3.対面した相手
街の外に用意されていた、早駆けの馬に無理矢理乗せられて。
シュウが連れて行かれた先は、サウスウィインド近くに出来ていた、ハイランド軍の本陣だった。
引き出された先は、最も大きな天幕だったから、言われなくとも、この部隊の御大将が、自分に用があるのだと、彼は知る。
天幕を目にしてから、下がった幕が、例の間者によって持ち上げられるまでの間に。
シュウは、その布地を潜った後の己を運命を、幾通りか予想した。
一瞬の間に、片手に余る程の推測が、彼の頭の中を過ったが、どれもこれも、決して、良い結果を生みそうにはないそれで。
つまらなそうに、だが、そんな想いを、怜悧な面に浮かばせる事は決してせず、促されるまま、彼は中に身を滑らせた。
──中には。
白い甲冑を身につけた、やたらと尊大な態度の、一人の男がいた。
「お前か? ラダトの交易商のシュウ、とか云う奴は」
男は。
耳障りな程に、相手を見下す声のトーンで、椅子に腰掛けたまま、シュウを見詰めて来た。
だが。
気の弱い者ならば、竦み上がってしまうだろう程鋭い男の眼光を、真正面から受け止めながらも。
彼は、答えようとはしなかった。
相手が誰であるのか、薄々の察しは付くが、自ら名乗りもしない者に、わざわざ答えてやる様な了見は、持ち合わせていない、とばかりに。
「………シュウ、と云うのは、お前の名前か、と俺は聞いているんだっ。答えられないのかっ、貴様っっ」
苛立った怒鳴り声が、相手から上がった。
が、ほっそりとした体格の相手の怜悧な顔に、些かの感情も浮かべずに。
相手の眼光と良く似た、冷たい色さえ瞳に乗せて、シュウは唯、相手を見詰め返すだけだった。
そんな彼の態度に、男が、無言で腰の剣を抜いた。
「ハイランド皇国皇子、ルカ・ブライト様の御前であるぞっ」
抜かれた剣に、何を慌てたのか、彼をここまで引き立てて来た間者が、シュウの腕を掴んで、天幕の中に敷かれた絨毯の上に、力ずくで跪かせる。
「……これは、失礼致しました。ルカ様。何処の何方やら、存じませんでしたので。……ご無礼……を」
無理矢理に押さえつけられた姿勢のまま、眼差しだけを上向かせ、シュウは云った。
誰の耳にも、無礼だったと思っているなどと、少しも思えぬ口調だった。
「貴様。随分と良い度胸をしているな。高々、商人風情の癖に」
男──ルカには。
ルカがルカであるが故に、そんなシュウの態度に、何かを感じるものがあったのか。
シュウに近付くと,構えた剣の切っ先で、頤を持ち上げた。
その瞬間。
微塵も動かなかったシュウの表情と眼差しに、僅かだけ何かが過った。
「…お目に掛かれて、恐悦至極…ですな。私の様な商人風情では、生涯、拝顔など叶いますまい貴方様が、一介の交易商人に、何のご用がお有りでしょうか?」
けれど…過った何かを瞬く間に内へと掻き消し、彼はこれまで以上に慇懃無礼な態度で以て、事も在ろうに、狂皇子に対峙した。
眼前の男の悪評は、その耳にもしっかりと、届いているのだろうに…。
「おい。貴様。下がれ」
暫しの間。
ルカはじっと、そんなシュウを見詰めていたが。
引き立てて来た商人の態度に、何時ルカが檄高し、自分の首まで飛ばされるかと、戦々恐々としていた間者に、そう云った。
「は……?」
刹那。
何を言われたのかが理解出来ずに、間者は唖然とする。
「判らないのか? 失せろ、と俺はそう言っている」
「は…はい…」
同じ事を二度言わせるな、と、じろりと睨んで来たルカに頷いて、間者は慌てて、天幕から立ち去って行った。
押さえつける腕こそ消えたものの。
未だ、頤に添えられている剣の所為で、シュウの姿勢は変わらなかった。
そんな彼を見下ろす、ルカの態度も。
そして、随分と長い間。
二人は唯、睨み合った。
「気が…変わった」
──静かな睨み合いに先に折れたのは、意外にも、ルカの方だった。
彼は、構えていた剣をシュウから逸らし、椅子へと戻ると、シュウには些か意味不明な言葉を吐いて、何の前置きも無く、語り出した。
昨日、小賢しい豚共達の輪に、忍び込ませた間者が報告して来た話、を。
「それで?」
しかし、シュウは。
ミューズを追われた、都市同盟に加担する小さな隊に、妹弟子であるアップルがいる事と、彼女達が自分に協力を求めようとしている事を告げられても、顔色一つ、変えようとはしなかった。
「連中にお前の助勢を許すくらいなら。その首を撥ねた方が、余程話は早い。だが、実際にお前を見て、多少気が変わった。将達の話では、お前は軍師として利用すれば、随分と優秀な男らしいな。…ハイランドに協力する、と云うのなら、その首、繋げたままにしておいてやるが。……どうする?」
ほう……と。
懐かしいであろう人間の話をされ、その者の窮地を知らされても、顔色一つ変えぬ相手の真意を読み兼ねつつ、ルカは云う。
「お断りしましょう」
妹弟子達ではなく、皇国軍に協力をすると云うのなら、生命だけは助けてやるが、と云うルカの提案を、シュウは即答で断った。
「なら、最初から決めていた通り、その首を撥ねるだけだ」
「……お忘れの様ですね。私は、一介の商人。ハイランドにも、妹弟子達にも、軍師としての助勢などするつもりは、微塵もありません。尤も。私の扱う品々を、商売として取引したい、と云うのであれば、ハイランドであろうと、彼等であろうと、話くらいはお聞きしますが。…如何ですかな? お望みとあれば、如何な品でも、揃えておみせしますが? ……ルカ・ブライト…様…?」
一度は下げた剣を、再び構え直したルカに、にっこりとした笑みを、彼は浮かべた。
「だから、首を撥ねる意味がない。お前はそう言いたいのか?」
「そんな処ですな」
「今後、お前が連中に加勢しないと云う保証は、何処にもない」
「有り得ませぬな。天地神明に誓ってもいい。私はもう、戦争に興味などない。戦略も、商売も、所詮は盤上のゲーム。ならば生命など張らず、安穏と、金勘定をさせて戴く。…もう、貴方の話が終わりなら、私はラダトに戻らせて戴きましょう」
「フン…。ゲーム、と云うその言葉には、同意しよう。だが。ゲームには、勝たなければ意味がない。俺の行く道の邪魔をする者は、全て邪魔だ。…そして、邪魔者になる可能性の目は、全て握り潰した方が、利口と云うものだろう? 違うか?」
「ほう……。悪評とは違い、多少は知恵の回る御方らしい。決して、狂人、と云うだけではないのですねえ……。邪魔者は叩き潰す。それは、正しい。…ですが、叩き潰す相手を、お間違えになりませんよう。私など、貴方にとって、路傍の石にも、成り得ぬのですからな」
──意に沿わぬなら、即刻その首、貰い受ける、と云うルカと。
飄々と、その言葉に立ち向かうシュウのやり取りは。
暫く間、続いた。
二人共少しずつ、『本性』を晒しつつの、だが、それすらも互いの計算の内でしかない、言葉の応酬。
それは、ルカにとっては、気紛れが引き起こしたに過ぎない、今まで自分の周りにいた人間達とは、多少毛色の違う男との、会話にしか過ぎないのだろうが、シュウにとっては、生命を落とすかも知れない、間違いの許されない会話だった。
「路傍の石など、俺の前にはない」
「ならば、お気に留めぬが宜しい。石は石。唯の。見下ろさねば、視界にも入らぬ」
「お前は、石にしては、出来が良過ぎる。……やはり、潰しておいた方が、いいのだろうな」
「……御随意に。思うがままに、されるがいい。……尤も……、それが、貴方にとって、吉と出るか凶と出るかは、私の与り知らぬ事だが」
何を言っても、抜いた剣を、鞘に納めようとしないルカの態度を見て。
内心、舌打ちをしながらも、あっけらかんと、シュウは云った。
自分の生命が欲しいなら。
思う通りにするがいい、と。
それが、『賭』に等しい一言である事を、知りながらも。