カナタとセツナ ルカとシュウの物語
『Carousel』
見上げれば、随分と穏やかな空の色が窺える、晴天だったその日の午後。
トラン共和国の首都、黄金の都と名高いグレッグミンスターの街角の一つで。
「うわーん、駄目だってばーーーっ!」
少女程ではないが、それなりに高い、未だ、声変わりを迎えていない少年独特のトーンの、悲鳴が上がった。
……否、正確には、悲鳴と言うよりは、『懇願』であり、『泣き言』であるが。
兎に角、そんな声が上がった。
「あんなにあんなにあんなにあんなにっ! 言うこと聞いてねってお願いしたのにーーーっ! バドさんにも、言い聞かせて貰ったのにーーーっ! どうして、好き勝手するのーーーっ!」
甲高い声で叫びを放った少年と擦れ違う者達が、何事? と振り返り、注視する中。
己が注目を集めてしまっているとは気付かぬまま少年──デュナンの地で、ハイランド皇国と交戦中である同盟軍盟主、セツナは、きゃんきゃんと、目の前を『飛んで』行く茶色い塊達を追い掛け。
「ムクムクっ! ムクムクは、皆のリーダーでしょっ? 言うこと聞かせてよーーーっっ」
次いで、腕に抱えた茶色い塊へ、無謀な訴えを告げ。
「……ムゥ…………」
「マクマクっ! ミクミクっ! メクメクっ! モクモクっ! …………こっの……分からず屋ムササビ部隊っ! 脱走するなーーーっ! お願いだから、言うこと聞いてよーーーっ!」
申し訳なさそうに腕の中で鳴いた、ムクムクと呼ばれた茶色い塊を、渾身の力で抱き締めつつ彼は、物珍しそうに、きょろきょろ辺りを見回しながら飛び続ける眼前の茶色い塊達──四匹のムササビの名を叫んで、悪態も放って、追い掛けた。
──その、晴天の日。
セツナは、一寸した事情で生家に戻っていた大好きなマクドールさん──トラン建国の英雄、カナタ・マクドールを出迎える為に、五匹のムササビを連れて、グレッグミンスターを訪れていた。
最近ではすっかり居着いてしまっているデュナンの城を出立する時カナタは、所用が終わり次第自分から戻って来る、とセツナに言ったのだけれど、以前、マクドール邸を訪れた際、留守居役のクレオに、今度、『自慢のムササビ部隊』を見せると約束したから、「ムクムク達と一緒にお迎えに行きます!」とセツナは言い張って、その宣言通り、カナタの所用が終わる頃を見計らって彼は、五匹のムササビ達と共に、この街にやって来たのだが。
セツナと一緒に、幾度もグレッグミンスターを訪れたことのあるムクムクとは違い、残り四匹のムササビ達は、初めて見遣る街の様子に興奮したのか、出立前、「ちゃんと言うこと聞いてね?」とセツナより言い含められたことも、魔物や獣の言葉を解する魔物遣いのバドに、「セツナ殿に迷惑を掛けないように」と言い聞かされたことも忘れ、国境警備隊々長のバルカスが、常通り仕立ててくれた馬車より降りた途端、団子のように固まって、有らぬ方へと飛び始めてしまい。
それ故セツナは、唯一言うことを聞いてくれているムクムクを胸に抱き締め、残り四匹の後を追い掛けていた。
「あーもーーーっ。逆方向じゃないだけ、未だマシだけどーーーっ!」
身に着けた、色取り取りのマントを翻させながら飛び続ける四匹のムササビ達が彷徨っているのは、かつての赤月帝国貴族達ばかりが住まう一角──マクドール邸も存在する、瀟洒な館ばかりが建ち並ぶ通りへと続く辺りで、それだけが、唯一の救いだと。
相変わらず、道行く人々の注目を引きつつ、セツナは石畳の道を駆ける。
「ムクムクっ! メクメク捕獲っ!」
そうして、暫しの追いかけっこを彼は続け、漸く、手を伸ばせば届く所まで距離を縮めた四匹の内、一匹の捕獲を、腕から解き放ったムクムクに任せ、己は、右手でマクマクを、左手でモクモクを捕縛し。
「……………っ! …………あー…………」
────どうしたって、セツナの腕は、二本しかなく。
ムクムクでは、一匹を引き止めるのが精一杯だったから。
『おてんば娘』──ミクミクを、捕まえること出来ず。
世にも珍しい追いかけっこを繰り広げていた、その通りに面した館の一つから、すっ……と出て来た一人の女性に、手を逃れたミクミクの、桃色のマントがひらりと翻りながら近付くのを、
「避けて下さいぃぃぃ!」
……と叫ぶ間も与えられぬまま、唯、黙って見詰めるしかなく。
「うわああああ、御免なさいーーーーっ! すいませんっ! お怪我、ありませんでしたかっっ!?」
一瞬、ピシっと全身を強張らせた後、大慌てで彼は、顔面を蒼白にしながら、べっちゃり、顔面にミクミクが張り付いた女性へと駆け寄った。
「すいませんっ。本当に、御免なさいっっ! 大丈夫ですかっ? 引っ掻かれたりとかしませんでしたっ? あああ、どうしよう……」
「…………これは、お前のムササビか……?」
だが、ミクミクに、事もあろうに顔面に張り付かれても。
それなりに、獣の扱いには慣れているのかその女性は、慌てることなくミクミクを引き剥がし、四匹のムササビを引き連れ、懸命に頭を下げ続けるセツナを見下ろして。
「……随分と、珍しい『集団』を連れているな……」
怒りもせず、唯、うじゃうじゃといるムササビの一団、その存在のみに目を丸くした。
「あ、えっと、僕のムササビって言うか。正確には、僕の友達、なんですけど……って、あああ、そうじゃなくて! 御免なさい、ホントに……。あの、お怪我、ありませんでしたか……?」
トランでも、デュナンでも、ムササビはどちらかと言うと、人間に仇なす、害獣との認識が強いから、眼前の、すらりとした体躯の女性が、怒り出さなかったことにも怯えなかったことにも、ホッと安堵しながらも。
セツナは又、ぺこり、頭を下げた。
「気にしなくてもいい。これでも私は、武人だ。ムササビに張り付かれた程度のことで、怪我を負うこともない。──それよりも。一人で、五匹もムササビを連れ歩いて、平気なのか? 何処まで行く? 手を貸そうか?」
けれど女性は、微かな笑みを浮かべ、セツナの頭を上げさせ。
「ああ、平気です、大丈夫です、有り難うございます。僕、直ぐそこの、マクドールさんのお宅へ行くんです。だから…………──」
笑んでくれた彼女へ、セツナも、にこっと微笑みを返した。
「……マクドール……?」
「…………どうかしましたか? この街の方なら、ご存知ですよね? マクドールさん。カナタ・マクドールさん。僕、マクドールさんに会いに行く途中だったんです」
「カナタ…………。彼に、会う、と? 彼は今、この街に? ……帰って来はしたものの、デュナンの、新生同盟軍に手を貸しているから、彼はここにいない、と。噂では、そんな話だったが…………」
「その噂も、本当ですけど。マクドールさんが、今日はグレッグミンスターにいるのも、ホントですよ? ────あの、それよりも。御迷惑お掛けしちゃったんで、宜しければ後で、改めてお詫びに伺いたいんですけど。駄目ですか? あ、僕、セツナって言います」
…………だが。
手を貸そうか、と申し出てくれた彼女へ、セツナがカナタの名を出しつつ断りを入れたら、彼女の顔色は、傍目にもはっきりと判る程移ろい。
その様子に、ふーーん……、と、何やらを思ったセツナは、にこぱっと、一層笑みを深めて、そんな申し出を、彼女へと告げた。