10.依頼はパーフェクトに act.2
「やっぱり、ここかい」
夕暮れ時から、レオナの酒場で一人杯を傾けていたビクトールの肩を、その日、ポンと叩いたのは、随分と珍しい事に、探偵のリッチモンドだった。
「……珍しい奴から、お声が掛かったもんだ」
余り、仲間達とも群れる事はせず、城内の片隅で、探偵事務所の出張所を開いている様な男の呼び掛けに、腕利きの傭兵は目を丸くする。
「俺が酒場に顔を見せるのは、そんなに珍しいか?」
「そう云う訳じゃねえが。あんたは、何時も、誰かの依頼で忙しいもんだとばっかり、思ってたよ」
承諾を得る前に、隣の席に腰を降ろしたリッチモンドを見やりながら、ビクトールは云う。
「お得意さんは、あの坊主だ」
「坊主ってお前……。少なくともあいつは、俺達のリーダーだぜ?」
「坊主は坊主」
安酒を一杯、レオナに注文しながら、言い過ぎじゃないのか、と云う傭兵に、探偵はにやっと笑って見せた。
「暇そうだなあ、ビクトール。相棒がいないと、手持ち無沙汰かい?」
「別に。たまにゃ、妙な腐れ縁で結ばれたフリックの顔を見ないのも、せーせーすらぁ」
「本心だと、良いねえ」
リッチモンドは安酒を、ビクトールは追加した酒精の強い酒を、それぞれ傾けながら。
一筋縄では行かない人間同士の会話は、そうやって、暫く続いた。
「で? 何の用だ? 俺に」
他愛ない、それでいて、腹の探り合いの様な応酬が暫く続いて。
酒場にいた人々の大半が、そろそろお開きにするか、と、部屋へと戻って行った頃。
漸くビクトールは、杯を傾けるのを止め、リッチモンドへと姿勢を正した。
「聞きたい事があってな」
「ふーん。何だ? そりゃ。お前曰くの『坊主』に、又何か、頼まてんのか?」
「そう云う訳じゃない。…まあ、依頼の一貫…と言えば一貫だな。だが、探偵には守秘義務ってのがあるんでね。そっから先は、ノーコメント」
「……判ったよ。それで?」
のらりくらりと質問を交わすリッチモンドを追求する事を、ビクトールは諦め、とっとと本題に入ろうと、促す。
「ビクトール、あんた、何度かルカ・ブライトと、直接対面してるよな」
『本題』を語り始めたリッチモンドの声は、秘密の話を語る様に、低く小さかった。
「ルカ・ブライト? …ああ、一度だけ鉢合わせた事はあるぜ。俺達の居た砦が陥落した時にな。思い出すのも嫌な体験だね。あいつは人間じゃない、化け物だ。女子供だろうと、躊躇う事なく、斬り捨てる。まるで鬼か、蛇だ。…それで以て…途方も無く、強いと来てる………。鬼神…いや……悪鬼、だな…ありゃ」
「成程……ね…。評判通り、って奴だ」
傭兵砦で、ルカ・ブライトと剣を交えた事を思い出して、柄にもなくふるっと肩を震わせ、そしてビクトールは、眉を顰めた。
「その化け物が、どうかしたのか?」
「いや……。どうかしたって訳じゃない。あんたと…フリック。それに、坊主と、坊主の親友だったとか云う、ジョウイ・アドレイド。そいつ等の他に、同盟軍でルカ・ブライトの出会った事のある人間は、他にいるか?」
「俺達の他…に? ……そうさな…ああ、リューベの村が焼き討ちされた時に、ツァイや、あの頃から一緒の連中の、何人かは、目撃はしてるんじゃないかな。…それに…言いたくはないが、ピリカ、も」
「ああ。そう言や、そうか」
「おい……リッチモンド。それが一体、何だってんだ?」
やけにしつこく、ルカ・ブライトと出会った事のある人間の全てを知りたがる探偵に、眉間に皺まで、ビクトールは寄せる。
「だから、大した事じゃない。──って事は…ミューズが陥落してからこっち、ルカ・ブライトと接触した人間は、同盟軍の中にはいない…って事だな…」
「んーーー。多分、そうだとは思うが。…ハイランド絡みで、気になる事でも?」
「…まあ、ね。色々と、知っておいて損になる事ってな、あんまり無いんでねえ。知ったこっちの気分がいいか悪いかは、別として」
邪魔したな、と。
ビクトールから聞きたい事を全て聞き出すと。
もう、用件は済んだと言わんばかりに、リッチモンドは残りの酒を飲み干して、席を立った。
──彼が、根掘り葉掘り、ルカ・ブライトと同盟軍の関わりを、どんな些細な事でもいいから知ろうとしたのは。
先日受けた、シュウからの依頼が、頭の片隅に引っ掛かり続けている為だった。
何故、済んでしまった依頼の事が、こうも気になるのか、明確な根拠はない。
敢えて、理由を挙げるとするならば、探偵業で培った、長年の勘、とでも言おうか。
戦争で相手を打ち負かす事が仕事の軍師が、何故、敵の御大将の、戦争と関わり合いのないプライベートな事情を知りたがるのかが、どうしても、リッチモンドには納得出来なかった。
シュウのしている行動が、余り、良い兆しを齎す事とも、思えなかった。
だから、どんな事でもいいから、知っておきたかった。
依頼人のアフターケア、と云う仕事を、パーフェクトにこなす為にも。
小さな、何時か記憶の彼方に埋没してしまう様な些細な出来事でも、知っておいて、損になる事はない。
…………多分。
「何だあ? あいつ」
一方、さっさとリッチモンドに席を立たれたビクトールは。
訳の判らない探偵の行動に首を捻りながら、去って行くその背中を、見送っていた。
歩いていく彼が、脳裏で何を考えているかを、知らず。
『妙、と言えば、妙だな』
素っ頓狂なビクトールの声に、応えたのは、星辰剣だった。
「お前も、そう思うか?」
ぶら下げた腰の剣に、珍しく同意を得た事に驚きながら、ビクトールは星辰剣に視線を落とす。
『まあ、な』
「どうして、そう思うんだ?」
『…勘だ』
「………お前の勘は、あてにならねえからなぁ……」
何だよ、何の根拠もないのかよ、と。
がっくりとビクトールは、うなだれた。