「……今更の、問いだけれど。君は『それ』を、辛い、と思うことが、あるの?」
そんな風に笑ったセツナを見遣って。
見え始めた、ニューリーフ学園の裏手を前に、進めていた足を留め、今度はカナタが、セツナの面を覗き込んだ。
「いいえ。僕は別に、『それ』を、辛いとか、悲しいとか、思ったことはないですよ? ……これっぽっちも悲しくないって。そう言ったら多分、嘘になっちゃうと思いますけど。辛くはないです。だって僕は、それをしなくちゃならないんですし、そうするんだって決めたのは、僕ですから。自分や皆の幸せの為にこうしてるんですもん、『只の人殺し』で僕はいいです。…………但。本当に、今更ですけど。皆は、どうかなあ……って…………」
「皆? 宿星の皆や、君の城の兵士達?」
「ええ。その『皆』です。……さっき、マクドールさんがあの人に言ったみたいに、皆が、僕の言うこと聞いて、戦争をしてるんだとしても、戦争に参加するんだって皆が決めたのは、皆の意思の筈ですから、こういうこと思うのは、それこそ、『御免なさい』なんだと思うんですけどね。皆が自分自身で決めたこと、馬鹿にしてるみたいになっちゃいますから」
「……ああ、そうだね」
「…………でもね、マクドールさん。誰……とは言えませんけど。『誰か』が、言ってたんです。何時だったか、夢のお話をしてるみたいに。戦争に出て、戦場に立って、魔法を打つ時。自分の打った魔法が、敵の人に当らなければいい、そう思うことがある、って。別の『誰か』は、お酒飲んで酔っ払った時に、やっぱり言ってました。自分が射った矢が、外れればいいって、よく思うんだ、って。……皆、最初っから強い訳じゃないから。皆が皆、『強い』訳じゃないから。だから…………。…………でも、だから。僕、勝たなきゃいけませんよね、何が遭っても。……頑張りますね」
「セツナ…………」
立ち止まっても、面を覗き込んでも。
ほんわり、と笑ったままの表情を崩すことなく言うセツナが、何かを『我慢』している風に、カナタには映って。
彼は、ぬかるんだ道に片膝を付き、セツナと視線の高さを合わせて、その名を呼び、抱き締める如くにした。
「辛くなんかないんですよ。戦争をすることも、戦場に行くことも、人を殺すことも、明日僕は、ひょっとしたら生きてないのかも知れない、そういうこと考えるのも。どれも別に、辛くなんかないんです。僕は平気です。戦をするのが僕のお仕事で、戦場に立つのも盟主でいるのも、僕が決めたことで、僕がしなきゃならないことですから、そんなことで、へこたれたりなんかしません。戦うことが嫌だなんて、僕は思いませんよ。命を粗末にすることと、人を殺すことは、別問題ですもん。僕は、僕達は、正しいことをしてるんだって、僕が信じなきゃ、僕と一緒に戦ってくれてる人達に、申し訳が立たないです。但…………。……但、マクドールさん……」
「……ん?」
「…………傍にいますね。だから、傍にいて下さいね。歩く時も、立ち止まる時も、走る時も、踞る時も、僕の傍に、いて下さいね…………」
「……さっきも、言ったろう? セツナ。…………君が望む限り。僕は君の、傍にいるよ。歩く時も、立ち止まる時も、走る時も、踞る時も。傍にいて、全てを共に。……だから、大丈夫だよ。そんなことに、不安を覚えずともいいんだよ。……共にゆこうね、セツナ」
「…………はい……」
抱き寄せてみても、常の如くの、ほわっとした調子の声で、大したことではないと言わんばかりに語っていたセツナが、その最後、やけに声を潜めて。
『貴方が傍にいないこと、それが最も辛い』、とでも言う風に、囁いたから。
カナタは、幾度となく誓って来たそれを、再び、セツナの耳許で告げた。
告げてやった『約束』に返されたのは、何時も通りの応えで。
…………勝利を収め、この戦に幕引く日がやって来たとて、不老の己との『約束』は続くと、そんなことはもう、セツナにも疾っくに、解り始めているだろうに。
『その意味』の、示す所も、又、察しているだろうに、……と。
セツナの応えを受け取りながら、カナタは。
小柄なその躰を、抱き竦めた。
それでも、『そう応える』セツナが、今、己の腕の中にいること。
それが、酷く幸福だった。
腕の中の躰は、未だ、『幸福の証』には、『足りなかった』けれど。
「…………さ、戻ろう。本当に、風邪を引いてしまうし。それに、そろそろ眠いんじゃないの? セツナは」
「眠い……よりも、寒いです……。何でか、変な汗掻いて来ちゃいました。…………風邪、じゃないですよね……? シュウさんに、怒られる……」
だから、暫しの間、『幸福』には未だ足りぬ、『幸福』を味わって。
戻ろう、とカナタが促せば。
セツナは少しばかり身を縮めながら、小さくくしゃみをした。
──闇に支配された森の、梢の隙間から見上げる、雨上がりの夜空には。
何時しか、月と星が、戻って来ていた。
月光、そして星影、それ等に追いやられるように、気が付けば何時しか、紋章の灯火は消え、カナタやセツナの髪に乗った、雨の雫の艶も褪せ。
雨上がりの夜空は、冷たく、森中の彼等を、見下ろすばかりで。
────翌朝。
昨夜に宣言した通り、カナタとセツナの二人は、再び、あの小屋を訪れた。
やって来た二人に、共に城へ戻るかと、そう問われた男は、無言のまま、首を横に振った。
だから、もう彼等は、何も言わず、黙って。
小屋と、男の前より立ち去った。
そんな二人が、素知らぬ顔して本拠地に戻った後、真っ先にしたことは、盟主の部屋までやって来て、小言を垂れ流し始めたシュウをいなし、グリンヒルの戦役に関する、一枚の報告書のでっち上げと、行方不明者名簿の改竄だった。
偽りの発表を知ったら、男の恋人だった例の彼女は、身も世もなく泣き崩れるだろうけれど。
そんな偽りを拵えてしまうのが、最も手っ取り早い解決方法だと二人には思えたし、そこから先は彼女自身の問題で、彼のことを忘れてしまうも良しだろうし、忘られぬのも良しだろうし。
戦争が終わって、人々の心と想いが変わった時、実は、記憶を失ったまま生きていました、とか何とか、それらしい理由を付けて、例の彼が故郷の村へ戻ることも出来なくはないだろうから。
セツナも、そしてカナタも、真実は、黙して通すことに決めた。
──女性が一人、不幸になるけれど、そうしたい、と言ったセツナに、カナタが黙って頷いて、手を貸したことに。
「……こんな風にする、なんて言い出したら、マクドールさんにお説教喰らうかと思ってました。意外でした」
と、セツナが冗談めかして言ったら。
「別に、例の彼に対する温情だとか、そう言ったことで、セツナのやり方に頷いた訳じゃないよ。ああいう考え方の者を、無理矢理連れ戻したとしても、この軍の為にならない。延いては、君の為にならない。戦友を非難するような者は、軍には不要だし。脱走兵が出た、という事実も、不要。だから、今回は目を瞑っただけ。僕の理屈は、そういう理屈。……ああ、そうそう。口の堅さを信用してね、リッチモンドだけには、このこと話しといたから。見逃しはしたけど、セツナの率いるこの軍の名前使って、知らぬ所で悪さを働かれたら、厄介だからね。彼の落ち着き先、探っといてって、頼んでおいた」
カナタは、肩を竦めつつ、素っ気なく答え。
「………………マクドールさんのそういう所って、ものすごーー……く、軍人さんですよね……」
うわー……と、セツナが唇の端を引き攣らせる一幕も、まあ、影ではあったけれど。
それでも、事情を知らぬ城中の者達には、『何時ものお騒がせコンビの、グリンヒルへの旅、一泊二日』としか映らなかった『旅』の翌日は終わり。