ける螢の輪も。

一年前に消えた、今はもうない、光景でしかなくて。

ルカと名付けた猫を抱きながら、シュウは。

柔らかい毛並みに顔を埋め、声も立てず、泣き出した。

End