カナタとセツナ ルカとシュウの物語

偉器いき

夏の頃は、肌にまとわり付く程に、湿気を含んだ鬱陶しい風を渡らせていたデュナン湖も、冬の足音が聞こえ始めた晩秋ともなれば、冷たく乾いた風を、送り届けて来る。

もう間もなくすれば、この、冷たく乾いた風は、刺すような痛さを伴う、冬の風に変わる、そんな兆しを孕みながら。

風は、デュナン湖の畔に建つ、同盟軍本拠地の古城近くの、広い広い草原に、情け容赦なく。

だからその時、そんな草原の片隅で油を売っていた男達は、冷たくなったなあ、と感じられるようになった湖の風に当たって、皆一様に、少々、首を竦めた。

──所々、往来を通らず近在を行き来する者達が踏みしだいた跡のある、枯れ始めた草の上に座り込んで、午後の休憩、と洒落込んでいる彼等は、同盟軍の一般兵士達だ。

戦のなかったその日、どの名前を挙げてみても、人は良い、と言い切ることが出来る、が、ひと度戦のこととなれば存外の厳しさを見せる、彼等の『上官』達に、午前中一杯、訓練で絞られた兵士達は、ハイ・ヨーが仕切るレストランで昼食を摂った後、食休みと称して、草原の片隅まで、ぶらつきにやって来ていた。

……まあ、俗に言う、サボりの最中なのだ、彼等は。

彼等の『上官』は皆別人で、即ち彼等が属している部隊は、全て別々だけれども、上層部の者達の個室とは違って、お世辞にも、すこぶる快適な広さを誇るとは決して言えない、一般兵の為の兵舎で、長く寝起きを共にしていれば、属する隊の区別などなく、親しくもなる。

出自も、育った村や街も、同盟軍に与するにまでに辿った人生の成り行きも、これっぽっちも重ならないし、性格も、てんでんばらばらだけれども。

生きるか死ぬかの戦いを、幾度となく越えて来た、戦友、という関係は、何物にも変え難い程強い物だから。

与えられた部屋が近いとの事情もあって、彼等はよく、食事やサボリの時間を共に過ごしていて、その日も揃って、草原の片隅へと、足を向けたのだ。

今、彼等がいる場所は、彼等が休息を取る際の、『お約束の場所』、という訳ではない。

たまたま、という奴だ。

仲間の誰かが言い出した、「たまには、城の喧噪が聞こえない所まで行って、ちょいとのんびりしようや」との科白に頷き、僅かの遠出をしてみただけ。

冬将軍の足音が聞こえてもおかしくないこの時期に、わざわざ好んで、吹きっ晒しの草原を、毎日の休憩所に選ぶ程、彼等とて酔狂ではない。

所謂、偶然。

だが、その『偶然』の所為で、彼等は、彼等の同盟軍の、盟主セツナと。

彼等のような、一般兵士達の間でさえ知らぬ者はいないくらい、セツナのことを『溺愛』して止まない、トラン建国の英雄殿、カナタ・マクドールの二人が、何やらをしている姿を、目撃することになった。

「今日の訓練は、しんどかったなー……。今日のビクトール隊長、情け容赦がなくってさ……」

「……なーに言ってんだか。いいじゃねえか、お前は未だ。ビクトールさんは、それでも未だ、『大雑把』だろう? 家の隊長なんか、生真面目な事この上ねえから、気も抜けねえんだぞ」

「あー、フリック隊長なー……。確かにあの人は、生真面目かも。でも、青騎士連中んトコの、マイクロトフ隊長よりはマシなんじゃねえの? フリック隊長の方が。……ま、俺に言わせれば、ビクトール隊長だろうがフリック隊長だろうが、大差ないと思うがなあ」

「…………あ、そうか。お前の隊の上って、ゲオルグ殿だっけ?」

「そーそー。あの人。……おっかねえぞー、あの人が本気の顔すると」

──『サボり』の始まり。

草の上に腰下ろして寛ぐ彼等は、空や、湖に目を走らせながら、口々に、そんなヨタ話を言い合っていて。

しごかれる身の上ってのも辛いよなあ、とか何とか、冗談を言い合いながら、笑っていたのだが。

「そう言えばさ。お前んトコの隊、今日だっけ? 明日だっけ? 宴会すんだって?」

「ああ。家の隊長、三度の飯より、酒好きだから。すっかり、家の隊の名物だよ、時折の宴会。隊長の酒は、賑やかな、良い酒だから、楽しいぜー。……でもさあ、隊長、酔っ払うと時々、無茶言い出すんだよ」

「例えば?」

「踊れー、とか、歌えー、とか。何か、芸の出来る奴はいねえのかー、とかさ。歌を歌わせられる程度なら、どうってことないけど。芸、って言われてもなあ……。そもそもは田舎者の俺等に、早々、酒の席での芸なんか……」

「芸、ねえ……。…………あ、お前一つ、特技あんじゃん」

「特技? あ、あれか? 声が届かなくても、喋ってる奴の唇見てりゃ、何言ってるか判る、って奴か? あれは従兄弟に、喋れない病に掛かった奴がいたから、何となく出来るようになっただけのことだし。第一、酒の席の余興になんかならねえよ」

ヨタ話が、彼等の隊の一つで近々行われるらしい、宴会の話に辿り着いた頃。

ふと、秋風に薙がれる雑草の向こう側に、赤い色の何かが蠢いているのを見付けた彼等の内の一人が、膝立ちになりつつ視線を細め。

「……? あれって……、セツナ様と、マクドール様じゃないかな。何やってんだ? あのお二人は」

ぼそっと、そんな風に呟いたのを切っ掛けに、兵士達はヨタ話を中断し、皆揃って、仲間の一人が指差した方角を見遣った。

「お、ホントだ。セツナ様にマクドール様だ」

「…………立ち合い、してるみたいだな」

「あー、うん。それっぽい」

半立ちになった仲間に倣って、他の者達も又身を起こし、草原の向こうで蠢く、二つの赤い影へと目を凝らして、カナタとセツナの二人が、立ち合いをしているらしい、と知る。

「……………………良いもの、見られるかも」

棍を右手に立つカナタと、トンファーを構えながら飛び跳ねている風なセツナとを見比べ、男達の一人が、独り言のように言った。

何時ぞや、己の所属する部隊にての世間話の途中、盟主殿と英雄殿のことが話題になった際、隊長であるビクトールが、「あの二人の立ち合いは、見ていて飽きない」と洩らしたのを、彼は覚えていたらしい。

本拠地の西棟にある訓練場でも、稀に、カナタとセツナの二人が、立ち合いらしきことをしているのを、見掛けない訳ではないが。

訓練場は大抵の場合、数多の兵士が犇めいているから、セツナもカナタも、そこにての修練は極力遠慮している様子で、ビクトール曰くの、見ていて飽きない二人の立ち合いを、その目にすること出来た者は、一般兵の中では、存外少ないのだ。

それ故、彼等は。

これは、降って涌いた幸運かもと、のそのそ、身を低くしたまま、立ち合い中の二人へと、近付いて行った。

「……ツナ。今日は、何処まで頑張るの?」

セツナ様とマクドール様の、武術稽古の邪魔をしてはいけない、との一念と、サボリ中、とのバツの悪さから、こそこそと、忍び寄る風に、彼等が二人へと近付いたら。

冷たく乾いた風に乗って、カナタの声が流れて来た。

「勿論、マクドールさんに一発喰らわせるまでですっっ! 今日こそ、降参って言いませんっっ!」

まるで、四季折々の景色の移ろいを楽しんでいるかの風情で、悠然と、草原の直中に佇み、彼等の目にはどうしたって、只、何の意識も払うことなく、棍を手にしている、としか映らぬカナタがセツナに話し掛ければ、気合いは充分、と言った表情で叫ぶ、セツナの威勢の良い声が上がった。

「本当に? 今日こそ、降参って言わずに、僕に一発喰らわせるの?」

「はい、勿論! 僕は毎日、そのつもりですっっ!」

「…………大分、風が冷たくなって来たから。体、冷える前に止めようね。暖かいお茶、飲みたいだろう? セツナだって」

「……どーゆー意味ですか」

「ん? 元気が良いのは良いことだけど、元気が良過ぎると、午後のおやつもお夕飯も、食べ損ねかねないよ? って意味。……さー、今日の午後のお茶は一体、何時になるかな?」

「マっ……マクドールさんの、苛めっ子ーーーーっ! くぅぅぅぅやしーーーーーーっ!」

元気一杯目一杯! な、声変わり前の、何処となく幼い感じの叫びに返されるのは、落ち着きのある、ゆったりとした声音で、その声が、からかいめいた科白を吐く度に、幼い方の声は、トーンの強さを増し。

兵士達が、こっそり見学中なのに、気付いているのかいないのか、見学者達にもはっきり見て取れる程、ぷーっとセツナは頬を膨らませ、トン……と身軽に、大地を蹴った。