15.音 act.1
マチルダ騎士団を離叛した精鋭の騎士達と。
どうやら、ルカ・ブライトの策略に嵌まってしまったらしい、ハイランドのキバ親子。
その二組が、同盟軍に与して暫く。
同盟軍の正軍師に、未だ御執心のルカ・ブライトが、その夜、本拠地の正門前に姿を見せた。
待ち焦がれた、夜だった。
好機の、夜だった。
──シュウにとっては。
「漸くの、お越しだな、狂皇子。……ああ、失礼。貴方はもう、皇王、だったな。実の父親を殺して手に入れたその玉座は、さぞかし座り心地が良かろう」
城門近くの木に凭れながら、どうやら自分を待っていたらしいシュウの態度に、怒る事も忘れて、的確に、シュウの居場所へと開かれる瞬きの魔法の結界から解かれたルカは、らしくなく、首を傾げた。
何故、決して自分を好いてはいない筈の男が、こうして、待っていたのだろう…と。
「別に、奪おうと落ちて来るのを待とうと、玉座など、座り心地の良いものではない。決してな。詰まらぬものだろう。それよりも……貴様、何故ここでこうしている?」
「どうせ、何時かは訪ねられるのだ。そして、私にはそれを拒む術がない。ならば、自室に忍び込まれる屈辱を味わい続けるよりも、こうして居た方が未だいい。…気分の問題だがな」
別に、風の吹き回しが変わった訳ではない、と呟き。
シュウはルカへと顎を杓った。
付いて来い、と云う風に。
後ろを振り返ろうともせず、歩き出したシュウの後に、ルカは大人しく従った。
シュウがルカを導いた場所は、本拠地の城から少し離れた、小高い丘の上だった。
デュナンの湖が良く見えて、木々の茂みの向こうには、城の灯が映えている丘上。
先端に聳える、一本の大樹の根元でシュウは立ち止まって。
そして漸く、木に身を預ける様にして、振り返った。
「さあ。これで、心置きなく罵り合えると云うものだ。今夜の用向きは何だ? 親殺しの愚痴でも吐きに来たのか?」
「親…と云うのは。己が子に愛情を注ぐ事の出来る人間に与えられる言葉だ。あの男は、俺の親でも何でもない。血の繋がりをそれと云うなら、確かにそうだろうが。あんな…あんな男が、俺の片親でなど、あるものか」
組んでいた腕を解き、やけに感情を込めて、ルカは想いをシュウへと吐き出す。
狂人である彼が見せる、たった一つの執着。
己と母を見捨てた、父親への憤怒。
彼が、その一点に於いては人であると云う、証。
だが、シュウはそれを、鼻で笑った。
「それが言い訳か? 親殺しの、数えきれぬ程、人命を奪った行為への、言い訳だとでも云うのか? ……同情には、値するのかも知れん。蛮族の途──引いては都市同盟や、この世の全てを恨むきっかけとなった、過去の不幸な出来事はな。恨むのも勝手だ。嘆くのも勝手だ。良くも悪いもない。私は止めない。だが、それを、己が殺戮の言い訳にするのは、戴けないと、思うがな。子供の理屈だ」
「……ならば、経験してみるか? 世界の一部だと思っていた……暖かい姿だと思っていたものが、為す術も無く、崩れていく姿を、その目で見てみるか? 例えば、お前達豚共が担ぎ上げるあの少年を、お前の目の前で犯されて、殺されてみるか?」
小馬鹿にした様なシュウの態度に。
すっと、ルカは顔色を変えた。
「それで、そちらが戦争を止めて、その生命、差し出すと云うのなら。私はそれで結構だ」
「──大した、正軍師殿だ」
……恐らく、ルカは。
たった今、シュウに告げた『事』を、その気になれば、本当に仕出かすだろう。
彼の声音は、そう信じるに足る、重みがあった。
だが、答えるシュウの声音も、又。
本気、だった。
だから流石のルカさえも、呆れた様に、肩を竦めた。
「お前との問答は、何時も、相容れぬまま終わる」
肩を竦めながら彼は、ぽつり洩らして。
大樹に凭れたシュウに近付く。
──やっと、その気になったか。
腕を組み、無表情でそれを『迎える』振りをし、シュウは、懐に忍ばせた茶色の小瓶を、掴んだ。
如何なる手段を用いても。
例え、共倒れとなっても。
この男を殺す事が叶えば、それでいい。
それで、全ては終わる。
少なくとも……黙っていても、戦争に勝つ事の出来る程度には……──。
──そう、思ったのに。
シュウは刹那、そう思って、忍ばせた毒を掴んだのに。
今宵のルカの腕は、暴行を働く為に伸ばされた訳ではなかった。
伸ばされた腕は。
「判って欲しい訳じゃない……。判る奴の方がどうかしている……。判る訳がない。俺自身に理解出来ぬ事が、他人になぞ、理解出来てたまるか」
絞る様に洩れた、そんな台詞と共に、文字通り、差し出されただけだった。
唯、微かな温もりがあればいい。
……そんな風に。
執務室の日溜まりの中で、膝に乗せた子猫の背を、シュウが撫ぜる時のそれの様に。
「私は。其方の妹御ではない。何度言えば判る? 髪と瞳の色に、寄せてはならぬ幻想を寄せるなら、せめて、女を選べ」
頬に触れた指先に、あからさまな嫌悪を、軍師は浮かべた。
「俺はそこまで愚かな男ではない、と、先だって、云った筈だ」
だが、所有物が見せた不快な筈の態度にも、ルカが怒る事はなく。
頬に触れた指先が、離れて行く事も、なかった。