2.ラダト

ランプの明かりで薄く照らされたその室内は、何処か、雑然としていた。

きちんと、整理も清掃も行き届いているのだが。

何故か、雑然、とした印象だった。

大きな仕事机の上に散らばる、無数の書類が、そんな印象を与えてくるのかも知れない。

逆を返せば。

この部屋の主は、どれだけ清掃や整理の手を行き届かせようとも、追い付かぬ程の仕事をこなしている、と言えるのかも知れなかった。

──日も暮れて。

天頂に昇った月までが、再び姿を見せようとしている陽光に、もう間もなく追いやられようとする時刻になっても。

ラダトの街の中心にあるその商家の一室から、仄かな明かりが落ちる気配は無かった。

彼にとって、交易は児戯に等しかった。

相場の流れを読み取り、各国の品の現状を知れば、利益を上げる事など、簡単な事だった。

品物の相場が急騰する事も、暴落する事も、良くある事で、それらの流れすらも掴む事は、確かに至難の技ではあるが、計算する事は、可能だ。

それぞれの地方の気候、政治・経済、他国との関係、戦争がその品々に及ぼす影響…。

少しだけ知恵を巡らせてやれば。

儲ける事など、黙っていても、出来る。

『策略』など、ゲームと同じ。

盤上で起こる事と、何も変わらない。

──彼は、それを良く知っていたから。

だから、有意義に、金品を得る事が出来ていた。

そう。

交易で儲ける事など、簡単な事。

天才軍師と言われたマッシュ・シルバーバーグの弟子だった、この、シュウ、と云う彼には。

けれど、彼には。

盤上のゲームに負ける事が、どれだけ恐ろしい事なのかも、良く判っていたから。

一晩の時を掛けて、己に有利な状況を探す事も、怠りはしなかった。

故に。

その夜も、彼の自室から、明かりが落ちる事はないのだ。

明けの鶏が、そろそろ、鳴き出すのでは無いかと云う時刻になって。

漸く、シュウは手にしていたペンを置いた。

そろそろ休まないと、何時もの時間に目覚める事が難しくなる。

幾ら、取引の無い日とは言え、ぼんやりと、惰眠を貪っている訳にはいかない。

ふ……と、溜息を一つ洩らし。

彼は、肩に掛けていた部屋着を床へと落とした。

薄い絹地の上着の下は、もう、夜着だったから、このままベッドに潜り込めば、直ぐにでも就寝出来る。

明日の夜は、久し振りにゆっくりと、酒でも飲もうか。

……と。

つらつら、疲れた頭でそんな事を考えながら、掛け布へと手を伸ばしながら、後ろで一つに纏めた、長い黒髪を止める房を、解こうとした時。

深夜、確かに閉ざした筈の窓から、冷たい朝の冷気が流れて来るのを、彼は感じた。

「……誰だ?」

見事なまでに気配を消して、室内に侵入を果たし、唐突に己の存在を解き放った不作法な侵入者に、彼は気付く。

ゆっりくと振り返れば、そこに、何れの国の間者と思しい、黒い装束の男が、ひっそりと立っていた。

「騒ぎ立てるな」

抜き放った短剣を、間者は構え、シュウの喉元に突きつける。

「騒ぐつもりは欠片もないが。……どうしたい? ……いいや、どうしろ、と云う? 金か? …それとも、生命か?」

光を弾く凶器にも、怯む事なく、シュウは云った。

だが、相手はそれ以上の言葉を発せず。

唯、付いて来い、と顎を杓った。

「何処までも、礼儀を知らぬ奴だ。……着替える。それくらいの時間は、寄越せ」

慇懃に相手に言い捨て。

それでも、侵入者の意向に従う為に、シュウは、ベッドの端に放り投げておいた衣服を取り上げた。

それまで着ていた夜着と同じ、白い色した己の服に。