「お前…………」
故に、ゲドは憤った。
ゲドとて、それなりの年月、真の紋章を宿し続けて来ている。
紋章が如何なる存在なのか、その存在の意義は何なのか、そんなことを悟れる程長い年月ではないし、紋章の『正しい扱い方』を知り得るに相応しい年月でもないかも知れないけれど。
宿し続けた年月の所為で、ゲドとて、解っている。
ひと度宿し、そして、長らくの刻を紋章と共にした者よりそれを引き離せば、如何なる結果が齎されるか、くらいは。
長らくの刻を共にした人より引き離された紋章が、その者に、どんな『呪詛』を齎すか、も。
……だから、同じ、真の紋章宿す者──即ち己の手で、トワが宿した『火』を引き剥がすということは。
少なくとも親友ではあるトワの命を、この手で絶つに等しい、と。
そんなこと、ゲドにも解っているから。
彼は、唸るように声を吐いて、焚き火の向こう側にいる、トワを睨み付けた。
「そんな、怖い顔して怒るなよ」
だが、トワは、何処までも『作り物』ではあるけれど、極上でもある笑みを浮かべて、あっけらかん、としていた。
「…………自分の言ったことの意味が、解っているのか……?」
「勿論。そんなこと、百も承知だ。この紋章を俺から引き離せば、数年と待たずに俺は死ぬ。……多分、な。でも、俺はそれで良いと思ってるし。誰に止められたって、聞く耳は貸せない。俺にとって『こいつ』は、ハルモニアから、例え束の間でも、平和をもぎ取ってやる為の『手段』の一つでしかなかったんだ。その結果、生涯の幕を短く閉じることになっても、俺は本望。結果を得たんだ。もう、手段は要らない」
「だが……」
「だが? だが何だよ。……何時の間にかって奴だけど。気が付いたら、俺が『こいつ』を宿して、十数年にもなった。でも、高が、十数年。今なら未だ、無条件で『こいつ』を外せる。……結果は得た。手段は要らなくなった。百年、二〇〇年と『こいつ』を宿して、長生きする必要なんか、俺にはない。百年後、二〇〇年後の歴史に、責任なんか持ちたくない。………………僅かの刻でいい。束の間の安息でいい。例え、身を切り刻まれるような苦痛と共に死を迎えても、俺はそれでいい。長生きなんか、したくない」
「……トワ」
「…………俺は。俺は、生まれ育った故郷が平穏ならそれで良かった。ハルモニアに踏みにじられるなんて、御免だった。俺の大切な故郷と、大切な故郷の大切な人達が幸せなら、それで良かったんだ。歴史そのものに、責任を持つつもりなんてない。俺達の生きる時代が、束の間に平和なら充分だ。……『こいつ』と共に生きて、生き続けて、百年後の歴史、二〇〇年後の歴史の中で、束の間の平和が繰り返されてくのを眺めながら足掻き続けるなんて、俺には出来ないし、したくもない。俺が生きなきゃならなかった時代の中で、精一杯、出来ることをやった、それだけで、満足」
──激しく燃える焚き火を囲み、睨め付け続けて来る、ゲドのきつい瞳を物ともせず、何処までも、あっけらかんとしたまま、トワは飄々と語って、そして、言葉を区切ると。
楽しそうに、極上で、作り物の笑みを浮かべたまま、ゆっくりと、ゲドとワイアットを見比べた。
「この世の終わりまで続く歴史なんて、興味はないね。生きるの死ぬのも、どうだっていい。…………但。『現在』だけ。『現在』だけは、幸せでいたい。幸せの中で死んで、幸せだった頃の想い出だけを抱えて逝きたい、それは望みたいんだ。……だから。もしも、お前達がいいと言うなら。シンダル族の秘術なんて、まどろっこしいことしないで、お前達の手を借りられたらな、とは思う訳さ。親友のお前達の手で、俺があの世に向かう為の一歩目を作って貰えるんなら、『俺は』、幸せだ。幸せな想い出になって、逝く時の道連れに出来る。……尤も? お前達は、不満かも知れないけど?」
そうして彼は、『言いたい放題』言葉を放って。
「…………断る」
吐き捨てるように、ゲドは言葉を返した。
────焚き火を囲みながら、今生の別を交わしたあの夜の。
トワが語ったあの言葉達、作り物のあの笑み、他人のことなど微塵程も思い遣らないあの態度、それを思い出すと。
思い出す度、ゲドは眩暈を覚える。
断ると、吐き捨てるように言ってやったら直ぐさま、
「そう言うと思った。ぜーーー……ったい、お前は良い顔しないって、そう思ってたよ」
…………と、肩を竦めながら、何処か呆れた様子を見せた、あの刹那も、思い出す度、眩暈と憤りを覚える。
あれから、五十年の年月が過ぎた今でも。
………………何時だって、何時だって、どうしようもなく『酷い』言動ばかりを振り撒いて来たのだから、今生の別の時くらい、嘘でも良いから、無いそれを絞ってでも、多少なりとも気遣いを見せても良かっただろうに、最大に酷い言動を、惜しみなくトワはぶつけて来て、だと言うのに、ワイアットは唯、お前らしいと笑うだけで全てを流して、あの時、憤りを感じたのは自分だけで。
己一人が道化と化している風に思えて、幾度、あの夜を思い返してみても、眩暈も、憤りも、何も彼もが鮮明過ぎて……………………──。
掠れて行くヒューゴの気配と共に、やはり掠れて行く『火』の気配と。
ビュッテヒュッケ城内を進んでいるだろうクリスの気配と、彼女と共に進む『水』の気配とを、『雷』越しに感じ続けていたゲドは、空を振り仰いだまま、瞳を閉じた。
──瞼を閉ざし、闇を手招いてみても、眩暈は消えなかった。
感じ続ける、紋章達の気配も、遠退いてはいかなかった。
「………………酷い男だった……」
だからゲドは、上向いて、瞳を闇で覆ったまま、遠く、小さく呟いた。
眩暈と共に、気配と共に、今はもういない、彼を想って。
──酷い男だった。
どうしようもなく、本当にどうしようもなく、酷い男だった。
俺達は、親友だろう? ……と、面と向かって言い切るくせに、親友だと言い切った相手にさえ、何の容赦もなかった。
情けの一つも、気遣いの一つも与えては寄越さなかった。
…………嘘で良い。
嘘で、構わなかった。
嘘で充分だったし、嘘は嘘でしかないと、こっちだって重々承知の上で、でも。
嘘を吐いて欲しかった、たった一つだけ。
酷いと言える程の正直さも、惨いと言える程の一途さも、見せて欲しくはなかった。
ひと度、真の紋章を宿した者が、真の紋章から逃れる為に取れる、唯一の道、それだけは、嘘で、覆い隠して欲しかった。
正直に、一途に、それと向き合って欲しくなかった。
──戦いと戦いの合間に訪れる、束の間でしかない平和、ひと時の楽園。
全てを賭して、それをもぎ取っても。
紋章すら、『手段』と看做し、それを掴み取っても。
紋章を宿した者は、紋章と共に自らもぎ取ったひと時の楽園から追放されるように、楽園の東の荒野──死出の世界に逝くしか術はないのだと。
……そんなこと、正直に、一途に、示されたくはなかった。
…………そんなことにまで。……いいや、そんなことにすら、真摯に生きて欲しくなかった。
…………酷い男だった。
どうしようもなく。
本当に本当に、どうしようもなく。
全てに対して正直で、一途で、酷くて、惨くて、情け容赦の欠片もなくて、思い遣りなんか、これっぽっちもなかった。
……殴り倒したくなる程、酷い男だった、親友だったのに。
包み隠さず、ありとあらゆる想いをあからさまに見せ付けたまま、あっけらかんとした笑みを浮かべ、楽園の東に広がる荒野に、自ら足を踏み入れるような、どうしようもなく、酷い、酷い男。
あれから、五十年が過ぎた今も尚、眩暈を覚える程に。憤りを覚える程に。
…………どうしても、相容れない。どうしても、越えられない、殴り倒したい程大切な、親友だったトワ。
……そう、あいつは。
どうしようもなく、途方もなく。
『酷い』だけの男、だった。
End
後書きに代えて
先代の炎の英雄トワと、ゲドさんのお話でした。
──幻水3で、蓋開けてみたらもう死んでました、な炎の英雄さんでしたが、作中の皆さんのお話聞いてたら、何となく、炎の英雄って、我が儘な奴だったのか? な印象、私は抱いてしまいまして。
我が儘って言うか……、自分のしたいことが、きっぱりはっきり決まってて、それ以外、やる気はないよーん、目的達成出来れば充分さー! 的な人物って言うか(笑)。
そんな気がしましてね、漠然と。
ゲドさんとは、衝突することも多かったんじゃないかしらー、とも思いまして、こんなお話、書いてみました。
という訳で、トワ(炎の英雄さん@故人)は、カナタやセツナとは、少々毛色の違うリーダーさん(笑)。
きっと、大変だったろうな、ゲドもワイアットも(笑)。
──それでは皆様、宜しければご感想など、お待ちしております。