家主が、三年にも亘り家を空けていたと云う事情と、二、三週間程前に、ふらりと戻って来てよりも、隠居に近い生活をしている、と云う事情があるから。

その日は、急な出来事が起こっても、直ぐに使えるような整えは、マクドール邸の客間のどれにも、施されてはいなかった。

だから、セツナが持っていたポットが床に落ちた際の破壊音を聞き付けて、キッチンに駆け付けたカナタが、どうやら不意に意識を失って床に倒れたらしいセツナを抱き起こし、小柄な体を横たえてやった先は、カナタ自身の部屋だった。

「納得いかない…………」

倒れると同時に、セツナはポットを落としてしまったらしく、飛び散った、未だ熱を持つ紅茶と陶器の破片に塗れたセツナを介抱しながら、クレオを大統領府へと走らせ。

引っ張って来て貰ったリュウカン医師の見立ては、極度の疲労、と云うそれだったが。

名医であるリュウカンの診断を疑う訳ではないが、カナタは、ぶつぶつ、納得出来ぬと零しながら、黄昏れ時の光が射し込む自室の、ベッドの片隅に腰掛け、セツナの髪を撫でつつ、考え込んでいた。

「あれ……えっと…………」

────名医であることを、充分過ぎる程に承知しているリュウカンに、疲労、と云われて楯突ける程、カナタは『無謀』ではない。

眠り続ける少年の立場や現在の境遇を考えれば、疲れに倒れさせられた、と云う話も、十二分に納得出来る。

が、それでも、と。

何処か釈然としないまま、眠り続けるセツナの髪を撫でていたら、ぴくりとした身動みじろぎが掌に伝わった直後、目覚めたらしい少年が、薄らと瞼を開き、ここは? と云う呟きを洩らしたから。

「気が付いた? セツナ。大丈夫、ここは僕の家で、僕の部屋だから。覚えてるかな、キッチンで倒れたこと」

至近距離で相手の顔を覗き込めるまで、カナタは身を乗り出した。

「リュウカン先生は、疲労だ、って。そう云ってたよ。熱はないみたいだけど……何処か、痛いとか、ダルいとか、ある? ちゃんと御飯食べてる? 無理をし過ぎてるんじゃないのかい? 君は」

「……そう云う訳じゃ……。……そうですか……僕、倒れちゃったんですか……又……」

息が掛かる程近くまで顔を寄せられて、矢継ぎ早にカナタに問われ、セツナはパチクリと瞼を瞬かせたけれと、やがて、あちゃ、と云う顔になって、又か、と零した。

「又?」

「う。あ、えっとですね…………」

セツナにしてみれば、又か、と云う呟きは、無意識に洩らしたそれだったようだが、しっかりとそれを聞き届けたカナタにしてみれば、ふーん、と聞き逃せる台詞ではなく。

覗き込んで来た人に、何か云いたそうに言葉尻を繰り返されて、ヤバい、と云う表情をセツナは拵えた。

「云わなかったっけ? 僕は。僕の前でだけは、何も彼も晒していいんだよ、って」

「…………あー、云われました、はい……」

「なら、セツナ。ちゃんと白状するように。……君は何処か、悪いの?」

「……ですから、そのー、あのー、そう云う訳、じゃ……──

──セツナ」

「うー、あー……あのぅ………でもぅ…………」

「せ・つ・な・く・ん? 何か云った?」

「何でもありません…………。────あのですね…………」

──マズい所で、マズいタイミングで、マズい人の前で。

云わなくても良いことを、洩らしてしまった。

そんな顔になったセツナは、ぐずぐずと、カナタの追求を退けようとしていたけれど。

僅かの攻防で、誤魔化したい、そんなセツナの願いは露と消え。

攻防の勝者となったカナタに、ぽつぽつ、セツナは事情を語り始めた。

「何処か、悪い所があるって云う訳じゃないんです。あの……話せば長いことなんですけど……前に、マクドールさんに立ち合って下さいってお願いして、二人で風の洞窟に行った時、僕云いましたよね、ジョウイの話」

「ああ、聴いたよ。君の親友君だろう?」

「ええ。で、僕とジョウイが紋章分け合ったって云うのも、云いましたよね。………………僕が倒れるの……どうも、紋章の所為みたいなんですよね」

「紋章の、所為……?」

「えっと……未だ、マクドールさんと出会う前に、トゥーリバーの街でキバさん達と戦った時だったかな……に、僕、初めて倒れたんです。疲れちゃったのかなー……なんて、考えてたんですけど……その時に僕、夢を見たんです。ジョウイの出て来る、夢」

カナタのベッドに横たわったまま、じっと天井を見上げ、胸許辺りで両手を組むようにして、淡々とセツナは、語った。

「夢、ねえ……。どんな?」

「ルカさんがいて。ハイランドの偉い人達も沢山いて。……ルカさん、凄く怒ってて、ソロン・ジーって云う人を、処刑するがどうのって云ってて、その後、グリンヒルを陥してみせるって云う者はいないのかって怒鳴ってて……。そうしたらね、ジョウイが出て来たんです。……ジョウイ、ルカさんに向かって、自分がグリンヒルを陥としてみせます……って、そう云って……。兎に角、そんな『夢』、見たんです……」

「……そう。──それって……トゥーリバーでの戦いの直後、なんだね? グリンヒルの出来事の後ではなく」

ほんの僅か、悲しそうな顔を作って話を続けるセツナの髪を、何時までも撫で続けながら。

カナタは顔付きを、一層真摯な物にした。

「ホントにグリンヒルが陥ちたって云われて、グリンヒルに行って、ジョウイと再会して。……判ったんです。僕が見た『夢』は、夢じゃなかったんだ……って。あれはきっと、本当にあったことなんだ、紋章を分け合った僕達は、離れ離れになっても、何処かで『繋がってる』んだ……って……」

「そうかも知れないね。……でも、それと、君が倒れることの繋がりは、何?」

「…………そんなことがあってから、僕、たまに倒れるようになっちゃったんです。で、倒れる度に……って云う訳じゃないんですけど、その度ごとにって言えるくらい、倒れると、ジョウイの『夢』、見させられるようになって、ジョウイが何をしてるのか、判っちゃうようになって……。ハイランドにある、ルカさんがミューズで力解放しちゃった『真なる獣の紋章』、あれを何とか押さえ込もうって、ジョウイが黒き刃の紋章使っているのも、あの紋章使う度に、ジョウイが倒れそうになってるのも、判っちゃって…………。でね、マクドールさん」

「ん? なぁに?」

「ふって、僕、この間思ったんです。その…………僕……あ、駄目って思っても、出来る限り、お城の皆の前では倒れないようにってしてるから、僕が倒れたこと、皆は、数える程しか知らないんですけど……本当は、皆が知ってるよりも、ずっと回数は多くって……で……良くよーーーく考えてみれば、僕が倒れる時って、輝く盾の紋章を使った時ばっかりなんです。それに僕、気付いて……。何時だったかルックも、まるで独り言みたいに、不完全な真の紋章は、不老にはならないくせに厄介物だし……とかってぶつぶつ云ってたのも聴いちゃって」

「ルックが?」

「……ええ」

「…………そう。…………それ、で?」

「それで…………────

続いていく、セツナの話に耳を傾けている途中。

ルック、と云う名前が飛び出て来たのを受けて、カナタは一瞬、あの馬鹿、と云うような色を、頬に掠めさせたけれど。

瞬く間に表情を元へと戻し、セツナの話の、先を促した。