26.転がり込んで来たもの

盟主が、グレッグミンスターより帰城してより。

只でさえ賑やかな同盟軍の本拠地は、一層の喧騒に包まれていた。

憧れの存在を見付けたかの様に、トランの英雄に懐いて離れない盟主や。

互い、その事情に差異はあれど、三年前の戦争の終わり、行方不明となった者同士である、英雄と腐れ縁傭兵コンビの掛け合いや。

同門の出らしいアニタとバレリアの、じゃれ合いの様な口喧嘩。

そう云った物が、湖の畔に建つ古城の中を、満たして。

本当にそこが、ハイランドとの戦いに於ける、前線基地なのだろうかと思える程、朗らかな空気が日々、流れていたのだけれど。

もう、そろそろ夏も終わる、そんなある日。

ハルモニアと云う後ろ楯を得たハイランド王国が、とうとう、侵攻を始めた、と云う知らせを、シュウは受け取った。

「重たい腰を、やっと上げたか……」

この城に三年前の英雄がやって来る前日、ハイランドの皇王自身と、侵攻の開始は近いと察するに足る会話を交わしたなどと、お首にも出さず、己と共に知らせを受け取った者達には、どうとでも取れる呟きを、彼は洩らして。

日々、ひたひたと、同盟軍本拠地への侵攻を進めるハイランド軍の状況を知る為、リドリー率いる部隊を偵察に出した時は。

流石のシュウも、そんな事態が待ち受けているなどという計算は、してはいなかったので。

手の内が読まれたのはやはり、あの男の所為だろうかと、内心でそんなことを考えながらシュウは、盟主を促し、部隊を取り囲んだハイランド軍より、リドリー達を救出する為の手筈を整え。

途中、戦場で、ルカ・ブライト当人の部隊と遭遇すると云う特典も何とか退け。

何とかリドリーの奪還に成功し、漸く本拠地へと辿り着いたと云うのに。

自室に腰を落ち着けて間もないと云うのに、一階ロビーで何やら騒ぎが起きているから、と狩り出された時には、彼と云えど、疲れを隠し遂せることは少々難しい状態だったから。

今度は何だ……と。

唯でさえ、無表情無感動、と評されてしまう感情の浮かばない顔を、一層の無に近付けて、地上階に降り立った時。

「ハイランドから来た、遣いの人みたいだよ」

シュウの姿を見付けて、ともすれば、シュウよりも内面を窺うのが難しいと、同盟軍の面々に言わしめる、底の知れぬ笑みを浮かべた盟主である少年に、そう囁かれた彼は、指し示されるまま、視線を巡らせ。

「レオン……シルバーバーグ…………」

まるで、子供の遣いが来た、とでも云う風に、盟主が示した相手が、己が師匠の師匠であることを知り、ぽつり、その名を呟いた。

「久しいな」

自分の存在をシュウが悟った証であるその呟きを聞き付け、レオンはシュウへと近付く。

「……何か……?」

──本当に、今。

如何なる表情をも、自身の頬に浮かべずに済んでいるか、流石に自信が持てぬ、と、心の中だけで苦笑を浮かべ、シュウも又、一歩、進んだ。

彼が、ハイランド側に軍師として付いた、と云う話は、キバやクラウスから聞かされていたし、その裏付けも取ったから。

それ程面識はなかったとは云え、かつての大師匠であり、やはりかつては『憧れの存在であった』男と、大敵と化して対峙することに、さしたる驚きも感慨もないが……何故、ハイランドの正軍師となった筈の彼が、直接こうしているのか、どうしても判らなくて。

いいや、何よりも。

憧れの存在でなくなった男が、眼前にいる、と云う事実に、彼は、動揺していた。

……一言、簡潔な問いを発したまま、黙りこくったシュウの本心を、知ってるのか。

ツカツカと近付いたシュウに、唯、これを渡しに来ただけなのだと告げ、書状を手渡すと、レオンは。

「何故……」

「…え?」

「何故……こんな、愚かなことを? お前ともあろう者が」

シュウだけに聞こえる大きさの囁きを残し、くるり、踵を返した。

「…………おい。行かせちまっていいのか?」

唐突に訪れ、一枚の紙切れだけを手渡し、来た時同様、唐突に帰って行く敵国の軍師を、止めようともしないシュウへ、居合わせたフリックやビクトールが、厳しい眼差しを向けたが。

「その必要は、ない。少なくともあの男、今だけは、敵ではないらしいからな……」

手渡された書状に素早く目を通して、シュウは答えた。

「何でだよ」

「…素晴らし過ぎる、進言を携えて来たからだ。──今夜。ルカ・ブライトが少数の手勢だけで……と云っても、精鋭部隊なのだろうが……この城を、夜襲するそうだ」

「…あ?」

「俗な言葉で云えば、タレコミ、と云う奴を、持って来たんだ、あの軍師殿は」

だから、今だけはあの男は、敵ではないからと、フリックやビクトールや、今にも血気逸りそうな男達へ告げ。

「一時間後。軍議を行う」

簡潔な宣言をするとシュウも又、自室へ戻るべく、振り向いた。

「…………信用しちゃっていいのかなあ?」

去って行くその背を、ぽつり、盟主の呟きが追ったが。

「御心配なく」

彼は、振り返りもせず。

エレベーター、と云う名の箱に、乗り込んだ。

────今夜。

あの男を討ち滅ぼす機会が訪れて。

そして、恐らくはそれを、なし得られるだろうに。

心は一向に、晴れもせず、冴えもせず。

一人きりになった箱の中で、シュウは俯いた。

己が、泣き出しそうな顔をしていることにも、気付かないで。