カナタとセツナ ルカとシュウの物語
『英雄』
その日は、秋の心地よさに恵まれた日で。
もう間もなくやって来る冬の寒さも感じられなかったし、少しばかり強めの風と乾いた空気が、デュナン湖の湿気も飛ばしてくれていたから、屋外にいても過ごし易い日だった。
同盟軍の居城の、敷地内のあちらこちらに植わっている、大木の木陰に腰を下ろせば、自然、気持ちいいね、と云う台詞が、如何なる者からも洩れるような。
そんな、心地よい昼間だった。
故に、軍師達の『魔の手』から逃れ、午後の休憩と洒落込んでいる、同盟軍盟主、セツナと、今日もやっぱりこの城にいる、トラン建国の英雄、カナタ・マクドールの二人は。
商店街の片隅の、古木の根元に寝転がって、心地よさを貪っていた。
「気持ちいいですねー……マクドールさーん……」
「そうだねえ……。うたた寝してしまいそうだ……」
彼等が陣取ったその木陰は、商店街を抜ける通りからは、一寸した茂みに遮られる格好になっていて、とても目立たず、ぽけぽけとした会話を交わしながら、だらしなく横たわっていても、先ず咎められることはなかったので、デレン……とした姿勢で喋りながら彼等は、各々、自らの腕を枕に、眠りの中に落ちようとしていたが。
「いい天気だなあ……」
「そうだな」
彼等のように、空を見上げ、緑の上に腰下ろし、木陰にて、今日と云う日の恩恵を受けようと考える者は、少なくはなかったから。
不意に聞こえて来た何者かの会話に、二人の昼寝は邪魔される。
「こんな日が、続くといいんだがな。ティント市の協力も、得られるようになってさ……。このまま行けば、少しは楽出来そうだから」
「言えてる。……結構、しんどかったもんなあ、今まで……」
少年達の昼寝の邪魔をした何者かの会話は、トランの英雄に懐き中の盟主と、盟主を溺愛中の英雄が、直ぐ傍に転がっていることに気付かぬまま、ぽつぽつ、続いた。
「…………あー、兵隊さん達ですねえ……。トランからの援軍の人と……、ああ、キバさんに付いて来た、元ハイランドの人……かな?」
「みたいだね。……一寸、面白い組み合わせに見えないこともないけど。国も、確執も、何も彼も越えて、ああやって、出身も立場も違う人達が、仲良く語らってるってのは、良いことなんじゃないのかな」
続いて行く、兵士らしき二人の男の会話に、完全に眠気を飛ばされ、誰だろ? と、ひょっこり、茂みの向こうを覗いたセツナが、男達の正体に当たりを付ければ。
それを聞いたカナタが、この城の中で、人々がそうやって在るのは、良いことだ、と微笑んだ。
「ですね。喧嘩なんかしてみたり、いがみ合ってみたって、つまらないし悲しいですしね」
カナタの微笑みに、セツナも又、にっことり顔を綻ばせ。
「そう言うこと」
意を得たり、とカナタは、ふわり、欠伸を噛み殺した。
──だが。
トランより派遣された援軍部隊に属する男と、元ハイランド兵士だった男の繋がりは、己達の立場や出自を越えた、微笑ましいだけのものではない、と云うことに、如何なこの少年達でも、その時点で気付くことは叶わなく。
取り立てて、意識を傾ける訳でもなく、かと云って、意識から排除するでもなく、コロコロと、緑の上を転がりながら、兵士達の会話に耳を傾けてしまった二人に聞こえて来たものは、『微笑ましさ』よりは、程遠いものだった。
「そう云えば、シュウ軍師が、セツナ様のこと、探してたなあ」
「どうせ、何処かに消えちまったんだろ。セツナ様が同盟軍の盟主ったって、遊びたい年頃だろうしさ。昔、都市同盟の英雄扱いされてたゲンカク老の義理の孫息子だったから、シュウ軍師が担ぎ上げるには持って来いの少年だった、ってのもあるんだろうし」
「…………そうなのかね」
「……本当のことなんて、俺は知らないよ。唯、誰だっ高がそう云ってたのを聞いただけさ。輝く盾……って云ったっけか? その紋章のことも絡んでんだろうし」
────そんな、風に。
爽やかな風に乗り、セツナとカナタの耳に届いた男達の会話は、諸手を上げて聞いていたい、と少なくともセツナには思えぬだろうことだったから。
コロコロと緑の上で転がりながら、一瞬だけ、ぴくりと片眉を持ち上げ掛けたセツナを、カナタはそっと捕まえ、腕の中に抱き込んだ。
けれど、大きな木に凭れながら、話を続ける男達の声は止まなくて。
「ま、でも……。何にせよ、元々ハイランドの兵士だった俺達としては、複雑だよなあ……。結局、はさ。祖国に弓を射ることに変わりはないんだし。何処まで行っても俺達は、ここでは他所者、だしな。セツナ様だって元々は、ハイランドの人間なんだし。──云いたかあないし、本当の処、どんな経緯だったのか、俺は知らないが……。何十年前だかの、キャロの街を巡る、ハーン・カニンガムとゲンカクとの一騎討ち……。あの話の所為もあってさ。ゲンカクって爺さんは、ハイランドと都市同盟がこんなことになっちまった今は殊更、死んじまったって云うのに、厄介な存在だよ……。ハイランド、ではな」
「……ああ、キャロの街がどっちの領土になるかを巡って、ミューズでやったって云う一騎討ちの話か? 親友同士だったんだろ? ハーンとゲンカクって爺さん達。伝説の英雄だか何だか知らねえが……。ハイランドの人間にとっちゃあ、確かに厄介で、複雑な存在なんだろうな」
幼い頃、男達の語る、ゲンカク老師に拾われ、育てられたセツナには。
どう聞いてみても、好意的には受け取れない男達の言葉は、カナタがセツナを抱き込んだ後も尚、続いて。
「……結局、さ。ハイランドから見れば厄介物で、ミューズから見れば裏切り者……なのかね、ゲンカク老ってのは。──なら。ハイランドから見れば裏切り者で、ミューズから見れば厄介者……ってことになっちまうのか? セツナ様は」
「…………どーだかな」
──男達の口から。
低く、呟くようなトーンで、そんな台詞が洩れた時。
あからさまにその表情を変えて、カナタが、立ち上がろうとした。
「……マクドールさん」
が、にこにこと微笑み、カナタの胴着の裾を掴んで、セツナがそれを止める。
「セツナ、でもね──」
「──いいんですよ。云いたい人には、云わせておけばいいだけのことなんですから」
この城の、この軍の、盟主である者を捕まえて、その言い種は何だと、恐らくカナタは男達へ向けて、そう云おうとしたのだろうけれど。
その思いが汲めたから、セツナはそれを止めたのだろう。
「今、僕達が出てっちゃったら、向こうも気まずいでしょうし」
唯々微笑んで、セツナはカナタへ向けて、幾度か首を、横に振ってみせた。
だから、カナタは浮かせた姿勢を再び元に戻し。
先程よりも、少しばかり強い力で、セツナを抱き込んだ。
「英雄、ねえ……」
「英雄が、どうかしたか?」
何処か、息を詰めるようにしながら。
木陰に潜む少年達へ、男達の声は、未だ届き続ける。
「英雄って言葉で括っちまえばさ。ゲンカク老も、ハーン・カニンガム将軍も、セツナ様も……ほれ、お前んトコの、トランの……あのお人も、一括りだよな、と思って」
「…………ああ、カナタ様、な」
「そうそう。カナタ……マクドールっつったっけか。──トランのことは良く知らないが、あの年齢でさ、随分と、『英雄然』としてるよな」
「あ、それは言えてるかも。……三年前に終わった解放戦争の時は、俺は未だな、戦争に行くにはガキだったから、良くは知らないが。色々と、逸話っつーか、武勇伝っつーか、多いお人だ、とは聞いてるな。いい逸話も、悪い逸話も、あるらしいけど」
「悪い逸話? どんな?」
「トランにな。カクって街があるんだが……。何でも、そこで赤月帝国の部隊とやり合った時、帝国の部隊を率いていたのが、当時、百戦百勝、常勝将軍って詠われてた、テオ・マクドール……カナタ様の、父親で。帝国側に付いてた連中に言わせれば、カナタ様は、父殺しの英雄、って奴になるんだとよ」
────止まらない、男達の話が、セツナよりカナタのことへと移り。
父殺し、と云う単語が、少年達の潜む木陰に滲んだ時。
今度はセツナが顔色を変えて、立ち上がろうとした。
「……セツナ」
しかし彼が、腕の中から抜け出るより一瞬早く、カナタがセツナを押さえ込む。
「でも、マクドールさんっ」
「……いいの。それこそ、云わせておけばいい」
むっとした表情になって、茂みの向こうをセツナは睨み付け、不服そうにカナタの名を呼んだけれど。
カナタは綺麗に笑って、セツナの頭を撫でた。
「へーえ。父親と、ねえ……。常勝将軍ったら、赤月帝国では、英雄だったんだろう? それを、息子の英雄が討った、って訳か。ヤな話だなあ……。息子に討たれたんじゃ、浮かばれねえだろうよ」
「……かも知れない、けどな」
「結局、英雄ってなあ、何なんだろうな」
「俺が知るかよ」
「負けちまっても、死んじまっても、厄介者でも、親殺しでも、英雄は英雄、かねえ。……何だかな」
……己自身へ投げ掛けられた言葉ではなく。
カナタは腕の中のセツナへ、セツナは抱き締めて来るカナタへ、男達がぶつける勝手な言葉に、何時も、それぞれに湛え続けるそれぞれの微笑みを、今だけは僅か崩し。
彼等は同時に、瞼を閉ざした。
「──────知りたいか?」
が、その時。
二人が潜む茂みの向こう、男達が大木に凭れている側より、兵士達のものではない、低い男の声がして。
ふっ……と、やはり二人は同時に、瞳を開いた。