トラン共和国の首都、グレッグミンスターで最も大きい宿屋を営むマリーより、マクドール邸の留守居役クレオが寝込んだ、との報せを受けて、カナタが故郷の街へとんぼ返りしたその日。
仕方がないことだけど、マクドールさん帰っちゃったから暇になっちゃったし、クレオさんのこと気になるからお仕事って気分にもならないし、でももう直ぐグリンヒル取り返す戦争しないとだしー、何か落ち着かないー……と。
マクドールさん、どうしたかな、クレオさん、どうしたかな……、そんなことばかりを考えながら、一日、漂うように、何時もよりも『多め』にほわほわした風情でセツナは過ごした。
そして、夜半が近くなっても彼は、寝損ねた、とでも言う風に、酒場に屯っていたビクトールやフリックの二人と無駄話をしていたが。
「いい加減、お子様は眠れ」
と傭兵コンビに促され、渋々、部屋へ戻る覚悟を決めた。
──この彼はこんな性分だから、一人でいるよりは誰かと、静かな場所よりは賑やかな場所の方を、より好みはするけれども。特別、寂しがり屋な質、という訳ではない。
が、バナーの村でカナタと知り合い、共に過ごす時間が右肩上がりに増えて、その結果、彼と共に一つ寝台の中でその日一日を振り返りつつ語らいつつ、その果て喋り疲れて眠る、といった『日常』を送り始めてよりは、どうにも、カナタと共に眠れないと調子が狂うようで。
「一人で寝るの、何かヤだなー…………」
ビクトールやフリックや、女主人のレオナに追い出された酒場を後にしても、ほてほて、気の進まない様子で自室へ向かった。
しかし、夜という時間を──否、それが例え夜でなくとも、共に過ごして、一緒に毛布に包まって眠りたい、と思う相手など、セツナにはカナタしかおらず。
「いいや、お布団被って寝ちゃえばいいもん。直ぐに朝になるもーーーーん」
平気平気、と彼は勢い良く自室の扉を開いた。
──バンッ! と、けたたましい開閉音を伴って戻った部屋には、城内で立ち働く女衆の誰かが気を利かせてくれたのか、部屋の中央に設えられている大きな卓の上と、寝台の脇の小机とに、それぞれ燭台が置かれており、
「………………誰か、いるでしょ?」
明るい室内を進んだ彼は、大卓の灯りを消そうと真っ先にそこへ近付き──が、その途中で、持ち上げ掛けた腕を止め、振り返った。
「…………同盟軍盟主、セツナか?」
「そうだよ。…………で? 貴方は?」
すれば、彼の問いに答えるように、寝台を覆う天蓋の影から、ゆらり……と影が現れ、姿見せた、女の形を取った影へ、セツナは小首を傾げてみせた。
「……ならば、セツナ。その命、貰い受ける」
潜んでいた己の存在に気付き、名を問う言葉に飄々と答えてみせた彼へ、一目で異国の者と判る風体の彼女は、キッときつい眼差しを送り、腰帯に下げていた鞭を取り上げ構え、問答無用、と襲い掛かって来た。
命を寄越せ、と言いながら。
「……こーゆー時、部屋が広いって、却って頂けないよね」
暗殺者である彼女が振るう鞭が、石造りの床に触れる度に立つバシリという音を聞きつつ、この手の武器を振るうだけの余地がある部屋というのも考えもの、と。
ぶちぶちと、口の中で文句を呟きながらセツナは、腰のトンファーを抜き、構えた。
「んー。不利なんだよねー、トンファーで皮鞭の相手するのって」
…………が、己の得物と相手の得物では、どうにも分が悪い、と思い直して彼は、トン、トン……と、跳ぶような足捌きで部屋の隅へと退き、
「シュウさん、お部屋壊したら御免なさーーーい」
そんな風に、今この場にはいない正軍師への詫びを告げ。
「我が輝く盾の紋章…………──」
素早く詠唱すると、彼女が距離を詰めて来るよりも早く、その右手を掲げ、輝く盾の紋章を輝かせた。
「…………つっ……」
セツナの声に応えて光を溢れさせた紋章は、燭台の灯りのみが光源だったその部屋を真昼よりも尚目映く包み込んでから、高い、音のような叫びのような、そんな響きを放ちながら彼女の瞳をも焼き。
緑柱石の色に似た光に撃たれた相手は、呆気なく膝を付いた。
その隙に、今度は一気に彼女との距離を詰めてセツナは、手にしていたトンファーを振るい、敵の手先のみを狙って皮鞭を床へと取り零させ、彼と同じように、咄嗟に何らかを詠唱しようとした彼女の喉元へトンファーの先を当て、それを封じた。
「おい、セツナ? どうしたっ!?」
…………そこで漸く。
セツナが放った輝く盾の紋章の『音』を聞き付けたのか、一体何事だ、と口々に叫びながら、先程まで酒場で一緒だったビクトールとフリックと、倉庫街で火炎槍の手入れをしていたらしいツァイの三人が、血相を変えて乗り込んで来た。
「あ、ビクトールさんにフリックさん。それにツァイさんも」
異国の女の身に乗り上げるようにしてトンファーを構えていたセツナは、飛び込んで来た三人の大人達を振り返り、ほえ、っと笑い、
「それがねー…………──」
のんびりした口調で、事情を語った。
「はあ? 命を狙われただぁ?」
すれば男達はより一層血相を変えて、構え続けられているセツナのトンファーの下より異国の女を引き摺り立たせ、取り囲むように押さえ付けた。
「………………貴様さえ死ねば、この下らない戦いも終わるのに……」
三人もの戦士に取り押さえられ、流石に、抵抗しても無駄だと悟ったのだろう。
大人しく、されるがままになりながら、口惜しそうに彼女は、相変わらずのきつい瞳で、セツナを睨み付けた。
「そう言われても困るんだけど……」
まるで、お前こそが諸悪の根源だ、と告げているような彼女の言葉に、何時も通りの様子で飄々と応え、暫くの間、じーーーー……っと、異国の女の面差しを、何かを確かめるように眺めてセツナは。
「ビクトールさん、フリックさん、ツァイさん」
「何だ?」
「………………あのね。その人、逃がしてあげて?」
牢には入れず、逃がしてやって欲しい、と大人達に頼み始める。
「セツナ……」
「逃がせ、ってお前」
「……宜しいんですか? そんなことをしてしまって……」
彼の、思いも掛けない言葉に、フリックも、ビクトールも、ツァイも、困惑を露にしたが。
にこっと、唯セツナは、思う処があるの、とでも言う風に笑って、それ以上を言葉にしようとはしなかった。
「…………判った……。お前が、それでいいって言うんなら……」
故に、セツナの『頑固』さを良く知っているビクトールは、盟主命令だと、異国の女を逃がしてやり。
「本当に良いんですね? セツナさん」
タッと、男達の手が自身から離れるや否や、風のように消えた彼女をツァイは眼差しで追い。
「うん。大丈夫。騒がせて御免ね。お休みなさい、三人共。…………あー、お部屋、壊れないで良かったー。シュウさんに叱られないで済むー」
何処までも微笑み続けるセツナを一人残して部屋より出て、フリックは。
「……シュウに、このこと報告しなきゃならないのは、まあ良いとして……」
「それが、どうした?」
「…………カナタ。……あいつが戻って来て、この話を耳にしたら……何て言えば良いんだ? 俺達は…………」
セツナに言われるまま女を逃がしたけれど、能く能く考えてみたら『後』が怖かった……、と。
少々顔色を蒼白にさせて彼は、相方へ向け、軽く肩を落とした。