最後まで読み終えられたその物語の結末を、幼子達は余り気に召さなかったようで、「お終い」とのセツナの声を聞きながら、皆一様に、何処となく不満そうな顔をしながら立ち上がり、思い思いに駆け出して行った。
「絵本読みは、終わった?」
芝の上に一人取り残されたセツナの傍らへと近付き、腰を下ろしてカナタは、『小さな』彼の手の中の、閉じられた絵本を取り上げる。
「あのですね、マクドールさん」
「何?」
山程の挿絵と、大きな文字で満たされた薄い本を、ぱらぱらと捲って読み進めるカナタに、セツナは唐突な呼び掛けをして、が、至極当たり前のように、カナタはセツナの言葉を受け止めた。
「ゲンカクじーちゃんが、良く言ってたんです。こんな世の中で生きていこうと思って、でも、戦争に行ったり戦ったりしないでそれを何とかしようと思ったら、文字を覚えなきゃ駄目だ、って。文字を読んで書くことが出来れば、戦わなくても生きてけるし、戦争がなくなっても困らないから、って。じーちゃんはそう言って、僕とナナミに、読み書き教えてくれました。……だから、ですね」
唐突に始まったことだろうと何だろうと、当たり前の如くカナタが受け止めてくれるのは、セツナにとって、やはり当たり前のことで、気のない風にカナタが捲って行く絵本の頁を、何処かぼんやりしながら眺めつつ、セツナは話を続けた。
「……だから、君も本を読む? 絵本を、子供達に読んで聴かせる?」
「はい。戦争の真っ直中ですから、戦うことを教えたいって思ってる大人の人達も、多いみたいですけど。でもね、じーちゃんが言ってたみたいに、あの子達は戦うことなんかよりも、読み書きを一杯覚えた方が良いって、僕は思うんですよ。戦争を一日も早く終わらせる為に、僕達毎日戦ってるんですから、あの子達が大人になった時にはもう、戦争なんか、疾っくの昔の出来事になってる筈なんです。って言うか、そうなってなきゃ困ります。だったら、読み書き覚えといた方が良いじゃないですか」
「………………それは、道理だね。意地悪な言い方をしていいなら、希望と言い換えられるけれど、君のその想いは、とても好ましい物だと思うよ。……でも、セツナ。そういうつもりで、あの子達に本を読んであげているなら、もう少し、花も実もあるお伽噺にしてあげた方が良かったんじゃないの?」
「……それは、まあ、僕だって、愉快になれるお話じゃないよなーって、僕も思いますけど、そのお話。でもですね」
「うん?」
ああでこうで、と話しながらも、ぼんやり、何処か遠くを眺めている風なセツナの瞳は、果たして何を見ているのか、と。
セツナと言葉を交わしながらも読み進め、そして読み終わった絵本を閉じて、カナタは傍らの彼を見た。
「この間、僕のことを庇って亡くなったあの人が、逝く間際、そうしたみたいに。皆、時折ね、僕の右手の、輝く盾を見るんです。僕を見て、それから輝く盾を見て、ってすることあるんですよ。……そんな皆の視線の向こう側に隠れている想いみたいなものって、その話の中に出てくる、『かみさまのさかな』を大切にしてた、海の近くの村人の想いに似てるって、僕、そう思うことあるんです」
「神様や、神様の御遣いである『かみさまのさかな』を大切にしていれば、自分達は恙無く平和に暮らせる? それと同じように、この世の神にも等しい、二十七の真の紋章や、二十七の真の紋章を宿している君へ思いを注げば、何時か平和は叶う、と?」
「………………まあ、言葉にするんなら、そんなノリですね。でも、僕、それは駄目だと思うんですよ。『神頼み』ばかりするのは良くありません。真の紋章の『本当』が何だったとしたって、マクドールさんが良く言うみたいに、紋章は『紋章』ですし、僕は神様の御遣いでもありません。……だからですね。あの子達には、一寸不評ですけど。神様を崇めてみたって、良いことばかりとは限りませんよー、って本を、僕は読んで聴かせるんですよ」
「………………………………成程、ね。……だとするなら、セツナ。君は随分と、自分の心の健康に良くないことをしてる」
見遣った傍らの彼が、その本を選んで読み聴かせる理由、それを知って。
カナタは軽い溜息を零し、閉じたばかりの絵本の表紙を、軽く指先で弾いた。
「………………ねえ、セツ──」
「──けどですね、マクドールさん」
どんな物語が描かれているかを読み知った、緑の芝の上に置いた絵本の表紙を弾いてより、カナタがセツナの名を呼べば、セツナはそれを強引に遮る。
「……けど、何?」
「あの人が逝った時、そうしたみたいに。僕は、それで、『皆』が『安らか』だって思うならって、輝く盾の紋章を少しだけ輝かせて、逝く人を見送るんです。神様の御遣いの、真似っこをしてるみたいだなって思いながらも」
「…………そうだね」
「……マクドールさん?」
「……ん?」
「『かみさまのさかな』みたいな二十七の真の紋章に、頼ったり縋ったりしなくても、皆、『報われる日』が来ると良いですね。何時か、そんな日が来ると良いですね」
「……大丈夫。何時の日か、そうなるように。必ず、そうなってくれるように。それが、僕達が『こうしている』理由の一つでもあるのだから。何時の日か、きっと、ね。────……ねえ、セツナ」
──ああ、多分。
彼は、先日の出来事も、子供達にこんな絵本を読み聞かせることしか出来ない今も、悔いているのだ。
……そう思い、カナタは短くそれだけを告げて、セツナの手を取り立ち上がった。
「はい? 何ですか?」
「図書館に行こうか。こんな絵本ではなくて、もう少し穏やかなお伽噺の載ってる本を借りて、子供達に読み聞かせて。明日になったら、子供達も連れて、野原に花を摘みに行って、お墓参りをして。亡くなってしまった彼の話や、この戦争の話を語って、あの子達が大人になる頃訪れる筈の、『理想の情景』の話をしよう。何時かやって来るだろう『報われる日』を、招き寄せるための最初の一歩として」
「……はい」
そうして、彼は。
緩く頷いたセツナと共に、緑の芝の向こう側に見える建物──図書館へと消えた。