その日も、グリンヒルでのあの夜のように、朝から雨が降っていた。

冬の一日を朝早くから覆ったそれは氷雨で、もう少し空気が凍えたら、雪になる、と、容易に想像出来た。

だから。先日の夜、冬の雨に打たれても、風邪こそ引かずに済んだものの。

人一倍暑さに弱い代わりに、寒さには強い筈なのに、セツナは、朝食を食べ終っても、寒い寒いと言い通しで、そんな彼を追い掛け回してカナタは、ぎゅむぎゅむと、走る赤い雪だるま、と城内の人々が洩らすくらい着膨れさせて、寒い寒い一日を始めさせた。

厚着の所為で、ふうふう言っているセツナを捕まえ、走るより、転がった方が早いんじゃないかとからかい出した、チャコやサスケ達と、賑やかに午前を過ごし。

昼食を挟んで、午後は、出歩いたら本当に風邪を引いてしまいそうだからと、タラタラ、シュウに命じられた書類の束を片付けながら、盟主の自室で静かに過ごし。

夜を迎え、夕食も、入浴も終えて、カナタとセツナの二人は、酒場に向かった。

「レオナさーーん!」

「お? 未だ寝ないのか、この雪だるまは」

「雪だるまじゃないもんっ! ちょびっと、マクドールさんに厚着させられただけだもんっ!」

「判った、判った。『ちょびっと』、な。……処で、何しに来たんだ?」

「あ、そうだ。──レオナさーん、お休み前に、レモネードが飲みたいですっ!」

酒場の女主人の名を声高に呼びながら、カナタに連れられ、元気一杯酒場に姿を見せたセツナを、相変わらず飲んだくれているビクトールがからかえば、セツナは、べーと舌を出しつつプリプリ怒ってみせて、あ、そうだ、と。

ここへやって来た目的を、レオナへ向かって叫んだ。

「はいはい。一寸待ってな。直ぐに作ってやるから」

小首を傾げながら、にこっとねだる『雪だるま』に、堪えきれない笑いを洩らしてから、レオナは奥へと引っ込んで。

「レモネードか。今日は寒かったからな。でも、そろそろ雨も止みそうだし。明日は多少、違うんじゃないか?」

一体何枚着込んでるんだ? と、セツナの脇腹を突き始めた相方の手を思い切り引っぱたいた──何故なら、熊の如き体格をした相方を、にっ……こり、と見遣ったカナタのその笑みが、やけに薄ら寒く感じられたから──、その相方と共に、恒例の、一日を締めくくる酒盛りをしていたフリックは、窓の外を眺めた。

「そうだねー。もう、降り止みそう。明日は、あったかいといいなー」

全身青一色の彼に倣って、窓の外を見遣りながら、こっくり、セツナは頷いて。

それより暫く、酒のグラスを掴みながらの傭兵コンビと、その傍らに立ったままの元と現・天魁星コンビは、何時ものヨタ話に興じていたが。

「…………? 何の騒ぎ……?」

「さあ……。どうしたんだろう。一寸騒がしいね」

酒場を出た直ぐそこの、約束の石版前付近から聞こえて来た騒ぎに、他愛無い話を打ち切って、セツナとカナタは顔を見合わせた。

「あー……。さっき、ここへ来る途中に擦れ違ったアップルが、しんどそうな顔してたから。又何か、『出た』んじゃねえのか? ……ほれ。『名簿』」

「…………ああ……」

訝し気になった二人へ、ぼそっとビクトールが答えを告げれば、会得したように、カナタもセツナも、眼差しを軽く伏せて。

「嘘! そんなこと、嘘だものっ!! 盟主様だって、マクドール様だって、きっと大丈夫だって、そう言って下さったのにっっ!」

そこへ、『あの彼』の恋人のものらしい女性の悲鳴が、伝わって来た。

「何だ?」

「お前達が、大丈夫だって言った、って……?」

「……実はね、何日か前に…………──

余りにも大きくて、余りにも悲痛そうな悲鳴に、ビクトールとフリックが、顔を見合わせつつチロっと見遣って来たので、苦笑めいたものを浮かべながらカナタは、先日の中庭での出来事を、簡単に二人へ語って聞かせる。

──……とまあ、そういう訳で。その彼女が、恋人が帰って来ないと嘆いていたから、気休めにしかならないって、判ってはいたけど、きっと大丈夫だと思うと、彼女にはそう言ったんだ。……気休めより、尚悪かったみたいだけどね。かと言って、現実を突き付けるのは忍びない気がしたし」

「大丈夫ですよ、なんて、言わなきゃ良かったですかねー……。元気出して下さいね、で止めとくんだったかなあ……。でも…………。難しいですね、こういうのって」

嘘、ではないけれど、『現実』には程遠い話をカナタが語れば、セツナは頤に指を当てながら、困ったように小首を傾げてから、そろっ……と、悲鳴が上がった廊下の方を、振り返った。

「そうだな…………。俺達のしてることは、戦争、だからな。誰もが『平等』に、明日は判らない。……悲しい話だし、その姉ちゃんには言えないが……──

──仕方ないだろ、それが、戦争なんだから……」

脳裏の片隅に、例の彼女を思い浮べつつ廊下を振り返ったのだろうセツナの背中越し。

ビクトールは呟き。

ビクトールの呟きを遮りつつ、フリックも又、呟く。

「………………ビクトールさんと、フリックさんは」

「……ん?」

傭兵二人の呟きを受けて、セツナは又、身を返し。

「二人は、『平等』に明日が判らないこと、怖いって思ったこと、ある? 人を殺すの、嫌だなとかも、思ったこと、ある?」

無邪気さを装って、彼は。

小首を傾げながら、ビクトールとフリックの二人へ問うた。

「思わねえよ、そんなこと。全く思ったことがない、そう言ったら多分、嘘なんだろうがな。でも、思わねえよ。……なあ? フリック」

「ああ。正直、今更だしな。俺達の仕事は傭兵で、傭兵ってのはそういう商売で、俺達は戦場で、戦ってるんだから。それに……なあ? ビクトール」

「ああ。戦場で人を殺すことと、命を粗末にすることは、別問題だろ」

「同感。それはそれ。これはこれ、だ。……お前達は、そうは思わないのか?」

………………すれば、二人は。

若干顔を見合わせながら、事も無げにそう言って。

「…………そっか……」

「セツナ、レモネード、出来たよ」

「あっ。わーい、有り難う、レオナさん!」

丁度その時、レオナが運んで来てくれた、レモネードへと意識を移し切った素振りを見せながら、雨上がりの夜空の下、自分達が語り合ったそれと同等の科白が、ビクトールとフリックより洩れたことへ、若干顔を綻ばせつつ、セツナはカナタを見上げた。

何処か、安堵を滲ませた色を瞳に浮かべ、見上げて来たセツナに。

カナタも又、にっこりと。

綺麗な笑みを浮かべた。

グリンヒルの、あの夜のように。

何時しか、雨は上がっていた。

けれど、グリンヒルの、あの夜とは違い。

月も星も戻り始めた、雨上がりの夜空は、何処か、暖かかった。

End

後書きに代えて

カナタ&セツナvs脱走兵なお話でした。

一回、書いてみたいテーマだったんですよ、これ。

一度は、真っ向勝負で書いてみてもいいかな、と(笑)。

──それでは皆様、宜しければご感想など、お待ちしております。