20.三すくみ act.2
彼等が腰を下ろした先は。
別段打ち合わせた訳でもないのだが、兵舎の二階、ビクトールとフリックが使っている部屋だった。
酒場や食堂で『この話』をしたくはなかったし、かと言って、これと言って相応しい場所がある訳でもなし。
まあ、無難な選択と云う所だったのだろう。
運良く、ビクトールと同室の腐れ縁の彼も、席を外していた。
「さて、と」
パン、と夕暮れ時の空気を取り入れていた部屋の窓を、この部屋の主でもあるビクトールが乱暴に閉めた。
その一連の動作は、少なくとも、クラウスにしようとしていた話が、余り他人には聞かれたくない類のものなのだと、残りの二人に容易に想像させるものだったから、クラウスは少しだけ渋い表情を作り、リッチモンドは不味そうに煙草の煙を吐き出した。
「誰から、話す?」
暫し、部屋を満たした嫌な沈黙の後。
やはり、ビクトールが促す様に二人を見た。
「簡単に済むから、俺から話させて貰うわ」
まるで、挙手している風に、煙草を掴んだ手を持ち上げて、リッチモンドが切り出した。
「何だよ。お前さん、俺を探してたんだっけな」
探偵が語る話なら、自分に向けてのそれの筈だ、と、ビクトールは首を巡らせる。「いや、本当に大した話じゃない。あんたは顔も広いし、変に勘がいいから、ちょいと、頼ってみようと思ってな。……最近…その…変わった事……ってのが何か、なかったかい? この、城の中で」
大した事じゃないんだと云いながらも、何処か歯切れ悪く、リッチモンドは尋ね始めた。
「変わった事? そう、漠然と言われても。下らねえ話なら幾らでも転がってるが……」
だが、余りにも漠然とし過ぎている内容に、ビクトールは首を傾げるしかない。
「しょうがないねえ……」
傭兵の態度を見やって、誤魔化してもあれか、と、ガリガリ、頭を掻きながら、リッチモンドは舌打ちし、覚悟を決めた様だった。
「すまないが、ここだけの話にしといてくれないか。……ウチの、正軍師殿に何か、変わった事があったって噂は聞かないか?」
「シュウ……の……?」
探偵にその名を持ち出されて、ビクトールは顔色を変えた。
「シュウ軍師が、どうかしましたか」
そして、クラウスも。
「何だよ、二人とも、その過剰な反応は」
「実は……その……私の話も、ここだけにしておいて欲しいのですが。私が貴方を探していた理由も、シュウ軍師の事で、なんです」
どうやら、思いもかけない方向に、話が進みそうだな、と、今度はクラウスがリッチモンドを向き直って、話を始めた。
「あんたの話もかい?」
「ええ。貴方に、シュウ殿の事を少し、調べて貰おうと思いましてね」
「やな、雲行きだな……」
探偵に、予想外な調査を依頼したクラウスをちらりと睨みながら溜息を吐いて、ビクトールが云った。
「俺の話ってのもな、クラウス。……シュウの事なんだよ」
「え?」
「全員が全員、あの軍師殿絡みの話かよ……」
どんな趣向かねえ……と、リッチモンドは天井を仰ぐ。
又、暫し室内には、重たい沈黙が降りたが。
やがて彼等は、それぞれが本当の意味で意を決した様に、それぞれが腹の中に抱えていた事を全て、晒してしまう事に決めた。
仕方がない、と思った。
三人がそれぞれ、そう思っていた。
そう、仕方がないではないか。
こんな憂いを、抱えている訳にはいかないのだ。
自分達がしているのは、『戦争』、なのだから。
負ける訳にはいかない戦争なのだから……と。
彼等が、今まで自分一人だけの胸の中に収めて来た事柄を、時間は掛かったが全て語り終えた時。
全員が、頭を抱えて俯いた。
「マジ、なのか? その話。その……ルカ・ブライトがシュウを……」
「ここで、私、が、冗談を言えると思います?」
「ビクトールは、そんな事を言いたい訳じゃないさ。だが、お前さんの話が真実なら……あの依頼内容はやっぱり、個人的な……?」
「恨みたくなる気持ちも、憎みたくなる気持ちも、判らない訳じゃない。判らない訳じゃねえが……。じゃあ、奴さん、どうしてあの晩、その毒入りの瓶を抱えて、あんな場所から……」
「まさかと思います、が……。思いますが……。シュウ殿は今でも何処かで、ルカ・ブライトと会っているのでは? そして、折を見て、あわよくば暗殺……」
「じゃあ、何でわざわざ取り寄せたあれを、捨てるんだよ。俺は見たぜ? あいつの部屋で、例の瓶がごみ箱の中に捨てられてるのを」
──頭を抱えて、それぞれが聞いたそれぞれの話が、如何なる意味を持つのか、悩み抜き。
矢継ぎ早に彼等は、『悩み』を打ち消す様に語り出す。
「捨てたと云う事実が指し示す事は、一つ、ではありませんか……?」
朝、軍師の部屋で、暗殺の為の道具だろう『瓶』が、捨てられているのを見たと云う探偵に、クラウスは云う。
「どっちの意味でだ? クラウス。無理だから止めようと思ったのか。それとも、必要がないから止めたのか」
示す事は一つでも、動機次第では雲泥の差だ、と、ビクトールが眼差しを鋭くした。
「まあ、動機はともかく。そんな理由を抱えてたんだ、一度その手で殺そうと思った仇の殺害を、あの軍師がそう簡単に諦めるとも思えないね、俺には。それを、止めようと思ったってなら……何かがあったんだろうさ。クラウスの云う通り、あの男は、狂皇子と密かに接触を持っているのかも知れない……」
リッチモンドは静かに目を瞑って、やれやれ、と首を振る。
「まさか…裏切る? いや、そんな事は有り得ねえだろうな……。でも、だったら何で……」
「彼が寝返る……と云う事はないと思いますが……個人的に何かをしようとしているのかも、と云う可能性は否定出来ませんね」
「何にせよ、だ。暫く、シュウからは目を離さない方がいいのかも知れないな。あいつが何を考えているにしても、同盟軍の軍師がルカ・ブライトと接触があるなんて知れたら、大問題処の騒ぎじゃなくなる」
シュウの考えている事も、何をしようとしているのかも、全く判らないと云うリッチモンドとクラウスの二人に、取り敢えずはこの三人だけで内密に事を進めようと、重く、ビクトールが云った。
「おい、ビクト……──。何だ、リッチモンドにクラウス。珍しいな」
その時。
タイミングを計った様に、部屋のドアが開いて、もう一人の部屋の主、フリックが顔を覗かせた。
「何でもねえよ。一寸した、野暮用」
「ほう…」
何時もの笑みを浮かべて、些細な事さ、と云う相方に、何処かきょとんとした顔をフリックはしてみせたが、
「用件は終わったのか? なら、飲みに行かないか。マイクロトフとカミューを酒場の前で捕まえてさ。そんな話になったから」
そんな事はどうでもいいか、と、用件を語り出した。
「ああ、いいぜ。今行く」
俺が飲まない訳がないだろうが、と答えながらも。
お前は平和でいいな……と、何も知らない能天気な相方に心中で毒づいて、ビクトールはクラウスとリッチモンドを残して部屋を出た。