カナタとセツナ ルカとシュウの物語

『East』

その一挙手一投足にすら、カラヤの誇りを映しているかのように振る舞って、ひたむきな目をして本拠地を駆け回っている少年──ヒューゴの右手に今は宿る、晒されたままの、真なる火の紋章を、今日もちらりと見遣って。

厚い手袋に覆われた、己が右手に宿る、真なる雷の紋章が、チリリと微かに疼くような気配を覚え、ゲドはふと、空を振り仰いだ。

何時しか、誰からともなく、『破壊者』と呼ぶようになった者達より、ゼクセンや、グラスランドの地を護る為に集った者達が今は本拠としているビュッテヒュッケ城の中へと、ヒューゴは駆けて行ってしまったから、その姿は、中庭に佇むゲドより今は遠く。

真なる火の紋章の気配も、遠くなって行くヒューゴと共に、掠れて行くけれど。

紋章の気配は確かに『そこ』にあって。少しばかり意識を他所へと傾ければ、ゼクセンの女騎士、クリスが宿した、真なる水の紋章の気配も『そこ』にあって。

だからゲドは、紋章達の気配の所為で、軽い眩暈を覚えた。

ひたむきな目をした少年に宿るそれも、真っ直ぐな、強い目をした彼女に宿るそれも、かつて、宿していたのは別の者共で、以前の『火』の持ち主も、以前の『水』の持ち主も、もうこの世から消え去ってしまったのは、頭でも心でも理解しているけれど、どうしても時折、ゲドの瞳の中で、今現在の紋章の持ち主達と、過去の紋章の持ち主達は、揺らめく陽炎のように重なり合うことがあり。

薄い陽炎のように、『現在いま』と重なる『過去むかし』に、過去を思い出して、ゲドは、軽い眩暈を覚えること度々だった。

──『懐かしい』紋章を見遣ると、ゲドが時折覚える軽い眩暈、それは。

『水』の元の持ち主──ワイアットに対しては、或る種の『懐かしみ』だけれど。

『火』の元の持ち主──トワに対しては決して、過去を懐かしむが為の眩暈ではなく。

あれ程酷い男は知らないと、そんな苦い想いが、ゲドの心の内を過るからだ。

…………そう。

あんなに酷い男を、ゲドは知らない。

底抜けと言える程に明るくて、誰に対しても極上の笑みを見せて歩いて、あっけらかんとした性格で。言い出したら最後、人の話になどこれっぽっちも耳を貸さない所は欠点だと、そういう者もいたけれど、大抵の者に好かれる質で、でも、そのくせ。

『そう在ってみせなければならない者達』から離れれば、どうしようもなく『酷い男』だった。

酷いことを言って、酷いことを平気でする。

トワとは、ゲドにとって、そういう男でしかなかった。

ゲド曰くの、トワの酷い言動、それは、他者の目には恐らく、『奔放さ』でしかなかったのだろうけれど。

トワという男は、『酷い男』だった、ゲドにとっては。

どうしてこんな男が、『炎の英雄』でいられるのだろう、と思う程。

こんな男でなけれは、『炎の英雄』ではいられぬのだろう、とも思う程。

底抜けな明るさは、単なる能天気でしかなくて、極上の笑みは、その大半が作り物で、あっけらかんとした性格は即ち、不躾、ということで、どうしようもなく、頑固で。

山程、酷いことを言われた。沢山、酷いことをされた。

だから、その記憶は今でも、ゲドの中では鮮やかだ。

鮮やか過ぎて、悔しくて、涙が出そうになるくらい。

『……別に、お前達の手を借りてもいいんだけど』

…………と、酷かったトワの言動の中でも、最大に酷かった『あの時』の科白が、未だに耳許で、『綺麗』に蘇るくらい。

────そうだ、酷い男だったから。

ゲドが抱える、トワの…………トワの、『あの時』の記憶は、鮮明だ。

明るい──能天気な──素振りで。

極上の──作り物の──笑みを浮かべ。

あっけらかんとした──不躾な──物言いで。

トワは言ったのだ、『あの時』。

お前達の手を借りてもいい、と。

…………あれは、全てが終わった夜だった。

世界から見れば、一握りでしかないだろう、己の大切な者達の為に、『限られた平和』を勝ち取って、暫くが過ぎた夜。

もう、グラスランドに『炎の運び手』は要らないと、トワはきっぱり、ゲドとワイアットの二人に告げた。

──平和など所詮、戦いと戦いの合間に訪れる、束の間の『刻』でしかない。

平和と平和の合間に、戦いという束の間の『刻』が訪れるんじゃない。

そんなこと、この世界では有り得ない。『紋章』が在る限り。

だから、例え束の間の刻でしかなくとも、己にとっての大切な者達と、大切な故郷、その為に、自分達には充分だと思える平和を得たのだから、自分はそれでいいと思う。

そこから先のことは、そこから先を生きる者達が考え、その者達が何とかするべきことだ。

もう、『炎の運び手』は、この地には要らないし、紋章も、要らない。

……そう思うから。

『炎の運び手』も、『炎の英雄』も、今宵を限りに消えるし、自分は、紋章を外す。

────………………『あの時』、トワは、焚き火を囲みながら。

親友である二人を捕まえて、どうということはない話だと言わんばかりに言い放って。

どうということはない話の、延長であるように。

「……別に、お前達の手を借りてもいいんだけど」

…………と。

──それを言われた最初、一体トワが何を言わんとしているのか、ゲドには解らなかった。

そして恐らくは、ワイアットにも。

だからゲドは尋ねた。

自分達に手を借りても良い事柄とは、一体何だ、と。

……すれば。

明るい──能天気な──素振りで。

極上の──作り物の──笑みを浮かべ。

あっけらかんとした──不躾な──物言いで。

「決まってるだろ? この、紋章を外すのに、お前達の手を借りても良いんだけど、って意味だよ」

…………トワは、そう言った。

そうして、続けざま、トワは。

──この世に二十七だけ在る真の紋章の、他はどうだか知らないし、興味もないけれど。

少なくとも、自分達が宿している五行の紋章は、外すことが出来る。

その方法は、二つあって。

一つは、伝説のシンダル族が残した秘術を用いて外す方法。

もう一つ、は。

同じ、五行の紋章を二つ以上揃えて、紋章の力を借りて、『引き剥がす』方法。

……だから、俺は言ってる。

お前達の手を借りても、いいんだけど、とね。

────…………トワ、は。

淡々と。

至極、楽しそうに。

ゲドとワイアットの二人に向けて、言い放った。