43.なりたかったもの act.3

「ルカ・ブライト……」

──今はもう、地獄の住人だろう男の名前を、シュウが吐き出した途端。

仲間達は一様に、戸惑いを見せたが。

それにすら、シュウは気付かず。

「あの男は……確かに狂っていたのかも知れないが……。あれとて別に、狂いたくて狂った訳じゃない。何かを恨んで、憎んで、ああしていなければ、本当に狂ってしまいそうだったから、ああしていただけなんだろう……。だから私は……あれが、羨ましかった……」

「羨ましい? あの狂人が?」

「あれと私は、同類だったからな……。自分が嫌いで仕方ない、と云う括りでの、同類だった。叫ぶ事、憎む事、恨む事……それらを捨て去る事で私は、知と云う武器を振り翳して、淡々と人を殺せる自分との折り合いを、何とか付けて来たが……あれは、正反対だった。何かを憎んで、恨み、叫んで、強さだけを求めて、生きていた。羨ましかった。例えそれが悪鬼の所業でも、ああして生きていられる彼が。何時しか、叫んでみたくても、その方法さえ忘れてしまっていた私には、羨ましくて、堪らなかった……。レオン・シルバーバーグではなくて。本当は私は、あれの様になりたかったのかも知れないと、そんな風にさえ思えた。だから………………私はあれを、振り払えなかったのかも知れない……。私があれに求めていたものも、あれが私に求めていたものも……所詮は下らぬ事で。私達がああしている時間は、単なる、傷の舐め合いでしかなかったのにな……」

「シュウ……。あんた、まさか……」

狂皇子、と云われた男に。

羨ましい、と云う感情を寄せたシュウを、仲間達は、やけに複雑な顔をして、凝視する。

「まさか? 何だ?」

「まさかとは思うが……あんた……ルカ・ブライトの事を……?」

「特別に思っていたのか、と問いたいなら、答えは否、だ。私は唯、あれが少しばかり、羨ましかっただけだ。あれを追い詰める事に、何の躊躇いもなかったし……現実問題、あれに組み敷かれた後は、吐き気を覚えて仕方なかった。私の躰の問題など、些末な事でしかないと心では思いながら、体は正直だった、と云う証明なのかも知れんがな。なのに……………──

「おい……………。シュウ……」

──今はもういない、ルカ・ブライト、と云う名を持っていた。

一人の狂人の事を、遠い目をして語る、シュウの瞳からは。

人々の凝視を受けていると云うのに、何時しか、涙が溢れていたから。

頬を伝って落ちて行くそれを見付けた仲間達は、沈痛に近い声で、彼の名を呼んだのだけれど……その声は、シュウに届いてはおらず。

己が泣いている事にも、気付かぬまま。

「あれが死んだ……いや……あれを殺す膳立てをして……事実、あれを破滅に追い立てて。私はそれで、満足だったのに。あの日、あの場所で、あれが、確かに私の言葉を思い出して、螢を殺せないだろう事までも、私は利用出来たのに。あれは、私にとって、死者以外の何者でも、もう、ないのに。あれがいなくなってから、ずっと。以前にも増して、私の世界は、変わらなくなった。何を云われても、何をしても、誰が死んでも。何も……思えない。疲れた、としか、もう思えない。季節は疾っくに変わったのに、光る、螢の輪しか見えない。あれに、無理矢理抱かれた時に見ていた螢……あれが死んだ時に舞っていた螢……。それしか……私には、もう見えない……」

「……シュウ殿。…やはり、貴方は、ルカ・ブライトの事を……──

──違う。私とあれの関係は、傷の舐め合いでしかなかった。それぞれが、勝手に抱えて、癒す努力もせずに、後生大事に抱えて来た、禄でもなくて下らなくて身勝手な、そんな傷の舐め合いでしかなかった。私とあれの関係は、唯、それだけだ」

瞳の中に、何も。

……否、恐らくは、あの日、あの夜舞っていた、螢の光だけを遠く映して。

そこにある現実の、一切を消し。

それが、泣く、と云う行為なのだと、もしかしたらこの人は、知らないのではなかろうかと、周囲の者達が思わざるを得ない程、淡々と、涙流し。

ふらり、立ち上がると、シュウは。

陣幕の隅に跪いて、又、胃の中の物を、全て吐き出した。

「シュウ殿? 大丈夫ですか?」

丸められた背へと、ホウアンは駆け寄り、摩り。

「馬鹿だよな……。シュウも、ルカ・ブライトも……」

「……ああ…」

やりきれない、そんな顔をして、傭兵二人は、陣幕の内より去り。

無言のまま、目と目を合わせて、騎士達も又、そこを出ていった。

「…………貴方は、もう少し、御自分に正直に生きられるべきですね……。貴方の、それは…………それは、ね。シュウ殿────

去って行く戦士達の背中を、視界の端で見送り。

今にもその場に倒れてしまいそうな軍師を支えながら。

ぽつり、ホウアンは呟いた。