カナタとセツナ ルカとシュウの物語

『密かな始まり』

「……セツナ。もしかして、風邪でも引いた?」

つい、二、三週間前。

端で見ていた者達の感想の言葉を借りるなら、『ぼんやり』と釣りをしていたバナーの村で出逢ったばかりの少年、セツナの顔を覗き込んで、トラン建国の英雄カナタ・マクドールは、眉間に皺寄せつつ尋ねた。

己が生家の居間で、渋い顔を作ってみせた彼が、トラン建国の英雄と云う肩書きを持つ、外見的には少なくとも、『少年』ならば。

「いいえ? そんなことありませんよ、マクドールさん」

風邪引いた? と覗き込んで来た顔に、不思議そうな表情を返した少年セツナは、今、戦争と云う国情を抱えている、トランの隣国デュナンの地に立つ同盟軍の盟主である。

が、彼等は今、世界中何処にでもいる、一介の『少年』のような風情で、午後のティー・タイムを、今正に、始めた処だ。

バナーの村で知り合った際、互いの素性と立場を知った彼等は、誠に語弊のある例えではあるが、『馬鹿兄弟』のような間柄になったから。

傍にいてあげるね、と云いながら、でも立場のある君の傍に、のべつまくなし僕がいると云う訳にもいかないからとも云って、事あるごとに、故郷の街、グレッグミンスターに戻ってしまうカナタの元を、セツナが『詣でる』と云う図式が、この二、三週間の間に、早くも形成されていて。

その『お約束』に従い、その日もセツナは朝から元気に、デュナン湖畔に建つ同盟軍本拠地を、へーきだから、と大人達を振り切って一人出立し、トラン共和国の首都、グレッグミンスターはマクドール邸を訪れた。

コンコン、と、瀟洒な造りの玄関に掲げられた、これ又瀟洒なノックをセツナが打ち鳴らしたのは、マクドール邸の留守居役であるクレオが、

「そろそろ、午後のお茶でも淹れましょうか」

と、リビングの椅子より丁度立ち上がった瞬間で。

セツナは、マクドール邸の午後のお茶に相伴することになり、クレオの代わりに、セツナが作り、手土産として持参したから、その日の茶請けと相成った、とても甘さが控えられたフルーツケーキに合うかなと、一応は、客人と云う立場であるにも拘らず、カナタとクレオと自分の為に、ミルクティを手ずから淹れた。

何故、そんなことをさせる訳にいかないと云ったクレオを制してまで、彼が茶を淹れたかと云えば、午後のティー・タイムの相伴に預かる細やかな返礼と、クレオは確かに女性であるから、カナタよりも家事が上手いけれど──カナタとて、家事が出来ない訳ではないが──、そのクレオより、セツナの方が、例えば茶を淹れることが上手かっただけの話だ。

だから、さっさと茶を淹れる支度を始めたセツナに、クレオは恐縮したけれど、家主であるカナタもカナタで、自分よりもクレオの、クレオよりもセツナの淹れた茶の方が、より美味しいことを充分知ってしまっていたし、何より、セツナの淹れたお茶飲みたいし、と云う多大に『不純な』動機を以て、『客人』に甘えてしまったから。

切り分けられたフルーツケーキと淹れたてのミルクティとで、三人は、午後の茶の時間を嗜み始め。

カナタが、セツナの手土産である、フルーツケーキを一口食べて、ミルクティをやはり一口飲んだ処で…………────話は戻り。

「……そう? ならいいけど……。でも…………」

ケーキを食べ、茶を含んだ途端、おや? と云う顔をしてカナタはセツナに、風邪でも引いたのか、と問い、違う、と云う回答を貰って、それでも納得いかぬように、渋い顔を作り続けた。

「何でですか?」

音も立てずにカップをソーサーへ戻し、けれどもうフォークを取り上げようとはしないカナタに、ケーキを食べ進みながらセツナは、ふん? と首を傾げた。

「君が来た時から、気にはなっていたんだけど……」

「…………? 何がです?」

「いやね、あんまり、顔色が良くないな、って思って。でも、バナーからここへ来る間に……ほら、今日はセツナ一人で来たから、疲れでもしたのかと……だから、顔色もあんまり優れないのかって、考えてたんだけどね。その……こう云ったら申し訳ないんだけど……。失敗してるよ、セツナ」

「へ?」

「……フルーツケーキ。異様に甘いよ、これ。セツナが甘い物が好きで、僕があんまり甘い物が得意じゃないにしても……この甘さは一寸、酷過ぎる。幾ら何だってセツナ、こんなに甘いケーキは作らないだろう? でも、さっきから見てれば、普通の顔して食べてるし。ミルクティも一寸……葉の量間違えたのかな、って味だから」

何を云われているのか判らない、そんな顔になって、コクコクお茶を飲みながら自分を見返して来るセツナに、カナタは、渋い顔を解かない理由を告げ始めた。

「………………甘い?」

「あ……。ええ……まあ…………」

尋常でない程、このケーキが甘いとカナタに教えられ、セツナがそのまま目線だけをクレオへ移せば、クレオも困ったような、曖昧な表情を作りながら、こくりと頷き、家主の弁を肯定した。

「でも……。マクドールさん、あんまり甘い物得意じゃないって、ビクトールさん達に教えて貰ったから、甘さ控えめにしたんですけど……。そんなに、甘いですか……?」

「うん。──物の味、判る? セツナ。今、セツナの味覚、もしかしたら馬鹿になってないかい? だからね、顔色も悪いし、風邪引いてる? って、僕は聴いた」

握り締めたフォークで、ツンツン、と自分の分のケーキの端を突き、零れ落ちた欠片をペロっと舌の上に乗せ、甘く作った筈はないのに、と訝しがるセツナに、多分、味が判ってないんだよ、とカナタは云った。

故に、風邪でも引いたのではないか、と再度。

「……あー……云われてみれば……昨日から、あんまり御飯、美味しくないなあ……とは思ってましたけど……。でも、熱もないですし、今日の朝もちゃんと起きられましたし、朝御飯も食べましたし……。すこーしダルいかなあ……なんて、それは思いますけど……。マクドールさんに顔色悪いーって云われたから、そうなのかなーって思って来たって気もしますし……うーん…………。──────あ……」

すればセツナは、記憶を辿るような顔になって、暫し考え込み、やがてぽつり、呟いた。

「どうしたの? 何か、心当たりでもある?」

「いえ、そう云う訳じゃ」

本当に小さく洩らされた呟きを、聞き漏らすことなく拾い上げ、何だとカナタが問えば。

セツナは、ほんわりと微笑んで、ふるふると唯、首を横に振った。

「…………セツナ」

「ホントです。ホントに何でもないんです。一寸、疲れてるんです。それで、ボーっとしてるだけなんですよ、僕。良く、やっちゃうんです。──お茶淹れ直して来ますね」

そんなセツナの態度を、クレオはどう受け取ったのか判らないが、カナタは一目で、何か隠し事をしていると見抜き、ほんの少しばかり、少年を呼ぶ声のトーンを変えたけれど。

ほわほわと笑んだまま、大したことじゃないです、とセツナは、軽快にリビングの椅子から飛び下り、ポットを手にすると、足早にキッチンへと消えた。

「セツナ君……本当にあんまり、顔色良くないですね……」

たたっと小走りに出て行った、小柄な少年の背を視線のみで追って、クレオがカナタを振り返った。

「ああ。でも、あの顔色のまま、セツナが一人で出て来るのを、あそこの連中が許したとも思えないから……何か遭ったのかな、ここに来るまでの間に。でも、だとすると、フルーツケーキの味が説明付かない。セツナが来た時間を考えたら、今日の朝このケーキを焼いた、とも思えないしね」

気遣わしげな顔になったクレオの云うことに、ゆっくりと頷きながら、カナタはふむ……と腕を組んだ。

もしかしたら、風邪の引き始めとか、そう云う類いのことかも知れない、と考えながら。

「…………何か遭ったな、これは」

──しかし。

セツナが向かったキッチンの方角から、陶器が割れる甲高い音が響いて来た途端、気楽な思考をカナタは捨てて、素早く立ち上がった。