カナタとセツナ ルカとシュウの物語

『帰らざる河』

ぽわっと。それを思い出す度、何時でも興奮出来る、とでも言うように。

今は目の前にいるトラン建国の英雄カナタ・マクドールが、故郷の街・グレッグミンスターへ帰っていた時に起こった出来事を、ハイランド皇国と交戦中の同盟軍盟主であるセツナは、眼前の人──即ちカナタへ懸命に語っていた。

「……何かもう……兎に角、凄かったんです。お乳の匂いとか、凄くするんですよ。未だ六ヶ月目くらいだって言ってたのに。凄くお乳の匂いがして、すっごく、お母さん、って感じで。僕もう、どきどきでした。お腹に、手、当てさせて貰った時なんて、もーーー…………」

「ふうん。貴重な体験、出来て良かったね、セツナ。あの女性特有の神秘だけは、僕達男には立ち入れないからなあ……」

だから、その時のことを思い出して、ちょっぴり頬を赤くし語り続けるセツナへ、にっこりと、カナタは微笑みつつ言った。

────三日前、セツナの城である、ここ同盟軍本拠地よりカナタが『里帰り』をしていた折、城の居住区前の庭で、日光に当たりながら小さなお包みを編んでいた、数ヶ月後に生まれて来る命を宿した難民の女性のお腹を、セツナは触らせて貰ったそうで。

その体験を彼は今、切々とカナタに語っている。

推定で十五歳前後という年齢に達しても、カナタに知識の訂正を喰らっても、『未だ』セツナは、結婚した男女が一緒に布団に包まれば、何処からともなく赤ん坊という者はやって来る、と思っている節があるが。

流石に、コウノトリが赤ん坊を運んで来る、とか。

畑の中から赤ん坊は穫れる、とか。

そこまでのお伽噺は信じられなくなった『お年頃』のようで、女性の体内に赤ん坊は宿る程度のことは理解しているらしく、昨日夕刻、『里帰り』から戻って来たカナタと二人、朝からその話を。

「今、半年目で、えーと? 後四ヶ月……したら? 赤ちゃん、産まれて来るんですって。……お産って、どんななんでしょーねー。その人と一緒にいたお婆さん達は、凄く痛いんですよー、って僕のこと脅したんですけど……。……でも、どうやって、何処から、赤ちゃんって出て来るんです? 何で痛いのかな……。………………お産って、見せて貰えるのかな……」

そうして、止まることなくセツナの口は動き続け。

「…………まあ、その。何と言うか……」

今一つ現実を理解していない彼の疑問に、何と答えてやれば良いのかカナタは悩み、

「まあ……、男は、見ない方が良い……みたい、だから。赤ちゃんが産まれて来たら、赤ちゃんだけ、見せて貰うといいよ」

結局、乾いた笑いを口許に漂わせてセツナを諭した。

「そなんですか?」

「うん、多分ね」

その、何処か曖昧なカナタの口振りに、セツナはきょとんと首を傾げ。

女性の領域に、男が立ち入るもんじゃないよ、とカナタは諭しを続け。

「セツナ様」

と、二人が語らっていた城の最上階──セツナの部屋の扉が叩かれ、兵士の一人が、相済みませんが、と入室して来た。

「はーい、なぁに?」

姿見せたその兵士に、にこっとセツナは笑い掛け、腰掛けていた寝台から立ち上がる。

「トランから、急ぎの便が」

近付いて来た盟主へ兵士はそう言って、携えていた書状を手渡した。

「トランから?」

「ええ、マクドール様に宛てて」

「……マクドールさんに?」

「はい。マクドール様に宛ててです。──それでは、失礼致します」

受け取ったそれを眺め、何だろう? とセツナが首を捻ったら、兵士は、セツナではなく、カナタに宛てられた手紙だと念押しし、部屋を辞して行った。

「僕に、ねえ……」

何故、自分に宛てて、故郷から手紙が? と訝しみ、やはり座っていた寝台から立ち上がってセツナの傍らに寄ったカナタは、はい、と手渡されたそれをひっくり返し。

「……え?」

と、小さく声を上げた。

「…………どうかしました?」

「それが……。セツナも知ってるだろう? ほら、家の近所の宿屋の。マリー。彼女から」

「え、宿屋の女将さんの?」

「そう。……何だろう…………」

放たれたカナタの声に驚いて、一緒になってセツナが封書を見遣れば、カナタは差出人の名を告げ、封を切り、中身を取り出し、さっと目を走らせて、

「……………………。帰って来て欲しい、って」

そこに綴られていたことをセツナに伝えた。

「え? 何か遭ったんですか?」

「うん。昨日、僕がグレッグミンスター出た後急に、クレオが熱出して寝込んだって。風邪のようだから心配はしなくてもいいけど、クレオの熱が下がるまででいいから、帰って来い、とも」

「え、え、え? クレオさんがっ? じゃあ、直ぐにでも帰らないと駄目じゃないですか、マクドールさん! あ、僕、一緒に行った方が良いですか? クレオさんの看病、お手伝いした方がいいですかっっ?」

マクドール家の者達と近しい付き合いをしている宿屋の女将よりの『訴え』を、カナタの声を通して知って、セツナは、わたわたと慌てた。

「あ、ううん。それは大丈夫。マリーが面倒見てくれてるみたいだし。三年も行方晦ませて、やっと帰って来たんだから、何をするでなくとも、具合が悪い時くらい、クレオの傍にいてやれってことだろう、多分ね」

「…………あ、成程」

「んーー……。そういう訳だから、セツナ。御免、一寸もう一度、グレッグミンスター行って来る」

「はいっ! えっと、ビッキーでいいですか? それとも、ルックにお願いします? 早い方がいいですよね」

「いや。マリーがいるし、あの街にはリュウカンもいるし。僕一人なら、バナーの峠を越えるのも雑作無い話だから、何時も通りで。──気遣ってくれて、有り難う。クレオの熱が下がったら、又こっち戻って来るから。……四日後ぐらいにね。僕の方から来るよ」

だが、どうしましょうっ! と慌てふためいたセツナを穏やかな声と髪を撫でる仕草で落ち着かせて、少しばかり急いだ風に、カナタは帰郷の支度を始めた。

「お見送りしますー。クレオさんに、お大事にって伝えて下さいね」

「うん、判ってる。有り難う」

そうして、手早いカナタの支度が終わって直ぐ。

二人は足早に部屋を出て、『えれべーたー』の中へと消えた。