カナタとセツナ ルカとシュウの物語

『鏡の中の(デュナン編)

旅の最中だったのに──否、だからこそか、女性関係の揉め事を起こし、一先ずだけでも旧知の者達に匿って貰おうと、北大陸はデュナン地方の覇権を巡り、ハイランド皇国と交戦中の同盟軍本拠地の古城に潜り込んだナンパ野郎な青年が、その辺に幾らでも転がっている只のナンパ野郎ではなく、現トラン共和国大統領子息シーナだったが為に、そのシーナの仲介で、同盟軍は、トラン共和国との同盟締結を叶えた。

トラン共和国と、『小さな盟主』のセツナ率いる同盟軍の前身に当たるジョウストン都市同盟とは、彼の国が赤月帝国だった時代より国境争いを繰り広げてきた犬猿の仲だった、との事情もあり、無事結ばれた同盟関係は、少なくとも同盟軍にとっては、ハイランドとの戦いに於ける戦略的にも政治的にも大きな意味合いを持つことで、正軍師のシュウを筆頭とする軍上層部の者達は、そういう意味で、平たく言えば喜んだが。

三年数ヶ月前に終結したトラン解放戦争に、解放軍々主カナタ・マクドールの宿星として従軍し、此度のデュナンの戦いにも、盟主セツナの宿星として関わっている者達は、シュウ達とは全く別の意味で、トランとの同盟締結を喜んだ。

それはもう、歓喜の勢いで。

──現トラン共和国大統領レパントは、セツナ達と同盟を締結する際、義勇軍として、五千の兵と、指揮官の将軍バレリアの派遣を約束してくれた。

と同時に、セツナ殿の役に立つだろうと、『瞬きの手鏡』と『大鏡』という、帰還魔法を操れるようになる二つの魔法具も貸与してくれた。

瞬きの手鏡も大鏡も、トランにとっては大切な国宝であるのみならず、本来なら共和国初代大統領に就任していたカナタ縁の、そういう意味でも甚く大切な、思い出の品であるにも拘らず。

…………故に、同盟軍居城に住まうトラン解放戦争経験者達は歓喜した。

決して、かつて己達が崇めた軍主、カナタとの思い出も眠る大切な品だから、ではない。

今日はあっちー、明日はこっちー、と、ふらふらふらふらふらふらふらふら、鉄面皮な正軍師殿が喰らわしてくる説教も何処吹く風で、デュナン各地を飛び歩いているセツナのお供が、格段に楽になるからだ。

……建前上は遠征と称されているセツナのお出掛けの、『行き』はいい。問題ない。

トランでも仲間だった、転移魔法を操る不思議少女ビッキーが、その魔法で以て送り届けてくれるから。

だが、帰りは。

帰りは徒歩なのだ。徒歩だったのだ。

それまでは、とんでもない遠方までセツナのお供を強いられても、歩いて、良くても船で、気長に、足の痛みや疲労に耐えつつ帰城するしか術がなかったのだ。

だから、瞬きの手鏡と大鏡が齎してくれる恩恵を、能く能ーーー……く知っている彼等は感涙に咽んだ。

レパント、有り難う……!! と。

尤も、そんな物がやって来てしまった所為で、セツナのお出掛けに拍車が掛かり、仲間達はそれまで以上に『小さな盟主殿』に振り回される羽目にもなったが、心情的には土下座して崇め奉りたい瞬きの手鏡のお陰で、お出掛けお供も苦にならなくなった。

有り難いなんてもんじゃない瞬きの手鏡が借りられ──もとい、トランとの同盟締結を果たした直後、国境の鄙びた村でセツナと知り合いになった、彼等のかつての軍主でありトランの英雄殿──カナタが、本拠地の古城に『乗り込んで』来て少々が経った頃には、一層、より一層、セツナが『お出掛け遠征』に繰り出す機会は、主にカナタの所為で激増し、比例して、シュウの胃炎は悪化したけれど、お供担当な仲間達は、「余裕綽々、俺達は楽になったから気にならない!」……なノリを見せていた。

但し、デュナンとトランの国境に立ちはだかる、転移魔法も阻んでみせる、バナーの峠を越えさせられる際だけは除いて。

──だが。

軍内では、腐れ縁コンビと称されている傭兵二人組の片割れ、フリックだけは、誰もが有り難がる瞬きの手鏡と大鏡の所為で、ちょっぴり憂鬱な気分を覚えることがあった。

貸し出された魔法具達を久し振りに目にした刹那、解放軍時代、カナタの今は亡き従者グレミオと共に、『帰還魔法の中』に取り残されるという災難に見舞われた時のことを思い出してしまったから。

何が何だか能く判らない、この世なのかも謎な場所に置き去られた挙げ句、仲間勧誘と腹拵えを優先したカナタと、腐れ縁コンビの片割れビクトールに、結構長い時間放っておかれた、あの時のような目には、もう遭いたくないな、と。

…………けれども。

フリックが、そんな憂いを抱えているなどとは知らず、その年の晩夏のその日の夕刻、出逢った直後からセツナを『溺愛』して止まなくなった、既に、軍内に『セツナ馬鹿』との評判──正しくは悪評──を轟かせつつあるカナタは、同盟軍本拠地本棟一階大広間に設置された、例の大鏡前に仁王立ちした。

「マクドールさん? どうかしたんですか?」

前日、赤月帝国時代から変わらず、彼の国の首都とされている黄金の都グレッグミンスターの、マクドール邸まで迎えに行き、その日の朝から付き合って貰ったお出掛け遠征より帰城して、潜ったばかりの大鏡を振り返るや否や、やおら、ブツブツ呟きつつ考え込み始めたカナタを、彼の傍らを占めたセツナは、どうしたんだろう、と不思議そうに振り仰ぐ。

「ん? ……ああ、御免ね、セツナ。一寸ね、思い出したことがあって」

「え? 何です? 何ですか?」

「僕が未だ、解放軍の軍主なんてやってた頃に。一度、フリック達が、この鏡の向こう側に取り残されちゃったことがあるんだよ。その時のこと、急に思い出したんだ」

すればカナタは、いきなり御免ね、と、クリッとした大きな薄茶の瞳を更に丸く大きくして己を見上げてきたセツナの髪を幾度か撫でて、実は、と告げた。

「へーーー…………。……フリックさんって、昔から運が悪かったんですね」

「うん。そう。フリックだから。あの時はビクトールも一緒だったけど、ビクトールは、そんな災難には見舞われなかったし」

「……成程。流石です、ビクトールさん。フリックさんも、別の意味で流石です。でも、何でそんなことになっちゃんたんです?」

「さあ……。僕の宿星の一人で、帰還魔法の生み手だったヘリオンも、こんなことは初めてだと言っていたくらいだから。原因は未だに不明。けど、解明はしてみたいかな」

「…………? 何でです?」

「あの事象の原因や理由が解明出来れば、再現も可能になる筈で、ということは、誰か、若しくは何かを、帰還魔法の中に閉じ込めることが可能にもなる筈で。……悪戯や嫌がらせには、持って来いだと思わない?」

「えーーーと……。……えっと、マクドールさんが言ってること、僕には一寸難しくて全部は判りませんけど、ジショーとかいうののカイメーが出来れば、誰かをその大鏡の中に閉じ込められるかも、っていうのは判りました! ………………確かに、楽しそうですね」

そのまま、ぽふぽふぽふぽふ、ワンコのような彼の頭を撫で続けながら、大鏡相手に何を考え込んでいたのかをもカナタは語り、途端、セツナは、キラン……! と瞳を輝かせる。

「カナタ……。セツナ…………」

「頼むから止めてくれ、そんな物騒なこと企むのは……」

「…………お馬鹿」

そして、そんな彼等の傍迷惑なやり取りを聞いてしまった、その日のお出掛け遠征に付き合わされていた三名──本当は一刻も早く元と現の天魁星コンビから解放されたくて仕方ないのに、カナタとセツナが立ち止まってしまった所為で、沈黙しつつその場に留まるしかなかったビクトールとフリックとルックは、「何を言い出すんだ、こいつらは」と、盛大に頭を抱えた。