かみさまのさかな
むかし、むかし、あるところに。
とても体がおおきくて、とがった頭をもっている、けれど、きれいで青い魚たちが、たくさんおよいでいる海がありました。
その海のちかくにすむ人たちは、きれいな青い魚たちを、『かみさまのさかな』、とよんで、たいせつにしていました。
『かみさまのさかな』をたいせつにすると、人たちはしあわせにくらしていけると、そんな、いいつたえが、その海のちかくでは、むかしから言われていたからです。
だから、人たちは、『かみさまのさかな』をたいせつにしていました。
けれど、ある日。
『かみさまのさかな』のいる海のちかくにすんでいる人たちの村を、とても大きな、海のなみがおそいました。
だから、人たちは、大きな海のなみの中で、それでもおよいでいる『かみさまのさかな』へ、大きなこえで言いました。
むかしから言われている通り、『かみさまのおつかい』の『かみさまのさかな』を、たいせつにしてきたのに、どうして村は、大きななみにおそわれるのですか、と。
すると、『かみさまのさかな』はこたえました。
「かみさまも、『かみさまのおつかい』と言われる『かみさまのさかな』である自分たちも、にんげんのしあわせなんか、いちどだって、気にしたことがないから」
そのこたえをきいて、村の人たちは、もういちど、『かみさまのさかな』に言いました。
「どうして、そんなひどいことを言うのですか。じぶんたちは、かみさまも、『かみさまのさかな』も、たいせつにしてきたのに」
だから、『かみさまのさかな』は、もういちどこたえました。
「かみさまがつくったにんげんを、かみさまがどうしようと、かみさまのかって」
──その、『かみさまのさかな』のこたえをさいごに、海のちかくのその村は、ぜんぶが、大きななみにのまれてしまいました。
けれど、なんにんかの人たちは、たすかることができたので、村が、なくなってしまうことはありませんでした。
たすかった人たちは、海へいき、いままであんなにたいせつにしてきたのにと、『かみさまのさかな』を、みんなころしてしまいました。
『かみさまのさかな』をたいせつにしつづけても、しあわせにくらしていける、という、そんないいつたえは、まちがっていたとわかったからです。
でも、村の人たちが、『かみさまのさかな』をみんなころしてしまったら、おこったかみさまが、もういちど、大きななみをおこして、たすかった人たちも、海のそこへとつれていってしまいました。
それから、ながいじかんがたって、ぜんぶころされたはずの『かみさまのさかな』は、また、その海でおよぐようになりました。
『かみさまのさかな』をたいせつにしていた人たちがくらしていた村には、べつの人たちがやってきて、魚をとってくらすようになりました。
あたらしく、村でくらすようになった人たちは、むかしの人たちのように、きれいな青いさかなを、『かみさまのさかな』とよんで、たいせつにしました。
『かみさまのさかな』をたいせつにすると、人たちはしあわせにくらしていけると、そんな、いいつたえを、あたらしくやってきた人たちも、だれかにおしえてもらったからです。
むかし、むかし、じぶんたちがくらしはじめた村にすんでいた人たちが、おなじように『かみさまのさかな』をたいせつにしても、ずっと、しあわせにくらしていけることはできなかったと、しらないで。
でも、『かみさまのさかな』は、そんなことにはしらんかおをして、いまでも、『かみさまのさかな』とかみさまをたいせつにしている人たちがくらす村のそばの海で、たくさんたくさん、およいでいます。
End
後書きに代えて
……一寸、自分的に大反省会。
抽象的過ぎた、御免なさい。
と言うか、そもそも、こんなにえげつないお伽噺を捏造した辺りからして、過ちは始まっていたよーな。
かなりドライな性格してる、カナタ&セツナ組には、このネタ、余り向きではなかったのかも知れない。
でも、書きたかったんだもん。
──それでは皆様、宜しければご感想など、お待ちしております。