その後。

大人数で、何時までも大鏡前を占拠し続けるのも、鏡の直ぐ脇が定位置のビッキーに迷惑な話だからと、カナタとセツナは、真っ先に逃走を図ろうとしたルックの襟首引っ掴み、腐れ縁傭兵コンビへは、眼差しのみで「逃げるな」と釘を刺し、直ぐそこにあるレオナの酒場に傾れ込んで、至極適当に注文を済ませると、歓談、と洒落込んだ。

セツナ以外は強制参加の歓談だけれども。

それを、一般的には『歓談』とは言わない、というのは扨措さておいて。

「カナタ。あんたは何で、碌でもないことだけに頭を使おうとする訳?」

「碌でもない、と切って捨てられるのは心外だね、ルック。君だって、転移魔法を操る者の一人として、気にはなるだろう? 転移、若しくは帰還魔法の出口が塞がれるという偶発的な事態は、それらの魔術を使役する者にとっては、問題な筈だよ」

「それは……。それは、まあ……。その部分には文句なんかないけど、だからって──

──まあまあ。そう、尖った声を出さずとも。苛々してばかりいると、体に良くないよ、ルック。ここの正軍師殿みたいに、胃を病む」

「誰の所為だと…………」

「だから。そんなことはどうでもいいんだって。──過去、一度だけとは言え、例の事態が起こった原因として考えられるのは、魔法を阻害する何らかの力が作用したとか、さもなくば……────

酒場のカウンターに最も近い円卓を占領するなり、そんな風に、カナタは主にルック相手に──何故なら、この手の議論を残り三名に持ち掛けてみても、深く深ーく首を傾げられて終わるだけだと知っているから──、ああでもないの、こうでもないのと語り始め、

「何のかんの言ってみたって、ものの弾み、って結論しか出ないと思うけど? だってね、カナタ────

当人的には不覚にも、という奴なのだろうが、この上なく不機嫌そうな顔しながらも、ルックは彼に吹っ掛けられた話に乗ってしまい。

「ものの弾み、それを結論にしてしまったら、そこで終わりだろう。第一、僕がつまらない。……あ、そうだ。この世界の理として、魔法の力は基本的には紋章が生んでいる、というのを踏まえて考察するのを失念していたね。……紋章。うーん……、ソウルイーターが何かやらかした、とか?」

「その時に限って? だったら、その理由は何だって言うの? そんな可能性、検証するだけ時間の無駄じゃない?」

「……………………ビクトールさん。フリックさん。マクドールさんとルックの話に、僕、付いてけない……」

当分終わりそうにない二人の『ぎゃいのぎゃいの』が理解出来ないと、セツナが拗ねた。

「安心しろ、俺もだ。カナタもルックも、無駄に知恵があるからな……」

「セツナ、何とかしろ。カナタの口を塞げ」

理解出来ない以上に、聞いてるだけで頭が痛くなる、とフリックはうんざり顔になり、ビクトールは、カナタを止められるのはお前しかいない、とセツナへ懇願の眼差しを注ぐ。

「マクドールさん。僕、そのお話、能く判らないです」

故にセツナは、「あ、そっか」と、カナタの上衣の裾を引っ張った。

「あ。御免ね、セツナ。退屈になっちゃった?」

「退屈なお話じゃないですけど、そのぅ……」

「……ああ。セツナには少し、難しかった? でも、この興味対象を手放すのは少し惜しい気がするから……。……そうだ。じゃあ、セツナも楽しめるような、お試し、してみる?」

「お試し、ですか?」

「そう。不運な体験をした不運な彼に実験台になって貰って、『それ』が再現出来るか試してみない? 『実験台』をあっちに飛ばして戻して、こっちに飛ばして戻して、って繰り返せば、一回くらい、同じことが起こるかも知れない」

「あ、そういうのは、判り易くて、僕好きです」

話題に取り残された三名に言わせれば、訳が判らないにも程があることばかりを吐き出す、三寸以上長い舌先を持っているとしか思えないカナタの『怒濤の捲し』を、ビクトールの期待通りセツナが留めた途端、カナタは、大好きなご主人様に構って貰えずショボクレてしまったワンコの如くになった彼の顔を覗き込みながら詫びて……、が、だったら、セツナにも判る実験をしよう、と可愛いワンコを誑かし、途端、誑かされたワンコなセツナは、瞳に輝きを取り戻して、にんまり、と笑む。

「……あのな。何で俺がそんなこと──

──フリックさんだから」

「うん。フリックだから」

目の前で、誰にも憚らずに立てられた、間違っても巻き込まれたくない企ての標的が、己であると気付いたフリックは血相を変えたけれど、「それが貴方の運命です」とばかりに、セツナにもカナタにも真顔で言い切られ、剰え、「ねー? 仕方ないもんねー?」と揃って可愛い子ぶられた。

「断る」

しかし。

珍しく、フリックは粘った。

どうにも抗い難い雰囲気と『実力』を兼ね備えている、トランの英雄の肩書きは決して伊達ではない風格も滲ませるカナタや、少なくともカナタと巡り逢うまでは掛け値なしに純真で素直な質をしていたとフリック『は』信じている、過剰に甘やかしたくなる末っ子にも似た雰囲気を纏うセツナには、どんな無茶や無体を吹っ掛けられても抗い切れない彼なのに、その時ばかりは、少々語気強く、きっぱりと拒否を告げた。

「…………フリック? 少し、生意気になった?」

三年数ヶ月前に終結したあの戦争の頃から、カナタに逆らうと後が怖い、と身に沁みている筈なのに強気な態度に出た相方を、チラリと盗み見たビクトールが場を誤摩化す科白を口にするより早く、フリックへと向き直ったカナタは、優雅な仕草で円卓に頬杖付きながら、冗談めかして言いつつも、目だけは笑っていない綺麗な笑みを浮かべる。

「生意気とか、そういう話じゃない。兎に角、断る」

「……何故?」

「何故、って……。そんな馬鹿げた試しだか実験だかに、進んで自分を生け贄に差し出す奴なんかいないだろうがっ」

「ああ、その自覚はあるんだ。────フリック。もう一度訊く。……何故?」

「くどいっっ! ……ったく、何時までも馬鹿言ってるな、これ以上がっかりさせないでくれっっ」

カナタのその姿、口振り、彼から滲み出てきた目には見えない『何か』、綺麗な『だけ』の笑み、その全てが空恐ろしく感じられたが、この騒ぎの所為で、又も『あの時』のことを脳裏に過らせていたフリックは何とか踏ん張り、序でに怒鳴って、ガタリと椅子を鳴らして立ち上がると、青いマントの裾を翻し、足早にレオナの酒場から去って行った。

「…………相変わらず、青いね」

入り口の向こうに消えていく背中を見詰め、「あー、行っちゃった……」と困った風に彼を見送っていたセツナの髪を又もや撫でて、カナタは呆れ口調で言う。

「それって、フリックさんのことですか?」

「勿論」

「フリックさんが、楽しいお試しに協力するのを生意気に断ると、青いんですか?」

「セツナ。一寸、言ってること滅茶苦茶だよ? ……そういうことじゃなくてね。…………まあ、いいか。こんな話、どうでも。──セツナ。そろそろ、お夕飯にしようか。ビクトールとルックは、どうする?」

彼の言わんとすることが判らず、きょとん、とセツナは首を傾げて、が、カナタは、君が気にすることじゃない、と柔らかい笑顔を浮かべて話を打ち切り、夕餉にしよう、と腰を浮かせた。

「あ、はーい。そですね、そろそろ、お夕飯の時間です」

「僕はもう、あんた達に付き合わされるのは御免だよ」

「俺は、飯より酒にする」

セツナと共に席を立ったカナタの誘いに、ルックもビクトールも首を横に振り、

「そう? じゃ、又。お休み」

「ビクトールさん。ルック。今日もお疲れ様でした。又、明日ね。お休みなさーい」

苦笑した二人を酒場に残し、カナタとセツナは、料理人ハイ・ヨーが取り仕切るレストランへと向かった。